第十二話  七海精騎士〈暴力〉。

 ラリクスらがリリアの住居に居候しはじめてから今日で丁度一週間、ようやく海精と契約を交わす事が出来る。

 この一週間でラリクスはリリアから、世界情勢や大国の情報などと云った一般常識や海を渡る為の航海術を、クライフォードからはちょっとした処世術を教わった。

 

 そうしてラリクスは航海士としての技能を磨いていたのだ。


 今日は海精との契約を行うということで家屋の外にある、広い広場にみんなで出ていた。幸いなことに天気にも恵まれ、絶好の契約日和とも云えるだろう。契約に天候が影響するのかはよく知らないが。というよりロロスロードは毎朝霧は濃いが滅多に天候が崩れる事はない。

 まあとにかく、ラリクスは今とても気分がいいのだ。


 リリア監修のもとラリクスは地面に何やら複雑な文様を描く。文字にも記号にも見える奇妙な図をひたすらに描いた。ミミズがのたうつが如く複雑に絡み合った、精密な図式、式術陣。術式を超位種族以外にも認知出来るように可視化した物である。

「―ゲート構築の術式が甘いよ。万力カルナ循環の効率が悪い」

 リリアは7つある五芒星のうち一つを指差し指摘した。

万力カルナにムラがあります。―せっかく質のいい万力カルナを持ってるのだからそれを活かさねば」

 とセノルは宣う。成程、言われてみれば確かに術式にムラがある。ほんの微かなムラだろうが思考の芸術たる術式において、それは大きな欠陥になる。

 ラリクスは意識を集中させ、術式の改編に取り掛かった。




「おお!こりゃあ大したもんだぜ。術式に穴が無ぇ。均一に万力カルナを通してやがるな」

 街にクルルスと遊びに出掛けていたクライフォードは、ラリクス謹製の式術陣を見るなりそう評価した。知万力技ピア・カルナマラを一瞬だけ使うと、即座に分析したのだ。成程、クライフォードは戦士としてだけでなく、海精使いとしても一流らしい。

「へ〜、上質な万力カルナね。しかも効率が凄くいい。ちょっと我流が入ってるの?見慣れない術式が組み込まれてるね。―初めてなのに、もう我流を生み出すなんて流石はラリクスだね」

 うっとりと美しい式術陣を見てクルルスは、しみじみと言葉を零す。超位種族だけあって、術式にはより惹かれるのかも知れない。ラリクスはそう思った。


 しかし、実際は違う。ラリクス謹製の式術陣は、種族問わず、万力カルナが視れる種族なら惹かれる美しさを秘めているだ。中央の見事な十二角形とそれに封じられた五重の式術、そしてそれを取り巻く術式で構成された7つの五芒星は、恒星とその周りを回る惑星の様に廻り続けている。眩く七色に煌めき、淡い鱗粉をまき散らす。

「これは芸術と呼んでも差し支えない、かと。海精ならば惹かれてやまない上質な万力カルナに見事な術式。…これならば如何なる上位海精であろうと興味を持たざる得ないでしょう。海精ならば、我先に応じ喜んで仕えるでしょう。―この式術陣にはそれ程の魅力がある」

 普段は寡黙なセノルも興奮したかのようにすらすらと語る。

「ぶっちゃけどうだい?魅かれるかい?」

 とリリアは自身の契約相手あいぼうに訊く。それに対しセノルは胸に手を当て深々と一礼するとぶっちゃけた。

「ぶっちゃけますと…はい。かなり。これ以上なく惹かれますね。正直、ご主人様との契約がなければ…」

 ここに来てまさかのセノルの浮気疑惑に空気が一瞬凍りかけたが、当事者たちが笑い飛ばした事で霧散した。

 どうやらロロスロード王国筆頭海精使いの契約解消という最悪な事態は免れたようだ。危うく陸上人ランディア最高の海精使い失業理由が浮気と歴史に記される所だった。


「―ちょいと聞き捨てならないが、まぁ置いといて。あの・・セノルのお墨付きじゃあ問題ないね。これ以上ないって位、大成功だよ。…これなら確実に海精契約出来るね」

 そう、この式術陣は海精を召喚し契約する為に用意した召喚陣なのだ。海を渡るのに海精契約は必要ない。

 必要ないが大いなる十字海流シーアナクロスを渡るにはどうしても必須と云えよう。ただの船で渡ろうとしたら一瞬で海の藻屑となり空で星として下界を照らす羽目になる。

「そんじゃ、まあ。万力カルナを通し、起動文キーを唱えてくれ。召喚陣を起動するんだよ。手順はお前さん次第だ。自分が正解だと思うように行動しな」



 ラリクスは、リリアに頷くと陣に手を添えた。そして目を瞑ると、体内を流れる万力カルナに意識を向けた。

「jikolea[huiujika]:∞guayeiokcl」

 起動文キーを唱えるとラリクスは、体内で練り上げた万力カルナを陣全体に行き渡らせた。陣は黄金こがね色の炎を巻き散らし、無事起動した。

 膨大な万力カルナの奔流が術式に従い、纏まると波形状に伝播していく。ラリクスを中心に万力カルナが渦巻き、万象潮流を逆流し世界の隅々へと届けられる。

「僕と契約したい海精よ、ここに来い!」


 ラリクスがそう言った、その瞬間―、召喚陣が一際、強く光り輝いた。

 そして―、紫電を纏う炎と共に、が物凄い速さで飛び出し、セノルを吹き飛ばした。セノルは確実に防御をしていなのだが、まるで風に煽られた蒲公英たんぽぽの綿毛の如く、いとも容易く飛んでいき、ぶち当たる木々をンなぎ倒していった。


 その常識外れの結果にラリクスはおろかクライフォードまでもが度肝を抜かし、茫然自失の体で立ち尽くす。この数日間、ラリクスはクライフォードに稽古を付けて貰っていた。その結果、めきめき勘を取り戻し5回に1回はクライフォードに勝てるようになっていた。

 ―だが、クライフォード曰くセノル相手では、2割の力でさえ2秒と持たないと云う。実際ラリクスも何度かセノルに手合わせをしてもらったのだが軽くあしらわれ文字通り手も足も出なかった。


 数秒遅れて突風と衝撃波が、ラリクスたちを襲う。

「あはははは!どうしてのさッ〈堅忠〉!その腑抜けた受けはッ随分と弱くなったんじゃないの!」

 セノルを吹き飛ばした元凶は、セノルが立っていた位置に立ち、悪びれずに無邪気に笑っていた。黄色い麦穂色の2つ結びの長い毛が特徴的な、好戦的な少女だ。

 ネコ科の獣の様に瞳は鋭く、左右で色が異なる。口からは小さな牙と、赤い舌が姿を覘かせる。

 首に巻く首輪と、錠のつい拘束具を胴に付けており、鎖で何重にも繋がれていた。可愛らしい縁飾フリルがあしらわれている少女服と、拘束具の組み合わせは危うい雰囲気を醸し出している。左目には眼帯が、右目は真紅の瞳が爛爛と光り輝き、その奥で燻る力への羨望が燃えていた。

 

 少女然とした容貌だが、いざ対峙すると背筋が泡立つのがよく分かる。本能が少女を恐れているのだ。同じ海精なのにセノルとはまるで桁が違う、膨大且つ濃密な万力カルナが渦巻いている。少女が何か気まぐれを起こせば、この場に居る全員が知覚される前に惨殺されしまうのではないか、そう錯覚してしまうには十分なが少女から滲み出ていた。


「…少し鍛錬不足なのは認めますが、私をこうも容易く吹き飛ばせるのは貴方達くらいです」

 セノルはそう言うと、服についた汚れをはたく。そして、リリアの方へと歩いて向かう。

「あははははッ違いない違いない。〈堅忠〉は堅さと忠義だけが取り柄だもんねぇ。キミが今の〈堅忠〉の契約者だね」

 少女は笑いながらリリアを見つめる。

御慧眼ごけいがん感服しました。―名のある大海精様とお見受けします。私はリリア・ラライン。大海精〈堅忠〉を従える者です」

 リリアは、膝を折りそう答える。自分の契約するセノルと、少女の海精として格の違いを理解したが故の態度だ。


 少女は、リリアをつまんなそうに見つめた後に、ラリクスを見つめると眼を輝かせた。

「ふ~ん。それだけ?…じゃあ気のせいかな。―で、召喚主の事だけど、…尊くも力強いその御力、キミがボクのご主人だね」

 少女はスカートの裾を摘まむと見事なカーテシーをして見せた。

「ボクは七海精騎士〈暴力〉のシェミー。キミの手足となって働く忠実な海精だよ。ご主人、キミの名前は?」


「はぁ!?」

 驚愕の声が、二人の会話に割り込み、話の進行を阻害する。その声にシェミーだけではなくラリクスやクルルスの視線を集めた元凶たるリリアは非礼を詫びる。

「話の腰を折ってしまい申し訳ありません。…失礼を承知で申し上げますが―あ、あの七海精騎士ですかッアハトルア帝国の?」

「アハトルア以外に、どんな七海精騎士があるのさ!…次はないからね」

「弁えております」

 シェミーに睨まれリリアは寿命が縮まる思いで、頭を下げる。余計な言葉はもう聞かないとばかりに、不機嫌になるシェミーを前に、必要最低限の言葉を発し、リリアは口を閉じた。

(何だって“あの”〈〉がこんな所に来るんだい!『決闘の儀ウォータラ・カマール』よりも、の方が価値があるって言うんかい?)


 軍事国家として名高いアハトルア帝国の皇帝に代々仕える7体の海精による騎士団、七海精騎士。その実態と戦闘能力の高さの噂は、近隣諸国だけでなく、遠く離れた地にもよく届いている。その強さは連合海軍ラスタ・フォーデに匹敵すると云う話だ。

 同時に決闘の儀ウォータラ・カマールを経た後に、歴代の皇帝に忠誠を誓い、正式に契約を交わすこともリリアはよく知っている。

 だからシェミーという名と〈暴力〉という称号を聞いた時、リリアは物凄く驚いた。


「話の邪魔が入ったから改めて聞くね。ご主人、キミの名前を教えておくれ」

 シェミーはラリクスの目を見て、再び問うた。自らの主人となる者の名を。

「僕は…、僕の名はラリクス。虹色の海パンゲアを見つける大航海士になる男だよ」

「ラリクス…〈海に導かれし者〉か。いい名だね。このまま直で契約を交わしてもいんだけどいにしえの盟約で、海精の契約にはがあってそれに則らないといけないんだ。残念だけどボクはご主人がご主人に相応しいか試さなきゃいけない。―受けてくれるかい?」

 シェミーは真剣な表情でラリクスの目を見つめる。ラリクスならば己の試練を越えられると、そう強く確信した表情だ。


 ラリクスは気を引き締めて、ゆっくりと頷いた。そしてどんなことが起きても対応できるように、剣を抜き構えた。そして剣気を研ぎ澄ます。

 ラリクスの鋭い剣気に当てられシェミーは口笛を吹くと笑みを浮かべた。

「あはははは!いい剣気だね。だけどそう身構えないでいいよ。キミはもう戦士として〈強者〉の域にいる。戦士の心構えも覚悟も充分だ。さてはセノルにでも揉まれたね?―試すのは〈超越者〉、〈英雄〉としての心さ。ご主人、―ボクはキミを信じてるから」


「―っ!?」

 瀑布の如き濃密な殺気に当てられラリクスの意識は飛び掛けた。

 セノルやクライフォードのそれとは次元が異なる、100通りもの死が幻視出来る凄まじいものだった。本能が、『死』を認識し、震えあがる。脳が死んだと勘違いし、心臓や肺が機能を停止する。腹を空かせた猛獣どころの騒ぎではない。

 物理的に『死』が顕現しやって来たかの様だった。目の前が暗くなり、耳が遠くなりラリクスは静寂なる暗闇に閉じ込められた。


 脂汗が大量に吹き出し、手足は痙攣を起こし、剣を握る手が緩みつつある。

 剣が少しずつずり落ち、あともう少しで手から零れ落ちる、その寸前―ラリクスの脳裏をクルルスがよぎった。


 ―クルルスと出会ったあの日、九つ諸島を飛び出し、大冒険をする為に、大海原に飛び出した『あの日』が。


 ―クルルスと星空の下で、未来を語り合った『あの日』。


 ―船で、船の上で決闘をした、懐かしき『あの日々』が。


 走馬灯の如く、ラリクスの脳裏をよぎる。そうだまだ死ねない。


 死ぬわけにはいかない。剣を取れ。

 手足の感覚はとうに無いし、視界も聴覚もとっくに失せた。

 だがやれる筈だ。―視界が無いくらいで何になる?心の剣が失せた訳ではないだろう。視界が潰れたくらいで、感覚がなくなった位で、剣が握れなくなるとは―どれだけ腑抜ければ気が済むんだ、お前は?


 ラリクスは、と《眼》を見開いた。

 ―その刹那、世界に、視界に刺激が戻った。

「かひゅ!げほっげほっ…ぜえ、ぜえ」

 肺が再び、血液に酸素を取り込もうと荒々しく動き出し、目は鮮やか色を再び瞳に写し、耳は美しい音を拾い始めた。全身が酸素を供給しようと暴れ、心臓は留まった血液を全身へ送らんと脈動を再開した。


「流石はご主人、合格だ。見事。どう?死の世界から舞い戻った感想は?これが英雄の世界、海王の立つ領域だよ」

 シェミーはそう言うと。ラリクスに手を差し伸べた。再び巡って来た血液に、身体が驚き脱力してしまったのだ。つまり、端的に今のラリクスを言い表すならば『腰が抜けた』である。

「へ?あ、う。…な…で?」

 手が震える。どういう訳か視界が霞んで前が見えない。心臓は走り終えたばかりの様に荒々しく動いているし、久方ぶりに空気を吸っているかの様に息苦しい。

 ―自身の状態を正しく認識しきれていないラリクスは、何が何だか分からず混乱の坩堝にいる。

 シェミーは、ラリクスの手を掴むと立ち上がらせた。

「ボクの覇万力技スピナラーターでご主人の身体は勝手に死んだって判断したんだよ。だから、一瞬だけ死んでた。苦しいのはその反動さ。…それにしても凄いね。意識を保っていた時点で合格なのに、まさか自力で蘇生するなんて。尊く力強いのは万力カルナだけじゃなかったんだね。魂の輝きまでもがボク好みだよ」

 ボク好みという言葉にクルルスは頬を膨らませて不満気であったが、シェミーはそれを無視する。ラリクスも、そもそもクルルスが視界に入っていないので気が付かなかった。



「…ごう、かう?―げほっげほっ。…っ!?」

 シェミーの言葉で自分が今何をしている最中なのか思い出したラリクスは、シェミーの手を離すと自力で立ち、目を瞑り息を深く吸い込んだ。そして雑念を心から追い出す。すると、荒々しかった鼓動は次第に落ち着いていき、乱れに乱れた呼吸は一定の拍動を取り戻した。

 喉が痛むが、ラリクスは唾を飲み込み咥内を潤すとシェミーの目を真っすぐ見た。


 その様子にシャミーは目を丸くし驚いていたが直ぐ笑顔に戻った。セノルも少々驚いていたようだ。

「…僕は君から見て合格かい?腰が抜けたりして情けなったと思うけど」

「情けない?ご主人が?とんでもない。ご主人、キミは凄いよ。長いこと存在してきたけどボクの覇万力技スピナラーターを受けて意識を保っていられた奴なんて片手で数えられるくらいしか居なったよ。それでね?試験のことなんだけど―」

 シェミーはいつになく真剣な表情をする。それにラリクスはおろか、クルルスにクライフォードも、そしてリリアも固唾を飲んで成り行きを見る。

 シェミーは右手の親指をあげると、にかっとあどけない満面の笑みを浮かべた。

「文句なしの合格だよ!ご主人、一緒に虹色の海パンゲアに行こうよ!ご主人なら辿り着けるよ!きっと、必ず」


 シェミーはラリクスの手を取ると、両手できつく握りしめた。シェミーの腕から、手から膨大な万力カルナの奔流が溢れ出ると、幾重もの巨大な式術陣が同時に展開され、シェミーとラリクスを囲い渦巻く。

 それは天界に輝く星々の様に眩く、悠久に波打つ大海原の如く厳かに脈動している。まるで、世界そのもののようだった。


『力の神の眷属。アハトルア帝国七海精騎士が一体〈暴力〉のシェミー。海の申し仔たるラリクスに仕えること我が神の神格に懸けて此処に誓う。偉大なる大海原よ。そを流る万象潮流を以て、広大なるまなこで見届け給え』

 巨大な式術陣が収束しはじめたかと思うと、それはとなり、シェミーとラリクスの腕に何重にも絡み付いた。そして蛇の刻印を、ラリクスは右手の甲に。シェミーは左頬に、刻み付けられた。


 いきなりの事に茫然とするラリクスのに接吻をすると―、

「これからもよろしくね!ご主人!」

 身体が靄の霞み、風に煽られた煙の様に霧散し、消えたのであった。




 ラリクスと契約を交わした名のある大海精。それは嵐のように全てを掻き回す〈災害〉の如く、場を引っ掻き回し、消えていった。

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蒼き大海原の羅針盤 〜Romance dawn compass〜 鬼宮鬼羅丸 @odekira

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