第三章その1

 第三章:お祭りランナウェイ!


 彗星の最接近が三〇日を切った八月の登校日、午後はみんなで火の国まつりだ。

 火の国まつりとは毎年八月第一週の金曜日から三日間、熊本市中心部で行われるお祭りで、特にメインイベントである「おてもやん総おどり」は六〇以上の企業や団体、総勢五〇〇〇人以上が熊本の民謡「おてもやん」や軽快な「サンバおてもやん」を、市電が通るメインストリートで踊る。

 その光景は夏の熊本の風物詩だ。

 花崎千秋は少し早く登校し、中庭のベンチに座って野菜ジュースを飲みながら同じく朝練前の空いた時間に来た駒崎八千代にこの前のことや、高森先生に告げ口したことを話す。

 八千代は寂しそうだが、同時に羨ましそうな表情で耳を傾けていた。

「――でも、あの一件で駒崎さんたちが夏海に拘るのがわかったわ。大人しくて気弱で泣き虫な子かと思ってたけど……本当は芯の強い子なんだって、春菜が気にかけたのもわかる気がする」

「うん、夏海は我慢強くて人一倍悩むから……だからこそ、壊れちゃったのかもね」

 八千代は千秋にぎこちないが、どこか晴れやかな笑みを見せる。

「……私のこと、憎いとは思わないの? 守屋さんから聞いたはずよ」

「うん聞いたよ、あの時さ……恵美には悪いけどホッとしたんだ。誰かが暴走を止めてくれたって、二組の子達も怒ってないしさ、むしろ……止めてくれてありがとう」

 八千代の悲しくも晴れやかな瞳に千秋は言葉を返す気が出ず、見つめたままでいると無理矢理明るく振る舞ってるのも見え見えだった。

「ところでこの前さ! コンクールの予選突破して九州大会の出場が決まったの……火の国まつりが終わったら合宿だって……柴谷先生ったら楽しい合宿にしましょうね! って、夏海がいないのは寂しいけどね」

「なんだ風間さんがいなくても行けるじゃない」

「柴谷先生のおかげよ! あの人は……吹奏楽――いいえ、音楽の楽しさや素晴らしさを思い出させてくれたの……だから厳しくても楽しく生まれ変わった吹奏楽部に戻ってきて欲しい、でも無理強いするわけにもいかないから」

 八千代も諦めきれてないんだろう、すると彼女はスマホを取り出して見せる。

「これさ、桜木さんでしょ? 今朝ネットのニュースになってたわ」

「ええ、私もやったわ。フォロワーさん達も早速真似してる」

 千秋もスマホを取り出して自分のアカウントを見せる。この前の夏休みに春菜が何気なくやった悪ふざけがちょっとしたブームになってるらしい。

 やり方は非常に簡単だ。まずノートにいくつかの夏休みの予定を書く、千秋の場合は今日行く「火の国まつり」とか「海水浴」「湘南旅行」「彗星観測」とかの間に「夏休みの宿題」「夏期講習」「テニス部復帰」とか夏休みを過ごす学生がやりたくないものを書いて、それを赤ペンで×印を付け、それをスマホで撮ってSNSにアップするという。

 中には社会人も上げていて「就職内定」「実家に帰省」「仕事」に×印を付けてる人もいた。

 千秋は八千代にアカウントを教えるとクスクスと笑いながら言う。

「テニス部復帰に×なんて大神先生が見たら卒倒するわよ」

「まっ、これも復帰しないっていう意思表示よ」

「夏海も上げたかな……楽しいこといっぱい書いてあるといいな。あっ、でも吹部復帰に×印されたら凹むかも」

 苦笑する八千代の言葉に千秋はまるで何か諦めるきっかけを求めてるようにも感じると、八千代はベンチを立って背を伸ばした。

「さて! 今日も練習頑張らなきゃ! 火の国まつり、みんなと回るんだよね? 夏海のことよろしく頼むよ! 恵美みたいに諦めの悪い奴ら、まだいるから気をつけてね」

「うん……わかった」

 千秋は野菜ジュース飲み干すと気を引き締める。守屋恵美のようにまだ諦めてない奴がいるのなら、このことをみんなにも伝えておかないといけない、吹部の人たちも火の国まつりに遊びに来るだろう。



 夏海が守屋恵美をビンタした事件は既に学校の隅々まで広まっていた。朝霧光のクラスでも早速、クラスメイト――特に吹部に所属してる男子や女子は勿論、上位グループに属する人からも質問攻めを受け、光はゆっくり思い出しながら話してる間、みんな耳を傾けて聞いてくれた。

「――それで怒った風間さんは守屋さんを引っ叩いたんだ。自分のことはいくらでも言っていい、だけどみんなを傷つけるのなら許さないって、その後はみんなで逃げたさ」

 光は一通り話した。あの後は千秋が家に案内して帰省していた姉が美味しいソーメンを作ってくれた。

 ソーメンは美味しかったが、その時に見せた千秋の優しい表情がとても印象的だった。

「……そうか、友達のために……これも青春だな」

 聞いている生徒の中にいつの間にか大神先生が紛れ込んでいて、気付いたみんなは「うわぁあああ!」と天地がひっくり返らんばかりに驚き、仰け反り、尻餅つく者もいて最前列で聞いてた倉田は呆れた口調で言う。

「先生いつの間にいたんすか」

「脅かさないで下さい、ビックリしましたよぉ……」

 竹岡も肝を冷やしたらしく、同感だと言う生徒たちの声が次々と飛ぶと大神先生は「すまんすまん」とみんなに謝る。いい歳して所帯持ちなのに、まるでみんなの兄貴みたいな人がそのまま歳を取ったような先生だ。

「朝霧、最近桜木や花崎と仲良くしているなら伝えてくれないか? 早くテニス部に戻ってこい! 先生や部活のみんな、そして他校のライバルたちが待ってるぞ! ってな!」

「先生クサいし自分で言ってください。それ……僕が言っても首を横に振るだけだと思いますよ」

 大袈裟にポーズを取る大神先生に光は呆れるしかなかった。

 確かに春菜と千秋は一年の頃からテニス部のレギュラーでインターハイでも派手に大活躍したらしい、だからこそ突然二人が退部したことは細高は勿論、他校のテニス部でも衝撃だったのかもしれない。

「そんじゃお前ら、ロングホームルーム始めるぞ」

 大神先生が席に着くように促すと、竹岡は手短に誘った。

「朝霧、倉田、今日の火の国まつりは俺たち――」

「悪いが俺はもう先約が入ってる」

 倉田はそう言って席に着くと、光もハッキリ言う。

「ごめん、僕も風間さんたちと行くから」

 光は石のように固まった表情の竹岡を置き去りにして席に着いた。


 登校日が終わるとそのまま火の国まつりに行く、小泉八雲熊本旧居前に集合して早速みんなで町を回りながら、光は大神先生からの伝言を春菜と千秋に伝えた。

「無理無理無理無理無理! 絶対無理だし絶っ対復帰しない! せっかく自由を謳歌してるのに! あんな練習漬けの日々なんて絶っ対戻りたくない!」

「大神先生ことあるごとに理由をつけて私たちを復帰させようとするのよ」

 案の定春菜は激しく拒絶し、千秋は溜め息吐いて言うと望は一定の理解を示した。

「テニス部のレギュラーでインターハイに出るほどの優秀な二人が、ある日突然やめてしまったんだ……優秀な人間ほど替えがきかないからね」

「それでもあたしは絶対に戻らないわ。そうだ夏海、あれちゃんと持ってきたよね?」

 春菜は断固とした意志を見せると、話題を変えて夏海に訊いた。

「うん、ちゃんと持ってきたわ」

 夏海は鞄に引っかけてる水色の防犯ブザーを見せると、冬花も白い同じ物を見せた。

「ああ、これあたしも持ってる! 望君が誕生日に買ってくれたの!」

「……鳴らすと一二〇デシベルになる、使う時は躊躇わずにね」

 望は少し照れながら言うと春菜は「よろしい」と言わんばかりに頷き、千秋も表情を少し険しくさせながら注意を促す。

「まだ守屋さんみたいに諦めてない子もいるから気を付けてね。特に男子に絡まれた時には遠慮なく使っていいわ」

「うん、ありがとう」

 夏海は笑顔で頷く、その笑顔を僕に向けてくれたらどんなに素晴らしいものだろう。

 光は夏海と手を繋いで歩きたいと思いながら、その綺麗な横顔に見とれる、近づきたい、手を繋ぎたい、抱き締めたい、キスしたい、一緒に彗星を見上げたい。

 光は悶々としながら屋台を回っていろんなものを食べたり、熊本出身のお笑い芸人やローカルタレントが出演する特設ステージを見て一緒に笑ったりしてるうちに、メインイベントのおてもやん総おどりが始まる。

 熊本県民の間ではお馴染みの軽快な「サンバおてもやん」が流れ、市電が走る電車通りは踊る人達、下通アーケードも見物客で埋め尽くされ、望が隙間をすり抜けながら手招きする。

「みんな、始まったよ! こっちこっち!」

 みんなが後に続く。人が多くて気を付けないとはぐれそうだ。

「あっ……みんな待って」

 いつの間にか夏海は光の後ろにいる。行き交う人で分断されそうになり、はぐれそうになった時、光は手を伸ばす。

「風間さん! 手を伸ばして!」

 夏海は一瞬戸惑うような表情を見せた後、強い意志を秘めた眼差しとなって光の手を掴む、そして引き寄せると勢い余って懐に飛び込んでしまうが光はよろめきながらもしっかりと受け止め、夏海の心地好い感触と匂いで思わず頬を赤らめた。

「だ……大丈夫? 風間さん」

「うん……ありがとう朝霧君」

 夏海も頬を赤らめながら愛らしい艶やかな笑みで頷くと、光の全身の血液が緩やかに熱くなって流れる時間が引き延ばされ、周りの行き交う人たちがスローモーションに見えた。

「い、行こう……離れないようにね」

 光は照れ隠しに表情を強張らせて前に向き直って一歩を踏みしめると、目と鼻の先に春菜の背中が立ち塞がってぶつかりそうになった。

「うわっ! 桜木さん、いきなり――」

 春菜に一言言おうとして横顔を覗くと戦慄した表情を見せていてまさか吹部!? と、視線の先を辿ると一歩引いた。担任の大神先生が腕を組み、怖い笑顔で仁王立ちしていた。

「よぉ朝霧、ちゃんと桜木と花崎に伝えたかい?」

「夏祭りに不純異性交遊なんて、褒めらたものじゃないわね」

 しかももう一人、玲子先生が瞳に大人げない嫉妬の炎を燃やしながら大神先生とは別の意味で怖い笑顔を見せていた。因みに玲子先生は三〇代後半の独身で嫉妬深く、特に生徒の色恋沙汰には敏感だという噂だがどうやら本当らしい、その証拠に夏海と繋いだ手に視線を注いでいた。

 望は「こんばんは」と気楽に挨拶してるが冬花は「あわわわわ」と動揺し、夏海は気まずい表情になっていて、千秋はキッとした眼差しで構えて凛とした声を響かせる。

「逃げて」

 その一言で光を含めてみんな「えっ?」と反応すると千秋は叫んだ。

逃げてR u n!」

 反転して千秋はダッシュ! ゼロコンマ数秒後に反応したのは春菜で次に冬花と望、そして光は夏海の手を引っ張って走り出し、来た道を逆走した。

「ぐぅううううおぉおおおるぅうううううああああああ!! 待ちなさい!」

 玲子先生のドスの利いた声が後ろから響き、振り向くと大神先生も一緒に追いかけてきた。ヤバイ! 光はみんなに叫んだ。

「みんな散らばれ! 合流はLINEで!」

 光は叫ぶと千秋は春菜を連れてTSUTAYA書店のある三年坂方面へ逃げると、大神先生が追いかける。二人の無事を祈りつつ、光は玲子先生から振り切るためアーケードを抜けて熊本市役所方面へと走った。

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