おわり。

あぷちろ

第一篇

 物語の終わりを見たことはありますか? 黒目がちの瞳を薄く閉じて、細くか弱い聲で彼女は囁いた。

 木造のこじんまりとした小屋の中、ぼくは、カタリィ・ノヴェルは、冗談ともとれないくらい逼迫した声色でささやく彼女の言葉に息を詰まらせた。

「あるよ」

 ぼくはやっとこさひねり出した強がりで、彼女の問いに答えた。

 窓ガラスの外には雪が積もり、一面白銀の世界だ。

「でもそれは本当の終わりじゃないです」

きっぱりとぼくの強がりは否定され、ぼくはばつが悪くなる。

「確かに、最後の文に『おわり』だとか『了』だとか、そういう文字を入れれば。でも、だからといって、その物語で生きてきた人物たちの人生物語まで終わるわけではありません。

「例え、空想の世界であっても、そこで生きた人々の人生が消える何てことはあり得ないのです。それはいくら創造主であっても曲げる事のできない不変の道理なのです。

「――だから、私は悲しいのです。たかが3文字の『おわり』という一文だけで一生懸命に登場人物たちが刻んできた足跡が目のまえから消えてしまうのが」

 彼女は心から悲しんでいる。腕を抱き、目を閉じ、口元をきつく結ぶ。ああ、なんて豊かな女性ヒトなのだろう。

 ぱちりと、暖炉にくべられた薪が弾ける。緩やかな熱気が彼女から伝わる。

「でも、それと同じほどに、私は『終わり』を愛しているのです。

「物語の末尾に一言付け加えるだけで、登場人物たちに安寧をもたらしてくれる。

「戦いの後には休息と繁栄を、恋のあとには幸せな日々を、冒険のあとには終わらない高揚を、

物語人生を閉じることによって、登場人物たちは読者私達という楔から解き放たれ、自由になるのです。

「なんて、幸せなのでしょう。困難を齎す我侭な創造主から逃れ、彼ら彼女らは真に飛び立つのです。

「だから、私は『おわり』も愛しているのです」

 そこまで、ぼくは彼女の演説に黙りこんで耳を傾けていた。ずっと、考えていた。

 果たしてぼくは彼女の心をちゃんとだろうか。不安でしょうがない。ちゃんと、詠めて、ちゃんと必要としている誰かに届けられるだろうか。不安で押しつぶされそうだ。

「さあ、カタリさん、私を詠んでください。そして私を運命のヒトの元へ導いてください」

 彼女は腕を広げてぼくを包み込む。優しく抱擁し、耳元で呟く。

 彼女の声を受け入れ、そして、ぼくは――。


 詠み人・カタリの、ぼくの抱える鞄の中には多くの物語が入っている。冒険譚や男女の恋愛、戦記ものからホラーまで。沢山の心を見て、詠んでは鞄に仕舞い、様々な人に届けている。ひとつとして同じものはない物語を必要としているヒトに届ける。それがぼくの仕事で使命だ。

 この鞄は一度も空になったことはない。

 なぜなら物語人生を渡した先から新しい物語人生が仕舞われていくからだ。

 それでも、一冊を残して、ほとんど空になったことはある。

 その一冊だけは、どうしても届け先が見つからないのだ。どれだけ世界を周っても、誰一人としてこの一篇だけは違うと言うのだ。

 ――最初に詠んだ、“彼女”の物語だけは。

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