ありがとうの呪い

篠騎シオン

言われたくない言葉、言ってはいけない言葉

「あなたなんか幸せにしてあげない」

そう言って私を恨みを込めてにらんでくる少女。

私の同級生、クラスメート。

いじめられっ子。

私がいじめてた人。

確かにいじめたのは私が悪かった。

でもね、そんなひどい呪いかけることないんじゃないかな。


「雪さん、お茶どうぞ。これ、出張お土産のお菓子です」

会社の同僚が渡してくるお茶とお菓子。これに、私はただ微笑むだけで返す。

そしてすぐに仕事へと戻る。

お土産を持ってきてくれるのは嬉しい。でも、正直迷惑だった。

私にあの言葉を言わせるような状況を作らないでほしい。

でも、お菓子は頬張る。

食べてしまえば少しは違う言葉を言えるから。

「主任ね、またお礼言わなかったわ。本当に何様のつもりなのかしらね」

後ろでひそひそ声が聞こえる。

うん、わかってる。

本当に何様なんだ。

私は席からすっと立ちあがって、噂話をする一団の前に立った。

「お菓子美味しかった。出張お疲れ様」

微笑む。みんな私にうわさ話を聞かれたのと思ったのかびくびくしていた。

まあ、聞こえてたんだけどね。

私は、言い放つと仕事へと戻った。

そんな私の様子を見て、聞こえていなかったものと判断したのか、一団は噂話を再開する。勤務時間中だというのに、お暇なこと。

「雪さんって若いのに主任だなんて仕事できるんですね」

「当然よ、恋より仕事に生きる女ですもの」

「あれ、私は婚約破棄されて仕事に打ち込むようになったって聞いてるけど」

「え、そうなんですか」

「そうそう、婚約発表した次の日に振られたらしいわよ」

「えー、かわいそう」

「仕事に必死すぎて見放されたんでしょうね」

「それなら、相手の男の人もかわいそうかも」

笑い声が聞こえる。耳障りだ。

イヤホンをして、私は自分の世界に閉じこもる。

仕事、仕事。

仕事は私を裏切らない。

だって、私は仕事にありがとうなんて言わないもの。



——私は、ありがとうが言えない呪いにかけられている。



正確にはありがとうが言えないわけではない。言ったら、感謝したものが消滅する、だから言えない。

さっきの噂話の件だってその呪いが原因だ。

高校の時にこの呪いにかけられて以来、私はありがとうと感謝の気持ちを言葉に出すのをやめるよう心掛けた。

最初は呪いがわからなかった。だから何度も失敗した。

テストで一位を取って、みんなにおめでとうと言われてありがとうと言ったとき、採点ミスが発覚し一位ではなくなった。

陸上の大会で優勝した時のみんなからの祝福にありがとうと返した帰り道、事故に遭い、選手生命を絶たれた。

受験で私立大学に合格し、親に「今まで応援してくれてありがとう」と伝えたら、父親の会社が倒産し、私立には行けなくなった。

ここで私は気づいた。最近の幸福から不幸へと変わった出来事はすべてありがとうという言葉が引き金となっていると。

そこから私は本当に注意して生きてきた。幸せを失わないように。

感謝の気持ちを心の中に押し込めて、ただただ微笑んでやり過ごした。

けれど、私にプロポーズしてくれた人間への感謝で心の中があふれ、思わずありがとうと言ってしまった私は、婚約破棄。

人生どん底だった。

だから仕事を頑張った。

ビジネス上でなら、なんとか感謝の言葉を言わずに乗り切ることができた。けむに巻き、微笑み、いいように動いてもらう。そうやって生きてきた私は、弁が立つ人間として認められた。

私はおめでとうと言われてはいけない、何かあって祝福されても、ありがとうと感謝の言葉を返せない。

どうも、とか、どういたしまして、とか、そういう言葉も駄目だ。

私は、感謝をできない呪いにかけられたのだ。

ただ、中学時代少しだけ無視しただけの少女に。


いじめがいいことだとは思っていない。

それに、私がしたことはいじめかどうかも怪しい。

1か月の間、少し無視していただけ。

本当にそれだけで、ものを隠したりも暴力も辱めを受けさせたりしなかった。

少しノリが合わなくなったから、口を聞かなかった。

それに対して、彼女はいじめだと騒ぎ立てた。

あんまりにも騒ぐものだから、学校側も徹底的な調査を行って白黒つけることにし、結果は白。

彼女は妄想癖の強い女子として、前よりもみんなに避けられるようになった。

腫物を触るように扱われ、いつしか学校にも来なくなった。

でも卒業式の日に、彼女はやってきて、私は屋上に呼び出された。

私は彼女が学校に来れなくなったきっかけを作ったことは自覚していたから、彼女に対して多少なりとも罪悪感があった。だから、呼び出しを受けて屋上へ行った。

私は、あの時の自分こそ呪ってやりたい。

自分の罪悪感を晴らせるものを探して、被害者がいじめだと感じたのならそれはもういじめなんだ、そんな正義感振りかざして、あの時屋上に行かなければこんなに苦しい人生じゃなかった。何度も何度も繰り返し頭の中に映し出される自分と彼女を私は呪う。

文章を打ち終わってエンターキーを押す。

メールを送信し、調べもののために検索エンジンを起動する。

コーヒーに手を伸ばし、一服。

ホームページの中で広告が浮かんでは消えを繰り返している。

『人生に感謝を!』

そんな広告が浮かんできた。私は、その言葉を見てふんと鼻で笑う。

こんなつらいばかりの人生で感謝なんてできるわけがない。

次の瞬間、私の体の中をひらめきという電気が走り抜けた。

良いひらめきじゃなく、悪いもの。


もし、私が人生に感謝してしまったら、私の人生丸ごとなくなってしまうんじゃないか。

思いついた瞬間背筋が凍った。

もし、これを口に出したら、私は死ぬのかもしれない。

なぜか、少しだけ心が躍った。

いつでも死ねる逃げ道ができた。

私は人生に閉塞感を覚えていたのかもしれない。

自分が死ぬことを想像してみて、一つだけ納得のいかないことがあった。

そう、彼女。

彼女を道連れにしたい。

私にこんな苦しみを与えたアイツは許さない。

心の中にめらめらと復讐の炎が燃える。

私の頭の中に天才的な閃きが駆け巡る。

私はにやりと笑うと、気になって調べていた彼女のSNSに向けてコメントを送る。

『今日の夜、会えませんか?』

コメントはすぐに返ってくる。

『わかりました、待ち合わせはどこにしますか?』

『中学校の屋上』

因縁の場所で、決着を付ける。

私はその日、定時で仕事を終わらせ、母校に電話した。

屋上へ入る許可を、もらうために。


私が屋上へ入ると、先に待っていたらしい彼女が振り返る。

「久しぶりね」

彼女の見た目は中学の時と、ほとんど変わらない。長い髪、不機嫌そうな顔、化粧もしていないようだ。まるで、彼女だけ時が止まっているかのようだった。

彼女は私の顔をちらりと見て、言った。

「おめでとう」

と。

「え?」

彼女は微笑んだ。

「だって、あなたのその表情。呪いを消す方法、見つけたんでしょ?」

彼女ははかなげに微笑んでそう言った。

私は驚いて目を見開く。

そう、私は、呪いの突破口を見つけていた。

この呪いは、感謝をしたものが消えてしまう呪い。

だから、この呪い自体に感謝をすれば、呪いはきれいさっぱり消え去るはず。

けれど、彼女が祝ってくれるだなんて思わなかった。

実は彼女も、私に呪いをかけたこと後悔しているのかもしれない。でも、自分ではとく力がなかったから今まで黙っていたのだ、きっと。

彼女はやさしい顔で微笑み、私に手を指しだしてくる。

「もう一度言うわ、呪いの解除方法見つけられたのね、おめでとう」

「呪いをかけてくれてありがとう」

私は彼女の手を握り返して、微笑んだ。











握り返した途端、彼女の顔が見にくくゆがむ。

「残念でしたあああ。あんたってほんと馬鹿ね」

呪いが私の体をさらにがんじがらめにするのを感じた。

私は膝をつく。

「どうして、呪いに感謝をしたらとけるはずじゃ」

私が息も絶え絶えに言うと、彼女は高笑いしながら答えた。

「私の呪いはね、あなたが感謝したものが消えるわけじゃないの。相手がお礼を言われたとかんじたもの、それが消えるの。私は言ったわ、、と。消えたのは、呪いの解除法。あなたは、一生、その呪いから抜け出せない」

彼女の言葉を聞いて、私は叫んだ。

この感謝のできない呪縛から一生逃れられないことを知って。

彼女の高笑いが、ずっと、私の耳の中をこだましている。

私は苦しい頭で必死に考えてつぶやいた。

「私の人生ありがとう、そして、あなたも、生まれてきてくれて、ありがとう」

彼女に対して私は微笑む。

私の言葉を聞いた彼女のおびえた顔が心地よかった。

急に力が湧いてくる。

呪いが、私を強めてる。

私は、彼女を巻き込んで。




——屋上から、飛んだ。

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