ワーク・ライフ・バランスという言葉の日本語訳

「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は、以前から聞いたことがある。

私は、家族なし、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なしで1回きりの人生を終えたので、「ワークもライフもへったくれも無い」という壊れた視点でしか、この言葉を捉えることができない。


それに、私は、逮捕勾留・転落事故・精神病棟・路上生活・ホームレス収容施設と一周しているので、ワーク・ライフ・バランスが崩れるとどうなるか?を、身を持って知っている。

私の言うそれは、高度100メートルの場所で行う綱渡りと同じで、バランスを失うと落ちて死んでしまうという意味だ。

調べてみると、海外の「ワーク・ライフ・バランス」も、私の言っている意味に近い。


残念ながら日本は、恵まれた環境でヌクヌクと生きてきた被害妄想者と、不幸の背比べをして意地でも勝とうとしたがるクソガキしかいないので、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉の訳し方が全然違う。

その多くが、仕事と私生活の時間配分のことを言っている。

そんなのは、その人の自由であって、他人にとやかく言われる筋合いはないし、そもそも問題提起するような話でもない。

おまけに、昭和時代の社会構造(男性が社会で働いて、女性が家で家事をする)を前提に話をするので、バブル崩壊以降に就職した世代には関係のない話である。

わかりやすく言うと、日本の「ワーク・ライフ・バランス」は、男性に対して「仕事の時間を、半分、家事の時間にしろ……」、女性に対して「家事の時間を、半分、仕事の時間にしろ……」と、案に、言っているだけである。


本当の意味での「ワーク・ライフ・バランス」を、私の人生経験を踏まえて説明すると、それは、日本で言っているような、仕事と私生活の時間配分などという、どうでもいい話ではなく、実は、もっと大枠の話で、仕事を失うと私生活も崩壊するし、私生活を失うと仕事も崩壊するという意味である。

仕事を失うというのは、文字通り、仕事を辞めることである。整理解雇、懲戒解雇、一身上の理由と……、理由は様々だと思うけど……。「従業員満足が顧客満足を生む」という言葉があるけど、その従業員満足は、私生活からしか得られない。私生活が充実していなければ仕事に対する情熱は得られないのである。「仕事がいきがい」とか言っているクズは、実は、生まれたときからの恵まれた私生活を当たり前だと思い込んでいて、それに気づいていないだけである。

私生活を失うというのは、親(家族)がいない、配偶者(夫・妻)がいない、恋人がいない……、その状態が続くことで、あるとき、生きる意味・気力・目的・希望を失って、無気力になってしまうか自暴自棄になってしまうという意味である。だからと言って、無職になれば、当然、生活破綻する。

要するに、どちらか一方を失うと、もう一方も失ってしまうという意味である。

仕事と私生活というのは、お互いに補完し合っているということである。

それが「ワーク・ライフ・バランス」だと、私は言いたいのです。


まぁ、私と同じ人生経験を積めば、それが実体験としてわかると思うけど、ほとんどの人は関係ないと思う。

当たり前が当たり前すぎて、それを噛み砕いたりしないので、気づくことも、問題提起することもないと思う。

この家族主義国家日本で、私と同じ経験をする人は、ごく少数なので、私の言葉は誰にも響かないし、見下されて、バカにされて、誹謗中傷をされて、ゴミ箱にポイッとされて終わりでしょうね。

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