【KAC10】至高の一篇

牧野 麻也

カタリとバーグとトリさんと

 空に浮かぶ飛行船の展望室に、見るもの全てに興味津々といったキラキラした目をした少年がへばりついていた。

 フワフワの赤毛に白い帽子を乗せた、ショートパンツ履いててもギリッギリ許される程の少年である。


 その肩には、丸い……鳥、とギリ形容出来なくもない物体が乗っている。

 柔らかな茶色い羽毛と黄色い小さなクチバシのお陰で、なんとか『鳥』と判別可能なレベルではあるが。

 その鳥がバタバタと小さな翼をバタつかせて少年に何かをせっついていた。


「え? え? なにトリさん。

 今ちょうど綺麗な山が見えてきたトコなのに。

 ──は? 飛び降りろ?

 意味わかんない。

 え、飛行船を人に見られちゃダメなの?

 なんで? 歴史? まだ開発されてないって……意味わかんないってば。

 え? ちょっと……引っ張らないで!」

 少年の肩口を短い足で掴んだトリが、バタバタと暴れてとある方向へと少年を導く。

「え、嘘でしょ? マジで──

 うわぁぁぁ!!」

 少年が搭乗口付近に立った瞬間、その扉が自動的にズバンと開き、巻き起こった猛烈な風に煽られて、少年は外へと放り出された。


 猛烈なスピードで空中を自由落下する少年。

 その横には、丸い物体──トリが、その羽根をシャキンと広げて……一緒に自由落下していた。

 飛べないのだ。トリだけど。


 少年はストラップをつけて肩がけしていたタブレットをバシバシ叩く。

「バーグさんバーグさんバーグさん!! 助けて助けて助けて!!」

 すると、今まで真っ黒だった画面に女の子の顔が映し出された。

 亜麻色のショートボブに、薄水色のベレー帽を被った年若い少女が

「はーい。呼ばれて飛び出ずじゃじゃじゃじゃーん。バーグさんですよー」

 満面の笑みでそう応える。


「今そういうのいいから!! 助けて死んじゃう!」

「ああ、大丈夫ですよー。私はAIですからね。タブレットはあくまで端末でいわば影分身。本体は──」

「違うよボクが! ボクが死んじゃうの!!」

「あははっ。カタリくんが? なんで?」

「見て気づいてこの状況! のんびり会話してる時間も惜しいんだけどっ!!」

「最近のAIは賢いですからねー。状況判別は得意ですよ。しかも、喜怒哀楽もあるって凄くないですか? AIなのにちゃんと感情があるなんて──」

「だからそういうの今いらないってばっ!!」

「もー。仕方ないですねー。えーい」

 画面に映った少女が、えいっと指で画面側に指をペタリとくっつけると、少年が肩がけしていた鞄の中からボフンという煙とともに、布の塊が飛び出してくる。

 その布がグルリと少年を包み込み──何の不可思議な力が働いたのか──パラシュートへと早変わりした。

「あー……良かった」

 パラシュートにぶら下がりながら、少年──カタリがホッと一息つく。

 パラシュートの頭の部分には、ちょこんとトリが止まっていた。

「あー。カタリくん。パラシュートって、着地が一番事故率が高いって知ってます? 統計データによると、着地失敗により足を骨折したのが──」

「だから、今その話いる?!」

 タブレットの中の少女と少年の掛け合いは、彼が無事に着地したものの、パラシュートが絡まって脱出するのに二時間もかかった、その間もずっと続くのだった。


 ***


「ここが、その子のいる場所なの?」

 少年──カタリが大木の陰に隠れながらボソリと呟くと、その頭に乗ったトリが彼の言葉を肯定するかのようにポフンとまん丸に膨らむ。

「女の子? あ、そうなんだ。名前は? ──え? 知らないってどういう事?」

「はーい。そこは賢いバーグさんが解説しちゃいますよー」

 カタリが肩から下げられたタブレットに、呼ばれてないのに少女──バーグが顔を出す。

「この時代はですねー。本名を明かさないのが普通なんですよ。

 役職名や地名にちなんだアダ名みたいなもので呼び合うのが通例なんです。

 男性は役職に就く時にどうしても本名で天皇にご報告する必要があったので、そういった文書に名前が残ってるんですが、女性はまつりごとに関わりませんでしたからねー。

 本名が後世に残らなかったんですよ」

「え? じゃあ何て呼んで呼び出せばいいの?」

「そういう時はですねー。行け! トリ!!」

 バーグがビシリと指差すと、それに応じてカタリの頭に止まっていたトリがズビシと両翼を広げる。

 そしてフワリと浮いて、少し離れた場所にある家屋の中へと飛び込んでいった。

「飛んだ?!」

「私の力ですよー」

「そんな力がバーグさんにあるの?!」

「むしろ、私が居ないとトリはただの丸い物体レベルですね」

「……バーグさん、トリの扱い雑くない?」

「そんな事ないですよー」

 カタリがちょっとバーグの事を怖いな、と思った時──


「きゃあ! 何コレ?! まり?! ……じゃない。柔らかい。え? 何コレ。

 ……もしかして、鳥? ……なのかな。え? 外へ行きたいの?」

 家屋の中からドスンバタンと音がする。

 そして、縁側に一人の少女と、その両手に鷲掴みされたトリが姿を現した。

「チャンスですカタリくん!」

「はい!」


 バーグの言葉に応じて木の陰からカタリが飛び出し、縁側に立つ少女の前に躍り出た。

「きゃあ!」

 少女は手にしたトリで慌てて顔を隠す。

「大丈夫! 怪しい者じゃないよ!」

 バチコンとウィンクを飛ばしたカタリは、恐る恐るトリの陰からチラリと覗く少女に向かってズイっと胸を張った。

「だ……誰?」

「ボクはカタリィ・ノヴェル! そしてこっちが」

「リンドバーグですよー。バーグさんって、ちゃんと『さん』付けで呼んでくださいね。でないと怒っちゃいますよー。

 ふふっ、嘘です。私は賢いAIですからねー。そんな事じゃ怒りません。

 AIには感情が生まれるはずないって言う人もいますが──」

「長い、長いよバーグさん」

 カタリが、止めないと話をやめないバーグにゲンナリとした顔をした。


「え……もしかして、私にご訪問?」

「……? うん、そうだね。ボクはキミに会いに来たんだ」

「でもっ……まだ私、裳着もぎもしてないのに……早いですよっ……」

「……ん? どういう事?」

「はーい。ここでまたバーグさん活躍!

 この時代、男性が家に現れて女性に名前を告げるって、結婚の申し込みの意味があったんですよー。だって言ったでしょー。本名は明かさない通例だって。

 相手に顔を見せて名前を告げるって事は『好きです結婚してください』ってどストレートに告白したも同然なんですねー」

「早く言ってよ!!」

「えー。私、早口言葉は苦手なんですよー。AIなのに? って思わないでくださいねー。これは人間らしくある為に──」

「空気読んでっ?!」

「はいはーい」

 画面を差し向けられたバーグは、恥じらう少女に渋々と状況説明を始めるのだった。


 ***


「私の『中』にある……物語?」

 縁側に、そう呟きながら小首を傾げる少女と、頭にトリを乗っけたカタリが並んで座っている。

 間には、バーグの顔が映し出されたタブレットが置かれていた。

「そう。ボクはこの『詠目ヨメ』で、それを引き出す事が出来るんだ。

 キミの『中』にある物語は、世界中の人の心を動かすんだよ! もしかしたら『至高の一篇』かもしれないんだ!」

「でも……」

 少女は首をフルフルと横に振る。

「私には……出来ないよ。だって、あんまり賢い事を表に出しちゃダメって父上が……」

「え? なんで?」

「この時代はですねー。貴族は通い婚が通例なので、『キレ者』って噂が立つと男性に敬遠されて結婚できなくなってしまう事もあったんですよー」

「そうなの……だから……」

 少女は、カタリの頭の上からトリを目にも留まらぬ速さで奪い取ると、サッと顔を隠してしまった。


 しん、と沈黙が舞い降りる。


「……ダメだよそんなの!」

 静寂を破ったのはカタリ。

 片膝立ちになり──ついでに少女が顔を隠すのに使ってるトリをハタき落とし──少女にズイっと顔を寄せる。

「ボクにはキミの才能が見えるんだ! キミの中にあって、紡がれるのを今か今かって待ってる物語が!

 それに!

 その物語を待ち望んでいる人達の姿も!!」

「えっ……」

「ボクには分かるんだ! キミの物語が、何千何万の人々の心を虜にするのを!

 キミの物語が『至高の一篇』なのかもしれないんだよ!?

 ボクも、それが読んでみたいんだっ!!」

 少女の細い肩を掴み、カタリは必死に語りかける。

 その左の瞳の奥の光が──


 少女の心の奥へと突き刺さった。


「……書いてみる」

 少女がポツリと呟く。

 その途端、カタリの顔がほころぶ。

「ホント?! ありがとう!

 キミの物語は、世界中の人に喜ばれるよ! 僕が保証する!」

「バーグさんもですよー」

 床に転がったトリも、両翼をビシリと広げて同意。

「ありがとう。勇気でた。

 まだちょっと怖いけど……やってみるね。

 ……出来上がったら、最初に読んでくれる?」

「勿論!!」

「バーグさんもー」

 トリも──。


 そうと決まると、少女はパタパタと自室へと戻って硯箱すずりばこを開け、墨をすり始めた。

「まだ構想段階なんだけどね! 実は書きたいものがあったの!」

 少女は、目をキラキラと輝かせながら墨をする。


 その様子を、縁側に座りながらカタリが満面の笑みで眺めていた。

「楽しみだね。どんな物語なのかなぁ」

「え、カタリくんはもしかして、彼女の物語をまだ読んだ事ないんですか?」

「ないよ? ボク、そもそもあんまり小説って読まないし……」

「ええっ?! 彼女の物語を知らないって、この業界に存在する価値ありますかっ?!」

「そこまで言う?!」

「だって彼女の物語は、知らない人はいない、かの有名な日本最古のドロドロ愛憎劇、源──」

「だめ! やめてよ! ボクは、何も知らない状態から読みたいの!!」

「きっと原書は読めないですよ。カタリくん、日本の古語を知らないでしょ?」

「……そこは、ほら。情熱でなんとか……」

「ま、分からない箇所は私が解説してあげますよー。

 なんたって、私は賢いAIですからねっ!」

「ありがとうバーグさん!」


 そんなやりとりが、イチョウの葉のさざ波と共に、満月の明るい夜のへと吸い込まれていった。



 了

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