ミノタウロス

 俺の仕事は人間社会に生きる人外達の相談役。故に多くの者がこの館に訪れるわけだが、相談者が必ずしも俺に相談を持ちかけるとは限らない。

「例えばこの通路だけど……」

 相談者が持ち込んだ「間取り図」の一カ所を指差しながら、屋敷のメイド(シルキー)が自身の考えを口にする。

「床から数本の槍が飛び出す仕掛けなんてどうかしら?」

 物騒なことを口にしているが、彼女には似合いの言葉だろう。悪戯好きな彼女は家主である俺に向け屋敷(職場)中にトラップを仕掛けるお茶目な性格をしているのだから。

「ふむ。しかしここはまだほんの入り口。脅し程度のトラップで充分ではないか?」

 牛の頭を軽くひねりながら、大柄な来客が意見を求めた。槍が刺されば脅し以前の問題になりかねないためだ。

「ええ。ですから最適なんですよ」

 それでもいたずら妖精(シルキー)は自信たっぷりに笑顔で答える。

「あなたが来られると聞いてトラップを準備しておきましたが、それはご覧になったでしょ? あのように、先頭を歩く者が機動ポイントに踏み行ったその先で槍が飛び出すようにすれば、誰にも怪我をさせることなく多大な効果を持って脅すことが出来るはずです」

 彼女が言う「あのように」とは、俺が来客をリビングへと案内する際に俺が引っ掛かったトラップのことを差している。俺の目の前3cmのところに、無数の槍が飛び出したトラップだ。来客があるときには流石に全てのトラップを解除しておく彼女が、珍しく外し忘れたのかと思っていたのだが……なるほど、そういう訳か。もっとも、館の主に罠を仕掛けることに対しては納得できる所など無いわけだが。

「なるほど、アレか。アレならば面白そうだな。是非用意しておこう」

 苦笑いを浮かべる俺とは対照的に、来客は強靱な腕を組みながらうんうんと嬉しそうに角を振った。

 二人はその後も、来客の持ち込んだ間取り図……まあ、俺から見ると「迷宮(ラビリンス)」にしか見えないわけだが……それを挟み、ここにはこのトラップを、ここにはこの仕掛けを、などと笑みを浮かべながら熱心な意見交換を行っている。

「うむ。これだけ配置すれば、来客へのもてなしとして恥ずかしくないものになるであろうな」

 トラップでもてなしとは、俺にはとても思えないわけだが。なんだか、俺には付いて行けない趣味だよ。

「いっそ、遊園地か何かのアトラクションにしたらどうだ」

 半ば冗談、しかし半ば本気というか、既に「住居」とは言い難い複雑怪奇な迷宮を有効活用する場など遊園地しかないだろうと俺は口を開いた。その俺に、二人は驚いた顔をこちらに向ける。

「何を言い出すかと思えば……気付かなかったの? これは元々アトラクション用の間取り図よ」

 聞けばなんでも、遊園地の経営者から人伝に「迷宮のプロ」へ依頼があったとか。だがそのプロ……つまり本日の来客は、手加減を知らない。その為「脅す悪戯程度」に加減するにはどうすればいいのか、というアドバイスを相談役(シルキー)に求めた、という事らしい。

「そもそも、この俺様がこの程度の迷宮(ラビリンス)で満足できるなどと思われては心外だな」

 腕組みし鼻息荒く、俺に抗議する来客。いや、俺にはその傷つけてしまったプライドもあまりよく解らんのだがな。

「ああ、悪い。だがそれなら、俺からも一言言わせてくれないか?」

 頭を掻きつつ、俺は二人が見落としている最大の欠点を指摘する。

「もうちょっと、規模縮小(スリム)にしたらどうだ? 設計経費とか考えてないだろ?」

 腹の出た俺が、二人にダイエットを勧めてみた。趣味に走ればそれだけ膨大な費用がかかるのは当然で、むろん経費をケチり脆(もろ)い建築物を作るのは論外だとしても、経費は湯水のように使えるわけではない。

「ついでに供給電力の問題とか、災害時の非常通路確保とか……そこまで踏み込んで考えてるか?」

 当たり前の話だが、遊園地の施設(アトラクシヨン)である以上安全も確保しなければならない。ただ面白そう、だけで設計できる物ではないのだ。

「……しかし、これ以上何処を削れと言うのだ?」

 俺の目から見れば、みっちりと配置されたトラップの数々はいくらでも削除できると思うのだが。結局、二人の議論はトラップ設置のアイデア出しの、ゆうに三倍の時間を費やすことになった。


【解説】

 ギリシャ神話に登場する怪物。ミノタウロスとは「ミノスの牛」という意味で、クレタ島の王ミノスの息子にあたる。しかし彼と王との間に血は繋がっておらず、義理の息子ということになる。

 クレタ島は海神ポセイドンの加護の下で繁栄していました。そんな時ミノスはポセイドンに、加護を受けている証を示して欲しいと願います。ポセイドンはそれに答え、生け贄用の美しい雄牛(毛の色は白とも黄金とも言われている)を数頭遣わせます。生け贄用なので、その雄牛たちは後々自分(ポセイドン)に献上して返すように言いつけられていたのですが、ミノスはあまりに素晴らしいこの雄牛たちを生け贄にするのが惜しくなり、代わりの牛で代用してしまいます(ギリシャ神話の時代では、牛は富の象徴として扱われています)。これに激怒したポセイドンは、愛の女神アフロディーテを通してミノスの妻、パシパエに呪いをかけてしまいます(呪いはポセイドンが自らという説や、愛の神エロスの矢で、といくつか説があります)。呪われたパシパエは、なんと生け贄の雄牛の一頭に激しい恋心を抱くようになってしまいます。身を焦がす情熱に耐えられなくなったパシパエは、アテーナイから殺人の罪で追放された建築家ダイダロスに雌牛の張りぼて(今風に言えば雌牛の着ぐるみ)を作らせ、その中に入り雄牛と交わってしまいました。そして身ごもったのが頭部が闘牛のミノタウロス(本名はアステリオス)なのです。

 ミノタウロスはクレタ島の怪物として島中で暴れ回っていたのですが、かといって殺せば神の機嫌を損なわせ兼ねないとし、ダイダロスが作った迷宮「ラビュリントス(後に「ラビリンス」の語源となる)」に閉じこめてしまいます。その後この迷宮には子供や罪人をミノタウロスへの生け贄として捧げるようになります(ミノタウロスは人肉を好物としていたためです)。

 それから後、ミノスが自分の(ミノタウロスとは別の)実息を不当な理由で殺したアテーナイに対して九年間男女七人ずつの生け贄を要求するようになります(最初からミノタウロス用の餌として要求していたという説もあります)。そしてアテーナイから三度目の生け贄が送り込まれた時、この中に、後にアテーナイの王となるテセウスという青年が紛れていました。彼は彼に恋をしてしまったミノスの娘アリアドネの助言と、迷宮で迷わないようにと渡された魔法の糸「アリアドネの糸」を用いて、ミノタウロスの寝込みを襲い見事退治に成功します。

 余談ですが、このミノタウロス退治の後日談としてテセウスの話が続いていくのですが、テセウスは助けてくれたアリアドネを嫁にする約束で一緒にアテーナイへ連れて行こうとするのですが、途中アリアドネをナクソス島に置いて行ってしまいます(島にいた酒の神デュオニソス(バッカス)がアリアドネを連れて行ったという話と、テセウスが飽きて置き去りにした(後にディオニソスが彼女を拾い妻に迎えた)という二通りの話があります)

 またミノタウロスが産まれる切っ掛けとなった張りぼての牛と迷宮(ラピユリントス)を作った建築家ダイダロスは、ミノタウロスを殺され娘(アリアドネ)を連れ去られた怒りと罪をミノス王から着せられ、息子イカロスと共に自分の作った迷宮この後閉じこめられることになります。そして蝋の羽根を作り息子と迷宮を脱出するも、息子イカロスは調子に乗って太陽に近づきすぎて蝋が溶け海に転落してしまいます(あの有名な歌「イカロスの翼」の事です)。それでもダイダロスだけはどうにかシチリアまで逃げ延び、カミコスの王に庇護を求め……と、話は続いていきます。

 ミノタウロスは他の怪物達同様、ダンデの「神曲」にも登場します。そこではやって来た異端者を痛めつける役を担っていました。

 そもそもミノタウロスは出身地であるクレタ島でトーテム(自分達の祖先を鳥や獣に見立てて信仰する対象)として崇められていた事実があり、そこから生まれた話だとされています。牛を崇める祭りは少女が牛と踊っている壁画から推測された物。また実際の牛の代わり司祭が牛の面を被って少女と踊ったり、辺りを駆ける牛達の上を少年少女が飛び越える儀式もあったとか。そして神話同様に、女性が牛と交わる儀式があったとか……これについての真偽は確かではありません(少なくとも筆者は調べきれませんでした)。

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妖精学者の日常~幻想という名の空蝉~ S-BOW(ShortBow) @S-BOW

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