オオカミに育てられて(虐待と育児放棄を食らうとどうなるか?)

小学生のとき、「オオカミに育てられた少女」の話を先生から聞いたことがある。

今から100年くらい前の出来事だ。

この話……、実際は、その信憑性は薄く、事実の部分と創作の部分が入り混じっていて、何が真実なのか誰にもわからないらしい。

ただ、私にとっては、真実か創作かはどうでもいい。

この話自体に、共鳴する部分があるからだ。

わかりやすく言うと、育児放棄を食らうとどうなるか?ということだろう。


私は、幼少期に虐待と育児放棄の両方を経験した。


まぁ、日本人はこの手の話には全く興味が無いだろう。

なぜなら、日本人は自分さえ良ければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない民族で、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた被害妄想者と、不幸の背比べをして意地でも勝とうとしたがるクソガキしかいないからである。

全員がそれを言って、他人との、不幸の背比べで勝とうとしてくるからである。

必ず「私の方が不幸なんだ!」「お前の不幸なんて私に比べたら大したことはない!」という競争になってしまう。


実際に、ブログやSNSで、「私は鬱病です」「私は統合失調症です」「私は解離性同一性障害です」なんてタイトルで、闘病記みたいな日記を書いている人がたくさんいるけど、私と同じように10代から天涯孤独で住む家が無くて、仕事をしていないとすぐに路上生活や牢屋生活になってしまう環境で生きていますか?と問いたいね。

特殊学級や障害者学級出身ならわかるけど、普通学級出身の人は、私には嘘にしか聞こえない。

精神科と心療内科は患者の自己申告に過ぎず、医師主導の外科とは違う。

それが本当か嘘かなんて、誰にもわからない。

私の人生経験では、路上生活(ホームレスではなくコンクリートの上での寝泊まり)を経験していれば本当で、していなければ嘘だと思っている。

だって、「働かない」と「働けない」の違いって、そこでわかるでしょ?

おカネが尽きて、家を失うからそろそろ働こう!では、そもそも、精神病ではないよね?

私の路上生活経験から言わせてもらうと、精神患者を名乗る人のほとんどは、そっち側だと思う。

まぁ、私のように天涯孤独でない時点で、もう、それはわからないけどね。

住む家があって、家族や監護者がいて、そいつらが生活の面倒を見てくれるなら、「私、精神病です」という嘘はそいつらが生きているうちはずっと続いてしまうから……。


私は別に誰かと不幸の背比べをするつもりはないので、一応、前置きしておきます。

(上記のは本当か嘘かを問うているので、不幸の背比べをしているわけではないです)

私の身に起きた事実のみを書きます。


これは、生きている人間全員が、何かしら経験があると思うけど、「自分だけができない!」という経験ってありますよね?

ただ、様々な場面で、そういう経験をすると思うので、必ずしも、それが育児放棄の結果とは限らないけど……。

それに、私の幼少期は、今とは時代が違うので、若い人にはなかなか伝わらないかと思います。


生まれて初めての集団生活は幼稚園だった。

今の幼稚園・保育園・こども園と違って、当時は、強制収容施設感があった。

私は第二次ベビーブーム世代なので、まぁ、たくさんの同級生がいた。

50人は、居たかな?いや、もっと居たかも……。

当時、私の居た幼稚園は給食だったんだけど、一人だけ箸が持てなかった。

それに、一人だけ着替えもできなかった。

トイレを一人でするという行為をしたことがなかったので、当たり前のように教室でお漏らしをした。大も小も……。これも私一人だけだった。

それをクラスのみんなが見ている目の前でやったわけだから、私自身、もの凄い衝撃を受けた。

3歳のときの話なんだけど、昨日のことのようにハッキリと覚えている。

それがきっかけで、いじめられて、当時浴びせられた言葉やそこにいた人たちの私に対する態度は、その年齢にして心が折れてしまうほどだった。

ほぼ、毎日号泣させられていた。

それ以来、小学4年生までずっといじめられる状況だった。

小4のときの、集団リンチで犬の生ウンチを食べさせられた事案なんて、今だったら、全国紙の一面に載るようなことだけど、当時は、子供同士のやんちゃな遊びとして片付けられた。私も被害を訴えるなんてことはしなかった。なぜなら、それを言ったところで、当時の時代背景では誰からも相手にされないからである。しかも、それが掃除の時間だったため、新人の担任教師が「おたくの子供は掃除をさぼって、どこかで遊んでいる」と家に連絡を入れてしまったため、私は家で、口頭と暴力の虐待を受けてしまう。誰のせいでこうなった?と心の中で言い返すのがやっとだった。

まぁ、その一件で親子関係は完全に破綻したけどね。


時代は昭和なので、今と違って、親の責任なんて無い。

「できないお前が悪い!」と、先生に殴られるのが当たり前の時代だった。

それは、いじめも同じ……。「いじめられるお前が悪い!」で終わり。

今の、こんな甘ったるい時代に生まれていたら、私は社会人になれなかったので、一長一短はあるんだけど……。本当に、ツラかった。

そういう発育の遅れは、幼稚園くらいの幼少期で終わっていれば良かったんだけど……。


最後に教室でお漏らししたのが、小学3年生のときだった。

なぜ、一度できるようになったことが、再び、できなくなるのか?

これも育児放棄を食らったものにしかわからない。

当時、日本中を探しても、小3で、そんな奴いるのだろうか?って思った。

このときも、クラスのみんなが見ている目の前でやったわけだから、さすがに立ち直れないほど、心が折れてしまった。

今でもトラウマになっていて、この話自体、誰にもしたことがない。

おまけに、隣のクラスの担任に、そのことで思い切りぶん殴られて、悔しいのと情けないのとで、ずっと号泣していた。

育児放棄の結果は連鎖を生んでしまう。

一人だけできない→同級生にいじめられる・先生に殴られる→根暗・無口・真面目・臆病・対人恐怖……といった性格が形成される→孤立、という流れになってしまう。

全てが育児放棄の結果とは思わないけど、他にも、私一人だけできなかったという事案は、挨拶ができない、人前で話せない、学校のルールを守れない、スキップができない、逆上がりができない、登り棒ができない、雲梯ができない、自転車に乗れない……、パッと浮かぶだけでもたくさんある。

当時は給食で、野菜や豆腐が食べられなかった。今と違って、当時は、食べるまでそこにいなければならなかった。給食の時間が終わって掃除の時間になっても、机を後ろに移動させたり、前に移動させたり、その間も食べていなけけばならなかったし、5時間目(昼休みが終わった最初の授業)も、一人だけ泣きながら食べている状況だった。だから同年代の人は、そういう人がクラスにいたのを見ているはずだから、日常の光景だったかと思う。

残念ながら、私はその当事者だったけど……。

当時は、「発達障害」とか、「適応障害」なんて言葉自体が世の中に存在していないので、ただの怠け者扱いだった。

もちろん、「不登校」なんてあり得ない時代で、そんな言葉自体も世の中に存在していない。

校長先生と、担任の先生の数人は、旧日本軍の人だったので、接し方が軍隊調だった。

まぁ、社会全体もそんな感じだったと思う。

私が小学校卒業と同時に、旧日本軍の人は定年退職だったので、私より少し年下だと、もう全てがガラリと変わってしまう。殴る蹴るなんて、私の世代が最後だと思っている。

それに、尊属殺と言って、親を殺すと死刑か無期懲役にしかならないという法律があった時代なので、親批判は社会全体でタブーだった。

だから、親から虐待を受けて傷害を負っても、それは躾にしかならなかった。

(私の場合は骨折だった。指が不自然に曲がって激痛だったけど、誰にも言わず、我慢するしかなかった。結局、自然治癒。しかも、小学生ときの話)


小学校の授業中にお漏らしをすると、そのあとの人間関係がどれほど壮絶なものになるか……なんて、別にそういう経験していなくても、ちょっと想像すればわかるかと思う。

当時、私は、あまりの苦しみに、すぐにでも死にたかった。

だけど、そうならなかったのは、あの昭和時代の空気だったと、私は思っている。

私が10代から今に至るまで、1度も故郷に足を踏み入れていないのは、そういう事案をたくさん経験したからだ。

だから、死ぬまで生まれ育った街に行くことはない。

望郷なんて言葉は、私には存在しない。

ただ、虐待に関しては、離れた時点で全てが解決した。(PTSDにもならなかった。なっているのかもしれないけど、いまいち、その病名の概念がわからない)


問題は育児放棄の方で、これは、残念ながら、死ぬまで続いてしまう。なぜなら、同学年のみんなも成長するからである。

だから、いつまで経っても追いつけないどころか、どんどんどんどん離されていくのである。

最初に躓くと、なぜか、いつまで経ってもできるようにはならないし、一度できたことも、間を置くと、また、できなくなってしまう。


世の中の人には「やれない」と「やらない」の違いがわからない。


箸を持って食べる、着替えをする、一人でトイレに行く……というのは、世の中の人は当たり前のようにできると思っているかもしれないけど、それは、誰かに教えてもらっているからできるのであって、さらに、それを習慣づけてもらったからできるのであって、そういう事実をお前が覚えていないだけ……。

私はできずに大変な目にあったから、それがわかる。

誰だって、教えてもらっていなければ、私と同様、できないのである。

こういうのは、性格形成を含めて連鎖してしまうので、徐々に、「やれない・できない」が、「やらない・したくない」に変わっていってしまう。

私の世代は「逃げる」という選択肢が無い時代なので、何が何でもみんなに追いつかないといけなかった。

だけど、何をやっても同学年のみんなには追いつけないから、だんだん諦めモードになっていった。

やがて、もう、どう考えても追いつけないから、追いつくことをやめよう……となったね。

10代、20代、30代と、どんどんみんなから離されていった。

育児放棄がベースになっているだけで、そのあと複合的な要因が絡んでくるので、あくまで私の感覚でしかないけど……。

その時々を、ザックリと振り返ると……。

小学生のとき、周りは友人を作って遊んでいるのに、私にはできなかった。

中高生のとき、周りは恋人を作ってデートやセックスをしているのに、私にはできなかった。

大人になって40代が終わるまでに、周りは結婚しているのに、私にはできなかった。

そいつらは子供がいるのに、当然、私にはいない。

結局、何もかもが1度もできずに終わった。

最終的には、追い詰められて、人生を捨てるしか選択肢が無かった。

どんなに頑張って、どんなに出たトコ勝負を繰り返しても、同学年のみんなには、最後の最後まで追いつけなかった。

これも、私と同じ才能に生まれ、私と同じ経験をしたものにしかわからない。

まぁ、一言で言ってしまえば、家族がいる人にはわからないでしょうね。


なぜ、育児放棄は一生引きずるかと言うと、今の私がそういう年齢になったからである。

つまり、人生の時間が終わったからである。

私は、家族なし(最後の会話があの小4の事件のあとくらい)、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なし、で一回きりの人生を終えたことになる。

もちろん、デート経験も無ければセックス経験も無い。

生涯、会話の相手とメールの相手もいない。

そういう人生しか送れないことがツラくて、途中で、生きる意味・気力・目的・希望が無くなってしまい、自暴自棄になった。無気力にもなった。

あとから振り返ったとき、なぜ、こんな人生になってしまったか?と自問自答したら、やはり、どう考えても、育児放棄の結果ではないか?と思えてならない。

甘えの許されない時代に生まれて、甘えの許されない環境で生きても、こうなってしまうのは、それ以外に理由が見つからない。

みんなと同じように成長できていたら、どんな人生だったのだろう?と、思わざるを得ない。

今から他人より40年遅れで生まれて初めて友人を作ったり、他人より30年遅れで生まれて初めてデートしたりセックスしたりなんて、もう精神的にムリで、できないのである。

好きで遅れたんじゃない……。

好きで何もできずに終わったんじゃない……。

これも、他人には伝わらないと思っている。


私の身に起きたことは、私にしかわからない。

世の中の人には「やれない」と「やらない」の違いがわからない。

当然、育った環境以外に、持って生まれた才能(外見・性格・身体的能力・知能指数)が一人一人違うので、わかるわけない。

あくまで、私の人生経験と、人生が終わったあとに振り返ったときの、私の感想でしかない。


最近、少し気になっているのが「毒親」という言葉を使う人たちのことだ。

これも、精神科と心療内科の患者と一緒で、あくまで自称でしかない。

そこに客観的指標は無い。

客観的指標が無いのに、「私の親は毒親だ」「私は毒親育ちだ」と言ったところで意味がないのである。

当然、私がその話を聞いたとき、それが毒親ではないことがすぐにわかってしまう。

ネットの掲示板でも、「私の親は毒親だ」「私は毒親育ちだ」と言う人はたくさんいるけど、ちょっとそいつとやりとりするだけで、それがすぐに嘘だとわかってしまう。

私は小学生の頃を最後に、親と会話をしたことがない。

もちろん、会ったこともない。

生きているか、死んでいるか、もわからない。

親が私に与えた恐怖と精神支配は、残念ながら、一人暮らしを始めて30年以上が経過した今でも続いている。

それは、地球を覆う大気のように、消すことはできない。

それを取り除かないと生きていけないから命を守る選択をしただけだけど、残念ながら取り除けない……。

だから、親と同居していたり、コミュニケーションが取れる間柄の親子の親が、毒親なわけがない。

それは、ただ単に、子供の被害妄想でしかない。

仮に、本当にその親が「毒親」で、そこから離れないと生きられない結果を生んだとしても、この家族主義国家日本で独りになるという現実は厳しい。

余程の才能に恵まれていない限り、地獄の始まりだと言っておきたい。

それほどまでに、この国で、天涯孤独になるという現実は、生きるのが困難なのだ。


人間の子供というのは、オオカミの話みたいに、ただエサを用意するだけでは成長できない。

脳というか、精神が成長していけないからだ。

本来、知っていなければならないことを誰にも教わらず、同学年のみんながやっているのを見よう見まねで覚えなければならなかった苦しみなんて、誰にわかるだろうか?

それを実行しても、結局、最後までできるようにはならなかったし……。

1つや2つならよくある話かもしれないが、全ての事案において、そのザマだった。

被害妄想者しかいない国では、私の訴えは誰にも響かない。

だから、そうなってしまった時点で、詰みである。


被害妄想者たちは、先天性の障害ではないのに、大人になってから、病院で「発達障害です」「適応障害です」を、医者に無理矢理言わせて「私、かわいそうな人間なんです。だから、私は他人より努力・我慢・行動をしています。みんなと同じ学校生活・社会生活ができるのは、私が他人より頑張っているからなんです」といった身勝手な自己主張を繰り返している。

本当に発達障害や適応障害で、私と同じ天涯孤独なら、私と同様、路上と牢屋を行ったり来たりする人生経験をするはずだし、これも私と同様、生涯、友人と恋人ができない人生になるはずである。

こいつらは、人の輪の中で生きていて、今の立ち位置のまま、周りの評価を変えたいだけである。

そのためだけに、健常者のくせに「障害者」という称号がほしいのである。

そもそも「大人の発達障害」なんて障害は、この世に存在しない。

「こんなもん、大人になったあとに、どうやって診断しているの?」って精神科医に聞いたことがある。

精神科医曰く、小学生時代の通知表を病院に持参してもらい、先生のコメント欄に「落ち着きのない子です」とか書かれてあったら、「発達障害です」と診断するらしい。

また、そいつが、そいつの両親と一緒に病院に赴き、「小さい頃、こんな子供でした」という証言をもとに「発達障害です」と診断するらしい。

「そうでなければ診断のしようがない」とも言っていた。

健常者のくせに「障害者」になりたいだけのゴミに、そんな「発達障害」などという称号を与えてしまったら、本当の発達障害の方に失礼だし、本当の発達障害の方が差別を受けてしまうのではないか……と思えてならない。

同時に、私に対する侮辱でもある。

カネもうけをしたい精神科医も精神科医だし、被害妄想者を被害者にすり替えたいクズ野郎(女)もクズ野郎(女)である。

私はそんなニセモノの称号なんていらない。

その代わり、こう叫びたい。

私はオオカミに育てられたと……。

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