009.けれども世界は




 フェン達がリンの見舞いに来ていた頃、バルザ共和国の国営放送では、白塗りの木卓に手をかけて、しわの寄った顔を物々しくカメラに向けた国家元首の姿が映し出されていた。


『国民の皆さん、私は今日、とても悲しい出来事をお知らせしなければなりません』


 そんな言葉で始まった会見の内容は、こんなものだった。

 バルザ共和国の国境付近に位置する街ウカナ。その街でおきた大爆発を調査した結果、核によるものだと結論付けられた事。共和国政府はこれをルバート連盟による攻撃だと断定し、報復措置を実行した事。


 これを聞いた聴衆の反応は如何ばかりであっただろう!


 ある者は当然だと唸り、ある者は終わらない戦争を恐れ、ある者は泥沼と化していく争いに頭を抱え、ある者は他国の介入を懸念した。

 このニュースはすぐに市中の何処問わず話されるようになり、あらゆる紙面、電子ニュースを駆け巡った。それは一国に留まらず、全世界へと瞬く間に波及した。共和国の放送から数分後には、全世界のテレビ局はこのニュースを緊迫した様子で粛々と解説していた。

 核行使というワイルドカードは、世界のあらゆる人間の注意を引く絶好の品だった。これらのニュースに特に目を見張ったのは、各国の上流階級、特に軍需を生業とする商人、傭兵たちだった。


「馬鹿な! ルバートが核攻撃を実行したなど有り得ない!」

「では、これはバルザの自作自演だと?」

「そうならば、あれほどに強気な姿勢で来るとは思えませんな。政府に問い合わせたところ、『純粋なる事実』だそうですよ」

「そもそも、彼らは馬鹿ではありません。核攻撃を装ったところで何になるのです?

 核ですよ? 軍隊の侵攻とは全くわけが違います。衛生解析班のデータによると、確かにウカナで爆発が起こったのは事実のようですし」

「尤も、アレは地下爆発だと推測されているがな。わざわざ地下で爆発させる意図とは? 確かにルバートは核を様々なルートから仕入れていたが……」

「我が国の軍需も少々関わっておりますからな……ルバートは核攻撃など実行していないとの立場でしょう?」

「『出来たらやっているがな!』と付け加えてはいたがな。全く、あれでは世間の感情を逆撫でするばかりだ。あのような攻撃的なパフォーマンスは選挙の時だけで十分だというのに」


 変局を迎えた二ヶ国の戦争に、どういう立場を採るか。そんな緊急会議の場では、様々な情報を吟味するばかりで、一向に進行する事はなかった。

 権力にしがみついている彼らが判断を下すには、現時点で分かっている情報は余りにも少なすぎたのだ。彼らの頼りの対外諜報機関も、今回の件についてはてんやわんやの大騒ぎで、てんで役に立たなかった。

 普通、核攻撃などという大事が成される時には、様々な要因から情報が漏れるものだ。尤も、その情報が世間に漏れるとは限らないが。

 しかし、今回の件については、バルザの報復核攻撃はともかく、引き金となったルバートの核攻撃の情報が欠片も存在していなかった。まさしく「結果のみノン・プロセス」だ。



 商人達は逆にほくそ笑んだ。軍需産業の主導者達は笑いが止まらないだろうし、食料、鉱物などの商人もさらに収益が見込める。金融業界は戦費を賄うための融資を早速計算し始め、この戦争特需に潜り込もうと画策していた。

 また、彼らのこれまでの考えの主たるものであった、この戦争はいつまで続くのかという予測。今回のニュースは、それらの予測から傍観に徹していた者たちをも一気に引き寄せた。

 戦争は引き際を見誤ると一気に損害が広がる。しかし、燃え上がった戦火は容易に消えないものであろう事は誰の目にも分かった。そろそろ手仕舞いだろうと思われていた戦争は、新たな風をその身に吹き込んだのである。

 それによって、被害を考えて戦争を見送っていた者たちも、一気にこの地に商売の手を伸ばすことを決意した。この火種は長く燃え続けるであろうことは明らかであった。

 戦争が更に激化する事はあらゆる点から見て明らかであり、世界の産業は二ヶ国間に現れた巨大なマーケットに舌なめずりをしていた。



 そして――


「まさかこんな事になるとは読めませんでしたねえ」


 その呟きに答える者はいない。

 室内は異様な雰囲気が漂っており、各々が思うがままに寛いでいる。壁掛けのディスプレイからは、つらつらとニュースが流れていく。


「ゆくのですか」


 静かに、そして淡々と声が上がる。


「ああ、そうですね……これ程の戦争ならば……」


 金糸雀カナリヤのように美しく、悩ましげな声が、緩やかに室内に消えていく。窓から見える西日は、熱を持って降り注ぐ。室内はぽかぽかと、そしてじっとりと暖かい。

 しばらく時間が経った時、


「じゃーん! 私参上!」


 扉が大きな音を立てて開かれ、小柄な影が室内に現れる。

 滑らかな赤い髪を二つ結びにして、きらきらと輝くやはり赤い瞳。ポップなガールズファッションに、藍染薄手の短ジーンズの、カラフルな小学生。キャンディを口に咥えており、自信満々な顔で室内を睥睨している。


「ふふふ、ニュースは聞いた? これは私たちに相応しい戦場よ!」


 輝く瞳でそう言う少女に、悩ましげな声から一転、嬉しそうな声が上がった。


「ああ、貴女がいましたね」

「おおっ、やっぱり行っちゃう!?」


 期待に胸を膨れさせる少女に、凛と冷たい声が待ったをかけた。


「……まだ早い」

「えっ!? そ、そんな……」


 少女は涙目になったが、優しい声が上がる。


「まあまあ、可愛い子には旅をさせよと言うではないですか。この子はもう実践に出しても良い頃合いだと思いますよ」

「さすがー! 見る目があるー!」

「はぁ、お前はすぐ調子に乗る……」

「それじゃ、早速準備しなきゃ! ふふふ、私の強さ、見せつけてやるー!」


 元気に走り去って行った少女を見送り、再び沈黙が室内を支配した。


「心配ですか?」

「……あいつは確かに実力はあるが、詰めが甘い」

「ふふ、確かに手練相手には後れを取るかもしれませんね。ですが、相手との戦力差くらいは分かるでしょう?」

「そこは心配していない……勝てない相手からは逃げられる奴だ。しかし……」

「どうしました?」

「……嫌な予感がする」


 西日は照り、部屋はじりじりと暑い。コツコツと軍靴の足跡は去り、少女の開け放していった扉は閉じられた。


「ふむ……ふむ」


 声の方から、パサリと音がする。手元の資料を扱う静かな音だ。そこにはあらゆるデータが整頓されて並べられていた。

 その中の一つに、【要注意戦力】とラベルのついたものがある。兵士、傭兵、部隊、兵器などの中で、特に戦場の行方を左右するような、強力な戦力のデータだ。

 その中ほど。付箋の付いた箇所には、一人の傭兵のデータが纏められていた。


「まあ、彼と出会わなければ問題無いでしょう。特筆すべきは彼だけなので……ふふ」


 堪えきれずに漏れた微笑みは、不可思議な響きを帯びていた。室内の他の者は、胡乱な目でその声の主を眺めた。

 何かを察したように、一人、また一人と消えていく。やがて部屋には、一人だけが残った。


 ウロボロスはその身を起こす。


 かつての残火に何を思うかは、誰も知らない。




 ◆




 病室――目元を少し赤くしたリンは、真っ赤になった顔を俯けて、ベッドに縮こまっていた。人前で泣いた事がよほど恥ずかしかったのか、話しかけてほしくなさそうな様子だ。しかし、心優しいが察しの悪いカムニエは容赦なく「痛いんですか? 何でも頼ってくださいね」と邪気の無い様子で言う。それがまた本当に心配しているのが伝わってくるので、リンは何とも言えずに益々顔を赤らめて、縮こまってしまうのだった。


「リンさん、大丈夫ですか? 苦しそう……」


 フェンはリンが恥ずかしそうにしているのを見て取って、心配そうにリンを見つめているカムニエの手を引いた。恥ずかしさというやつは、一人になって転がりまわるしか対処法が無いのだ。


「今日は帰ろう。リンは少し疲れたみたいだ」

「あ、はい。また明日来ますから」


 フェン達は外へ出た。別れ際にリンは手だけベッドから出して手を振っていた。カムニエはそれを見て、嬉しそうに手を振り返していた。


 病院から出て車に戻ると、キーラがドアの所に寄りかかって、デバイスで何らかの連絡をしていた。キーラが病室の前にいた事に気づいていたフェンは、反省して治療費でも出す気になったのか? と考えながら、キーラに近づいた。


「何やってんだ」

「ああ、フェンか。案外遅かったな」


 デバイスの電源を落として、キーラが振り向く。キーラの視線はフェンを見て、次いでカムニエへと移動した。キーラの目は優しげだが、それは見た目だけである。フェンは元より、カムニエもそれを知っていたので、視線が自身を捉えたときには少し震え上がった。


「まあ、丁度良かったな。上手い具合に誤魔化せたらしい」

「さっきのやつか」


 フェンはキーラが反省したわけではないらしいことを察しつつ、尋ねた。よく考えなくても、この男が反省などするはずが無いのである。


「傭兵登録情報だよ。俺たちのデータをルバートのスパイのデータに差し替えてやった。流石に国から追われるのは面倒だからな」

「ああ、あれか……」


 フェンの脳裏に、ウカナ近辺に放置してきた人型機がよぎった。今まさに、戦火拡大の原因となっている爆発現場である。

 フェンも自分をろくでなしだと自覚しているが、全く何の躊躇もなく自分の罪を人に被せる辺り、キーラも相当だな、と改めて思った。フェンはウカナでのキーラがどんな行動をしていたかは知らないが、爆発に関してはキーラが原因だと確信している。

 デバイスでニュースを確認してみれば、予想以上に世界情勢は酷いことになっていた。ただの燃料調達が戦争を信じられないほどに煽り、世界はその炎の勢いに騒ぎまくっている。もはや誰の手にも負えないほどに、状況は大きく膨れ上がっている。


「しかし今回の騒ぎはでかいな。何というか、ここまで世界を混乱させて尚反省しないってのは、やっぱりすげえよ、お前」

「まだ言ってやがんのか。俺は何にもしてねえよ」

「絶対にお前の行動が引金トリガーだと思う」


 フェンは運転席に乗り込み、他の人間が乗り込むのを待って、発進させた。


 日は落ち、辺りが暗くなる。

 ビルの明かりが灯り、街灯はぽつぽつと照らされる。夜の帳の中にも、出歩く人影は消えない。地中の管から水を与えられている街路樹が、電灯のぼんやりとした灯りに照らされて、不気味な影を形作っている。

 フェンは煙草を吸いながら、車をホテルに向かって走らせた。病院に行く前に予約していた場所である。キーラは眠そうに欠伸をしているし、カムニエは大人しく座って外を眺めていた。


「明日は闇市場ネットワーク行くぞ。人型機の補充をしなきゃならん」


 闇市場ネットワークとは、世界中に根を張る裏社会のマーケットである。食料品、日用品、美術品から、クリーンさは保障出来ない金品、人型機も含めたあらゆる兵器、希少動物や人間などの生命体、果ては実体無き情報に至るまで、あらゆる商品を取り扱っている。

 フェンは失った人型機の代わりを見繕うつもりだった。


「あー、そうだな……あのガキどうするんだ?」


 キーラは後部座席のカムニエを指だけで指す。幼い子供には少々刺激の強い場所であることは事実だった。


「……リンに預けとけばいいだろ」


 二人はそんなことを話しながら、欠伸交じりに車を走らせて行った。




 ◆




 フェンの予約したホテルはそれなりに大きな、この街では一番の場所だった。三人が泊まるのには十分すぎるくらいだ。フェン達は車を停めて、中に入った。


「わぁ……すごいですね。何だか、ワクワクします」


 滑らかな玄武岩のエントランスには、オレンジのカーペットが広がっている。ロビーの休憩エリアでは、ラフな若者やビジネス姿の中年がお喋りに興じていた。天井のシャンデリアはきらきらと宝石の如く光を放っていた。


「安物だな」

「文句言うな、この街にはこれ以上の場所は無い」


 キーラは欠伸をしながらそう呟くと、眠そうにのろのろとロビーのソファに座り込んでしまった。

 フェンは受付でチェックインを済ませて、部屋の鍵を受け取ると、キーラに片方を投げ渡した。


「後は好きにしろ」

「飯は?」

「勝手に食え、ホテル内にレストランがあるだろ。外で食ってきてもいいぞ」

「ああ、OK」


 フェンはカムニエを連れてエレベーターに乗り込んだ。カムニエはホテルに泊まるのが初めてなのか、しきりにそわそわと辺りを見渡していた。


「君の部屋は609だ」


 フェンが鍵を渡すと、カムニエはかなり驚いたようだった。


「どうして私の部屋を取ってくださったんですか?」

「男と一緒だと嫌だと思ったんだが……」

「そ、そんな……私はお世話になっている身なので……」

「まあ、取ってしまったしな。一人で部屋を使うのが無理そうなら、言ってくれ」


 フェンはカムニエが感謝しながら自分の部屋に入っていくのを見届けると、その隣の部屋にのろのろと入り込む。室内の内装なんかには目もくれず、彼はベッドに倒れこんだ。


「少し疲れたな……」


 本当に久々のコミュニケーションだった。フェンは余りにも普通の生活から離れすぎて、今日起きた何もかもが疲れていた。戦場での生き方は知っている。しかし、人間としての生活は知らず、そしてまた、彼自身はそれを望んでいなかった。

 戦場が好きなわけではない。ただ、戦場にいれば、彼は一人の殲滅者として、余計なことは考えなくてもよかった。戦場の心擦り切れる世界は、彼にとって何よりの救いだった。

 こうしてまるで一人の無力な人間のように転がっていると、かつての光景がフラッシュバックする。



 雨の森。


 一人の少女が倒れている。


 少女の胸からは血がとめどなく流れ、泥だらけの地面へと染み込んでいく。


 フェンは一人、茫然と立っている。


 守れなかった彼女の瞳は、二度と光を映すことはない。



 頭が痛い。

 彼は時折襲ってくるこの幻が、頭痛が、何よりも嫌いだった。

 自身の無力をこれでもかと痛感させられた、過去の悪夢。それは時がたち、どれほど遠い地に逃げようとも無駄だった。


 何もかも、考えたくない。


「消えてくれよ……」


 フェンは懐から薬を取り出し、病人よりも弱弱しい手つきで何錠も一気に飲み込んだ。強力な――本当に強力な、経口麻酔薬。リンを眠らせたような、安物の睡眠薬とは違う。



 彼は理解していた。


 この過去と向き合えば、それだけで彼自身は救われるのだ。


 しかし――


 救えなかった自分が、何故救われていいものだろうか?



 ぼんやりと見える少女の顔は、毎回同じだ。二度と笑うことも悲しむことも無いその顔が、彼を永遠に縛り付ける。彼女の笑った顔、悲しんだ顔すら思い出せない。

 いや、そもそも、彼女は誰だったっけ? それすら思い出せない。


 ――記憶が虫食いだ。


 フェンの意識は自分でも気づかぬまま、失神のように消え去った。



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