027.TECH AEGIS

 



 青穂と背高草の揺れる郊外の広い晴道に、二機の人型機の姿があった。一つはクロノス、もう一つは、極々一般的な工事用機体――に擬態したロキである。人型機――世間的にはメタルウィングと呼ばれる機械のために作られた、郊外を通る巨大な道を、二機はスラスターとエンジンを唸らせながら進んでいる。


「大丈夫か?」


 フェンは、ロキという恐らくはとんでもなく操縦しづらいであろう機体の操縦者へ声をかけた。帰ってきたのは『問題なし……』というか細い声だったが、それも背後から聞こえてくる声で打ち消される。


『いやあ、かなり四苦八苦してますよ。全力で集中して、会話すらままならない感じです。私なら絶対に操縦したくないですね』


 聞こえてくる平坦で特徴の無い声はセルゲイのものである。彼は連れてきたパイロットと共に、ロキに乗り込んでいた。彼は人型機の操作はからっきしなのだ。


『うるさい……』


 か細い声がそう呟き、最後に思い出したかのように『です……』と付け加えた。


『いやあ、褒めているんですよ? この機体を曲がりなりにも操れているんですから。私はメタルウィングの専門家ではありませんが、社長用と聞くだけで碌でもないものだと推察出来ますね』

「そうだな。あいつに最適化されたものは、他の奴には毒だろう」


 そう言って、フェンは煙草の煙を吐き出した。既に灰皿には焼け残ったフィルターが積もっている。耐久性にのみ優れた硬質ライトに照らされたコックピットには、仄かに白い空気が漂っていた。


『ぐっ……本当に、量産型というやつの有難みを感じる……です』

『あはははは、専用機ってのはそこまで使い勝手が違うんですか?』

『当たり前、です……量産型は万人に分かりやすい基本設計を共有しているです……けど、この機体は滅茶苦茶に滅茶苦茶を重ねた様な機体、です。何より、基本制御システムが切られてる事が有り得ない、です』


 基本制御システムは、人型機の基本操作――移動や武装使用、バランス制御等をアシストしてくれるシステムである。大半の人間は、このシステムが無ければまともに機体を動かす事も出来ない。人型機のマニュアル制御は尋常で無く難しいのだ。

 尤も、一流と呼ばれる様な人種は、大抵このシステムの存在を忘れている。彼らは全てをマニュアルで操作し、システムに守られていては到底出来ないような、アクロバティックかつ予想外の動きをこなす。


 当然ながら、フェンもその存在を忘れていた。と言うよりも、インフィニティ製の機体には元々そんなものはついていないのだ。インフィニティの機体を使うのはウロボロスのメンバーだと決まっており、そもそもそんなものを必要とする人間では無いため、実装する必要が無いのである。

 扱いづらさで言えば、クロノスもロキと大して変わりないであろう。


「マニュアルで動かせるのか。素晴らしいな」

『これでも……正規のテストパイロット、です』

『ユディは昨年から雇いましてね。素晴らしい技術を持ったパイロットなんですよ。今年のWoMのセブンクロス代表にも選ばれまして……良い広告になります』

「そりゃ大したものだな。応援するよ」


 WoM――正式名称は【ワールド・オブ・メタルウィング】という、メタルウィング競技の世界大会である。戦争兵器として扱われている人型機だが、それをスポーツとして利用しているのがメタルウィングなのだ。

 巨大な機体がアリーナでぶつかり合う光景は、とてつもない迫力と興奮で人間を狂喜させる。世界で最も人気のスポーツと言っても過言では無い。

 世間的には戦争利用の風評を波立たせないために、スポーツ用の人型機をメタルウィング、戦争用をそのまま人型機動兵器と呼称している。実際、メタルウィングと人型機には結構な性能差が存在しているので、区分けも妥当な所であろう。


「速度を落とすか?」

『余計なお世話です……』

「そりゃ悪かった」


 しばらく経ち、フェン達は目的地へと近づいてきた。港から見た時には、空気の薄もやの中にぼんやりと沈んだ色を放っていた山々は、今では空気の層から解放され、明るい緑の葉を生き生きと日の中に揺らしていた。

 彼らは山々にほど近い、灰と黒金の倉庫地帯へと入った。道の左右にそそり立つ、壁のような巨大倉庫。その奥に、一際巨大な建築物が鎮座しており、またその背後には、深い緑のなだらかな山々が頭を見せていた。


「ようやく着いたか」


 テックTECHイージスAEGIS――キーラが社長を務める、メタルウィング製造会社。その本拠地である。山を背にして本部が置かれ、そこから扇状に諸々の建物が立ち並んでいる。


『フェンさんの機体――クロノス、でしたか? 2Bへ入れてください。ロキは4Aに入れましょう。一階のフロントで待ち合わせをしましょう』

『了解です……』

「ああ」


 二機はそれぞれの場所へと移動し、十分後には機体を停止させて、高所にかけられた鉄の足場へと操縦者を吐き出していた。スポットライトが煌々と輝いていながらも、何処か寒々しさを感じさせる静かな倉庫内で、フェンは一服を終えた。

 テックイージスの社内図はフェンの頭の中に入っている。倉庫内エレベーターで地上に降りると、人間用の扉から外へ出た。晴れ晴れとした太陽が、メタルウィング荷重のために特殊舗装をされた地面に照りつけている。山を背にして悠々と陽の光を浴び、ぴかぴかと輝いているテックイージスの本社に向けて足を進めた。


 建物の中は空調機によって適度な温度に保たれていた。自然と鉄の香りが混ざりあった外の空気とは違い、人工的な清涼感に満ちた空気である。

 フロントはがらんとしており、各所に通じる幾つもの廊下と中央階段、四機のエレベーター、つやつやと輝く滑り止めのかけられた床がしんとしたままフェンを迎え入れた。右手の受付には誰もおらず、ソファベンチとテーブルには何も残されていない。


「フロントは禁煙ですよ」


 ポケットの中のシガレットケースに手が伸びかけたフェンに、そんな声がかけられた。


「そういえばそうだったな」


 フェンは振り向いた。にこやかな笑みのセルゲイと、じっとフェンを見つめる少女がそこにいた。

 彼女の事は出発前に紹介されている。名前はユディ・タグ――今年で十九になる、テックイージスの若きテストパイロットである。


「私は整備課にロキの整備を頼んで来なくてはなりません。皆さんは如何します?」

「俺は一旦レグラスカに戻るよ。クロノスの修理の事もあるし、数日以内にはまたこっちに来ると思う」

「はい、かしこまりました。社長に会ったら、早めに顔を出してくれるように伝えてください」

「ああ、分かった」


 挨拶を交わして出ようとした時、ユディがフェンに声をかけた。


「あの機体……クロノスは……壊れているのですか?」

「ああ」


 クロノスは様々な主人の手を渡ってきた様だが、どうもろくに整備されていなかった様なのだ。それも当然。この機体を製作したのはインフィニティである。世間の整備士に、彼らのキチガイじみた機体をどうにか出来たかというと、どうにも出来なかったのである。

 まともな整備も無しに十年。クロノスは様々な箇所に故障を抱えていた。


 それでもまだ動き、オーバークロックという特有の機能が問題なく使える辺り、インフィニティの優秀さが窺える。


「……壊れた機体を動かせるものなのです?」

「壊れたと言っても、そこまで酷いものじゃない」

「……なるほど」


 後日、クロノスの修理箇所を聞かされた時、彼女は最早何もいう言葉を見つけられず、ただひたすら絶句した。そして、技術部の天才共がぞろぞろ集まって来ていた理由を知ったのだった。

 が、この時はフェンの言葉に納得しただけだった。


「それじゃあ、またな」


 フェンは軽くそう手を上げると、今度こそ背を向けて去っていった。

 ユディはセルゲイの方へと顔だけ向け、疑問を尋ねた。


「……フェンさんは何者なのです?」


 テックイージスという企業は、メタルウィング製造会社――即ち、軍事企業という事もあり、とてつもない秘密主義である。外部の者を社内に立ち入らせる事は殆ど無く、社員達も厳密な管理の元で仕事をしている。極々一部の者たち――例えば各部署のトップや副社長セルゲイ、一向に姿を見せない社長だけが、全てを知り、握っている。

 フェンはどうやら、そんなトップ達と同等の権利を持っているようなのだ。社内敷地に入る際、検査も無しに通行出来るのは彼らだけである。


「社長のご友人ですよ。非常に良い方です。社長のご友人を務められるのは、彼とあと一人くらいですねえ」


 ユディはセルゲイの言葉に納得し、同時に散々な言われようの社長に興味が湧いてきた。彼女はテックイージスの社員だが、社長たるキーラとは写真越しでしか顔を合わせた事がなく、殆ど忘却された存在であった。

 尤も、今日という日からは忘れる事は無いだろう。ロキというとんでもない機体を操る、卓越したパイロットである事が分かったのだから。

 尤も、たかがテストパイロットでしかないユディは、戦えるなどとは思っていないが。


「まあ、機会があれば、訓練を見てもらっては如何です? 彼は優秀ですから」

「訓練……彼は強いのです? どれ程に強いのですか?」

「んー、私もイマイチよく分からないのですが、まあ、最低限社長と同等の実力はあるでしょう。カロンさんはフェンさんの方が強いと仰ってましたねえ。私もそう思うかなあ。社長は元々戦闘を生業にしているわけじゃありませんしねえ」

「……社長以上」


 ユディは淡々とそう言って、じっとフェンの去っていった方に目を向けた。既にフェンはおらず、視線の先には強化ガラスの自動ドアがぴたりと閉じているだけだった。


「とりあえず……食事です」

「はい、行ってらっしゃい」


 ユディはとりあえず空腹を満たす事にした。あらゆる事はその後である。




 ◆




 太陽の燦々と高くなった小気味の良い天気の中、フェンはテックイージスの車庫に放置されていたキーラの私用車に乗って、影一つ見えない田舎道をのんびりと走らせていた。キーラの私用車はフェンのデバイスでロックが解除出来るのだ。フェンのセブンクロスでの移動手段は大体これである。

 メタルウィングの速度と車の速度は違う。行きは数時間程度の時間だったが、帰りはかなりの時間かかるだろう。テックイージス本社は相当な内陸部に位置し、海にほど近いレグラスカとは笑えるくらい離れている。


 一軒家や何処までも続く小麦畑、頂上に雲をかける山々の隙間を縫いながら、車は何処までも走っていく。フェンは最短距離でレグラスカへと向かっているわけではなく、北方を通る遠回りのルートを選択していた。北の方の田舎町に、とある墓があるのだ。テックイージスからならそれなりに近いので、ついでに寄る予定だった。

 幾つかの田舎町を超え、山々の中を走っている最中、木々の隙間からいきなり誰かが飛び出してきた。フェンは眉を顰めながら即座にブレーキを踏み、その危険人物を跳ね飛ばす事だけは回避した。


「おいおい、こんなところで何やってるんだ?」


 その人物はきょろきょろと辺りを見て、安心からか地面に倒れこんだ。フェンは意味の分からなさに頭を掻きながら車を降り、四つん這いになって肩で息をしているその女を子細に観察した。泥と木の葉にまみれているが、上等らしい衣服。動きやすいが、しかしこんな山奥で履くようなものではない、尻肉の食い込んだ、サイズの小さいピッタリとしたパンツ。登山用の頑丈な重靴。

 くすんだ黒髪は汗で肌にはりつき、泥のついた頬は青ざめている。唯一意思の輝きを閃かせている瞳は、疲れの色を見せながらも、爛々と光っていた。


「すみません……」


 その女は、顔をフェンに向け、かすれた声を発した。


「ここは……どこです?」

「ファレオロンの山道だな」

「ファレオロン……随分と来ましたね……ですが、良かった」

「乗るか? ここからじゃ、最寄りの町まで相当あるぞ」

「ああ、ありがとうございます……」


 その女は荒い息を吐きながら、よろよろと後部座席に乗り込んだ。バックミラーには体を休ませながらも、警戒を持っている女の姿があった。


「君、名前は?」

「……リシア、といいます」

「じゃあ、リシア、どこまで行きたい?」

「……何も聞かないのですね」

「その方が君にとっては助かる事と思ったが、聞いた方が良かったか?」


 フェンの言葉に、リシアは少し瞳に優し気な光を宿し、微笑した。


「ええ、とても助かります。私はレグラスカに行きたいのです」

「それじゃ、目的地は同じだ。とは言っても、ちょっと寄り道するけどな。途中で降りたくなったら言ってくれ」

「ありがとう。親切なお方」

「なに、気にするな。俺はフェン。好きに呼んでくれ」


 二人を乗せた車は、閑散とした山道を下り始め、高い峰々を横目に進んでいった。彼らが通り過ぎていくバニッサの山々からは、時折鷹や燕が気まぐれに飛び出して、天高くを優雅に舞っていた。

 リシアはじっと通り過ぎていく山々をいつまでも見つめて、口を堅く結んでいた。しかし、やがて頭痛を感じて瞼を閉じると、小さな寝息を立て始めた。



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