第17話 ひたりひたりと

 メイアンはアラーム音で目を覚ます。

 ゆっくりと身体を起こして、顔を洗う。それから寝間着を部屋着へ着替えると、コンコンとノックされて、アズリナが中へと入ってくる。

「おはようございます、メイアン様。朝ご飯が出来ましたので、お呼びに参りました。ノルチェは既に食堂に居りますので」

「おはようございます、アズリナさん!すぐ行きますっ」

 こくりとメイアンは頷き、アズリナに連れられて食堂へ降りてきた。

 食堂には、椅子に座ってトースターを頬張っているノルチェと、メイアンの食べる食事を並べているリーフェイがいた。

 リーフェイは二人が来た事に気付き、

「おはよう、メイアン」

 そう声を掛ける。ノルチェがそれで二人に気付いて、小さく会釈をした。恐らく口の中をパンで詰めているからだろう。

「おはようございます、リーフェイさん、ノルチェ」

「今日はトースターに目玉焼きをのっけて、んでベーコンエッグとサラダ。それとコンソメスープです。飲み物はコーヒーか紅茶か聞こうと思うて、待ってました」

「こ、コーヒーで、お願いします」

 リーフェイはに、と笑い、そしてもう一つ用意していたらしいベーコンエッグの乗った白い皿をノルチェの目の前に置いた。

 ノルチェの顔が僅かに歪む。リーフェイは意地悪い顔をして、すっと顔をノルチェの近くへ近付ける。

「く・い・よ?」

「...........が、んばる...」

 ノルチェは置かれたスプーンにベーコンエッグを乗せて、それをじろじろと眺めて口の中に頬張る。

 胃袋が小さいのか、彼女はあまり食べる方ではない。むしろ殆ど食べないようで、リーフェイが食事を無理やりにでも食べさせているのを、最近メイアンは知った。

 流石にコンペイトウだけで一日の食事をやりくりしようとしていたという話には、心底驚いた。

「...アズリナさん」

「はい、何でしょうか?」

 メイアンは部屋の隅で立っていたアズリナへ声を掛けた。

「あの...、ニアは、...えっと、その...........、今日はご飯一緒じゃないのかなって」

 昼や夜は別々に食べる事が多いが、朝だけはニアと一緒に食べるのがメイアンの習慣の一つになっていた。だからこそ、今日いつもの席に彼の姿が見えないだけで違和感を感じてしまう。

「ミオム様の所へお話に行きましたよ。ベンジャミンもスノーブルーも、流石に遊郭内に入って遊女として情報を得る事は出来ませんから」

 その話を聞いて、メイアンは自身の目の近くに手を伸ばした。鏡で見ても単なる黒目にしか見えないこの目が、聖眼と呼ばれるものであるなんて。未だに信じられていない。

 これを過激な魔物が欲しがっている。メイアンの命を奪ってでも。

「...ご安心ください。貴方が記憶を取り戻し、聖眼の力を操れるようになれば問題ありませんから」

「そう、ですね」

 記憶は、一切思い出せていない。

 本当の名前、家族。どこの出身なのか。来たばかりの頃にあった、今は無い身体の痣。謎は多いばかりだ。

「こら。そう深刻な顔せんで」

「いて」

 コーヒーを持って来たリーフェイに、軽く額を小突かれる。

「長い目で見る方がええんですよ。焦りは禁物」

「...........ありがとうございます」

 メイアンはコーヒーを受け取り、あったかいそれに静かに口を付けた。


 豪華な朝食を食べ終わると、二階へ戻って歯磨きをしてから図書室の方へ向かう。そこには既にノルチェがおり、最近メイアンが読み始めた本を机の上に置いていた。

「よく覚えてるね...」

「同じタイトルの本を二回も出せば、覚える」

 ノルチェはくす、と笑って、メイアンは静かにその本に目を通し始める。

 最近簡単な文字を覚えて、それが書けるようになったので、今度はすらすらと読めるようにと本を読み始めたのだ。

 いつか難しい文字が書けるようになったら、手紙をしたためてもいいかもしれない。

「早く書けるようになりたいなぁ...」

「ゆっくりでいい。頭がパンクする」

 彼女の言う通りではあるので、メイアンはゆっくりと一文字一文字を眺めて読んでいく。ノルチェはその間図書室の適当な本を取って、流し読みをしていく。

 誰も何も喋らない、ゆったりとした時間が流れる。


 不意に、ぴくっと不自然にノルチェの肩が揺れ、いつもの閉じられた瞳が小さく震えた。


「...........メイアン、少し出てくる」

「へ?」

 時計を見てもまだ昼前である。昼食時間にはまだ早い上に、そもそもノルチェは食事にあまり重きを置いた行動をしていない。

「どうしたの、急に?」

「......少し、な」

 彼女は言葉を濁し、メイアンの黒髪を優しく撫でた。まるでそれ以上は聞かないでくれ、と言いたげであった。

 メイアンが口を閉ざしたのを見て、ノルチェは何も言わずに彼の額の前髪を搔き上げ、そこに唇を落とした。

 彼の顔が真っ赤に染まったのを尻目に、ノルチェは図書室から出て扉の前で振り返る。

 人の手の方の指先に赤い光を灯し、それを扉の鍵部分に当てる。

「護」

 小さく呟くと、赤い光は四散して鍵にそれがまとわりつく。それを見届けた後に、静かに黒い腕の方を見下ろした。

「大丈夫、耐えられる」

 ノルチェは嫌な気配を感じた玄関ホールへと駆けた。


 時は少し遡り、アズリナが玄関前の掃除に取り掛かっていた時であった。黒い門の前に二人の少女が立っていた。

 青紫のパーカーを着ている少女と、黄緑色のパーカーを着ている少女。背格好は似たようなもので、焦げ茶色の髪の毛をしていた。双子、なのだろう。

 この黒薔薇館近くに誰かが寄るのが珍しく、恐らくこの辺りに来たばかりの子なのだろうと、アズリナは簡単に頭を整理して、二人の近くへ近付いた。

「どういたしましたか、お嬢さん方」

 アズリナが優しく声を掛けると、黄緑色の少女の方が顔を上げる。


 その顔は笑っていて、赤い瞳は裂けていた。


「はぁい、こんにちは。殺しに来ました」


 可愛い顔に一切似合わない声と同時に、隠し持っていたらしいナイフを振りぬいた。メイド服の黒い胸元のリボンを犠牲にして、アズリナは後ろへ一回転して下がった。箒を斜めに構え、チリトリを盾のようにして少女を睨む。

「そうですか。お引き取りください。無下無下と死ぬ訳にはいかないですし、私」

「じゃあ、言い方変えるー。聖眼がここに、いるんでしょ?それをくれたら殺さない。ボクらはそれを取ってこいって言われただけだから」

 二人は黒い門を越えてこようとはしない。恐らく、結界の存在を知っているとアズリナは算段付けた。中に居れば、平気かもしれない。

 そこで、青紫色のパーカーの少女が口を開いた。

「壊す」

 彼女はポケットから淡い桃色の液体を取り出すと、それをアズリナに向けて投げ付けた。

 が、飛距離は足りずそのままぱりんと地面で砕け、液体が地面へと染み込んでいく。

 意味の無い行動を取るはずがない。様子がおかしい。

 アズリナは箒を持つ手の力を強める。


「あはは、じゃあ作戦決行だぁ!」

 黄緑色のパーカーの少女は声高らかにそう言うと、姿

 アズリナは僅かに目を大きく見開き、それからすぐに風を切ったような音を聞き逃さず、そこへ箒を振るった。

 箒の柄とナイフの刃が、交わる。

「へぇ!神速の血族クイック=ブロードの速さについてこれるんだ!!」

「っ........。生憎、私は優秀なメイドですので」

 箒で防ぎながら少女の身体を蹴り飛ばす。

 そこでアズリナは異常に気付く。

 侵入者が入って来たらすぐ分かるようになっている結界が、いつの間にか壊されている事に。

 アズリナはメイドだ。戦闘の経験は護身程度のものしかなく、つまりは殺される可能性の方が高い。

「あははっ、面白くなってくるねぇ、最ッ高だよッ!」

 けたけたと少女は笑いながら、ナイフを振るい続ける。消えたと思えば裏を取られ、それを防げばまた消える。

 防戦するしかなかった。

「ッおら!」

 ぶん、とナイフが振り落ちてくる。箒はどんどんと削れていく。アズリナが小さく舌を打った時、ぬっと一気に目の前が暗くなった。

 アズリナがちらと後ろを振り向くと、狼の顔に獅子のたてがみを抱いた体長二メートルを超す生物が尖った爪を剥いていた。

 腕に長いひっかき傷を受けながらも、四本の腕を使って後ろへ転がり、玄関の扉に背中を打ち付ける。

 それに僅かに顔を顰めつつも、敵の数を己の目で確認する。


 少女が二人。そして巨大な魔素複合体マナ・キマイラが二体。


 一人では明らかに不利であるが、今アズリナがここから離れて二人を呼びに行く時間はない。そんな事をしていたら、否背中を向けたら死ぬだろう。

 命を賭けて主を守れるなら死ぬのは恐れないが、今死ねばリーフェイとノルチェ――、何よりメイアンが危険だ。

 彼らの目当ては、メイアンの瞳に他ならない。ならば、この状況をどう打破してみせる。


 アズリナは拳をグッと握り、地面すれすれに蜘蛛の糸を撒き散らす。それはナイフを持った少女の片足と、魔素複合体マナ・キマイラ二体の両足にまとわりつく。青紫色のパーカーの少女は、所作で見抜いたようで躱して下がっていた。

「く......ッ」

「......へぇ、蟲人むしびとって魔法だけじゃなくてこういうのも出来るんだ。面白いねー!」

 感心したように彼女はそう言って、それから後ろで沈黙を保っている少女の方へ顔を向けた。


「ねぇ、イヴ!っ」


 まるでご飯を一口もらうような、そんな軽い口調で彼女はそう言って、手に持っていたナイフを後ろの彼女へ投げ渡した。あまりの異常さに無表情を保っているアズリナでさえも、その表情に動揺を隠せなかった。

 イヴと呼ばれた青紫色のパーカーの少女は少し悩んだ後、とんと地面を蹴るとナイフで片足を切った。

 黄緑色のパーカーの少女は、切れた足を蜘蛛の糸から外すとそれを血の滴る傷口に押し当てた。そして赤い瞳をカッと見開くと、更に傷口に足を押し当てる。

 すると、接着剤でくっ付けたように足がその傷口に引っ付き、普通に動き始めた。


 アズリナはそれを見て、驚かなかった。むしろ、自身が忘れていた事を後悔した。


 吸血鬼はあくまでもある一つの能力が特化しているだけだ、と思われがちであるが、そもそもその他の能力も魔導士や人間といった生き物に比べると、天地の差があるのだ。

 傷を吸血鬼の力を使って治すなど、造作もない事なのだろう。ただ、その痛みの軽減や治る速さが、血族によって違うというだけなのだから。


 彼女はぴょんぴょんと跳んでから、イヴからナイフを受け取ってアズリナへ切っ先を向ける。


「さ、楽しかったけど、終わりだよ?」


 アズリナは、拳を握って静かに少女達を睨みつけていた。

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