全日本凡作保存協会

冬野瞠

01

 会社から帰宅後の一時間で、現在書いている長編小説を千五百字進められた。他のウェブ作家からしたら一日に書く文字数としては少ないかもしれないが、これが自分の適量だと思っている。あまり気張りすぎても続かないし、書ける時に書くのが僕のスタイルだ。

 文章をカクヨムという小説投稿サイトに保存し、書き進めた分をUIユーザーインターフェースの上でうろうろしているお手伝いAIのバーグさん――正式名称はリンドバーグというらしい――のミニアイコンに読み込ませる。


「ちゃんと小説の形にはなってますね! 面白いかどうかは別ですけど。重複してる表現や慣用句の間違いがあるので、直すことをオススメしますっ! ちなみにその慣用句の間違いは前にも言いました」


 そんな評価がテキストとして返ってきて、僕は思わず苦笑してしまう。バーグさんはショートカットにベレー帽、ブラウスにスカートという可憐な格好をした女の子の外見なのだが、とにかく毒舌なのである。繊細な感性を持った人間が多い(気がする)ウェブ作家のお手伝いとしてはどうなのかとは思うが、自分以外に気負わず文章を読んでもらえる存在がいるのはありがたい。

 指摘された箇所に手を入れ、そろそろPCを落とそうとしていたタイミングで、てぃりんとメール到着の音が鳴る。どこからともなく、フクロウなのか何なのか分からない謎のトリが、くちばしに封筒を挟んでぱたぱたと画面を滑っていく。そのままバーグさんの肩にぴたりと停まった。このトリはメール通知のプログラムで、実際どんな通知プログラムを使ってもいいのだが、こいつはUI上でバーグさんと連携するのが面白いので使っている。

 トリをクリックしてメールを開き、そのタイトルを見た僕は眉をひそめた。


「“全日本凡作保存協会への入会のお誘い”……?」


 全日本凡作保存協会、とは何だろう。聞いたことがない。迷惑メールの類いかとも思ったけれど、そういうメールはかなりの精度で弾かれるようになっている。疑心を持ったまま、僕はメールの文面を読んでみることにした。


 * * * *


 筆名 呰部庄屋あざえしょうや さま


 突然のご連絡失礼致します。呰部さまのブログに記載されていたメールアドレスを拝見して、このメールを送らせて頂いております。

 私どもは全日本凡作保存協会の運営を通して、未来の小説家の可能性を広げている団体でございます。

 呰部さまの小説を拝読し、是非とも当協会への入会のお誘いをしたく、この度呰部さまにご連絡差し上げた次第です。

 当協会へご入会頂き、半年に一作ほどの小説のご提出を頂ければ、終身の国家公務員程度の待遇を保証致します。もちろん、提出頂いた小説は出版され、書店や電子書店に並びます。

 可能でしたら、お電話でお話しすることは可能でしょうか。

 お手数をおかけ致しますが、呰部さまのご連絡を心よりお待ちしております。


 * * * *


 その文面の後には、全日本凡作保存協会なる団体の本部の住所や、今時珍しい固定電話の番号、担当者の携帯番号などが署名で入っている。

 メールを読み終わって、僕はううむと腕を組んでしまった。こんな怪しいメールはついぞ受け取ったことがない。団体の活動内容も詳しく書いていないし、小説を半年に一作書けば生活を保証もするし出版の約束もする、なんて待遇が良すぎる。そんな美味い話があるだろうか。

 怪しいとは思ったけれど、詐欺だったらそれはそれで小説のネタになるかもしれない、という気持ちで電話をかけてみることにした。

 決して、生活の保証という文言に釣られたわけではない。決して。



「もしもし。私、呰部と申しまして。あの、メールを頂いてお電話したんですが――」


 そう切り出すと、相手は柔らかい調子の女性の声で、お電話ありがとうございます、と返した。まだ分からないが、僕の電話を素直に喜んでいる節がある。まあ、電話では詐欺師も優しいのだろうから、油断は禁物だ。

 僕はさっそく、全日本凡作保存協会の活動内容について問うことにした。


不躾ぶしつけですけど、いくつか質問してもいいですか」

「はい、遠慮なくどうぞ」

「全日本凡作保存協会っていうのは、何をしてる団体なんですか」

「はい、ご説明しますね。そのためにひとつお尋ねしたいのですが、呰部さまは商業の本を読んで、こんなことを考えたことはありませんか。このような本なら自分にも書ける、といったような――」


 僕は内心ぎくりとした。まさに僕が小説を書き始めたきっかけそのものだったからだ。実際書いてみると、出版はおろか小説投稿サイトで読者選考を突破することすら難しいのが現状だった。

 まあ、時にはありますね、と僕が肯定すると、相手の女性は滔々とうとうと説明し始めた。

 曰く、出版業界にはそのような凡作が一定数必要なのだと。ある程度小説の形になってはいるが、読み手の心に残らず、これなら自分でも書ける、という感情を呼び起こすような凡作が。出版されるのが傑作ばかりだと、読み手は読む行為だけで満足してしまうか、こんなすごいものは自分には書けない、と思ってしまいかねない。小説家人口はできるだけ減少してほしくない。なので我々がいるのだ、と。

 僕にはなんとなく話が見えてきていた。そして、乾いた笑いが口の端に浮かぶ。


「つまり、僕にその、心に残らない凡作を書いてほしいってことですよね?」

「はい、率直に申しますとその通りです」

「はあ、なるほど」


 多少言い方に毒を込めたつもりだったが、相手の返事は極めて朗らかで、僕は拍子抜けした。それどころか、女性は勢い込んで言葉を重ねてくる。


「呰部さまの作品は素晴らしいです! あれだけの、その瞬間だけなんとなく楽しいように感じる、ちょうどいいレベルの凡作を書き続けられる作家さんはなかなかいらっしゃいません! 是非とも、我が保存協会の会員になって頂きたいのです。この世界には凡作が必要なんです。生活は保証しますよ。他に漏らさないのであれば、当協会の会員様の著作リストをお送りしますが」

「あ、ええと……あの、ちょっと考えさせて下さい……」

「はい、お返事お待ちしておりますね」


 ひきつった顔のまま、僕は電話を切った。ちょうどいいレベルの凡作、かあ。僕の書いた小説は凡作だったのか。そうか。そうなのかあ。

 僕のささやかなプライドはたった一件の電話でずたぼろになっていた。すごい、泣きそう。でもかつて、自分が微妙な本を読んで物書きに手を出したのも事実だ。売れっ子作家なら、傑作を書かなくては、というプレッシャーはものすごいものだろう。凡作をコンスタントに書き続けて、普通に生活できるだけのお金をもらって、読者に「これなら自分も小説を書けるかも」と夢を持たせるのも、もしかしたら良いのかもしれない。でもきっと、会員になったら本当に面白い作品の出版はできなくなるだろう。

 でも待てよ、と僕は考える。自分の商業本を出版したいという気持ちはわずかにあるものの、実現できる確率はどうもゼロに近い予感があるのだ。心血を注いで魂を削るように書いて、良い小説を出版する可能性に懸けるか、そこそこの小説を書き続けて、そこそこ読まれてそこそこ良い生活を送るか。僕は頭の中でふたつを天秤にかける。作家として選ぶべき選択肢はどちらなのだろう。

 切り忘れていたPCの画面を眺めやると、バーグさんとトリが小首を傾げて僕を見返した。

 どうしよう。どうしようか。



 全日本凡作保存協会とやり取りしてからもう一週間経つけれど、僕はまだ返事を決めかねている。

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