第16話 それさえも

 夜は深い。夜は、化け物が蠢き出し、彼らの世界となる。

 吸血鬼とて、それは例外でない。が、ニアは夜は外に出歩いて血を吸うといった事はせず、のんびりと机の上の紙に目を通している。

 そこには今までの魔素複合体マナ・キマイラについて書かれている。

 ことり、と小さな音を立てて、資料の積まれた机の横に血液の入ったグラスが置かれる。

「あまり夜遅くまでしていると、朝遅くなりますよ」

「お前はその点、いっつも早起きだよなー。なんで?」

「優秀なメイド、なので」

 完全無欠、といった雰囲気で彼女はそう言った。それからすぐに、アズリナは部屋の壁際へと引き上げて、静かにその場所で待っている。

「......なぁ、アズリナ。これを見てどう思う?」

 ニアはアズリナの方へ、手の中にあった資料をひょいと手渡した。

 アズリナは僅かに嫌悪感を露わにしたが、すぐにいつも通りの涼し気な顔へと変わり、その資料を受け取った。

「私のような者に縋るしかないのですね、可哀そうです」

「いいから、それを読め」

 アズリナは一礼してその文面に目を通していく。

 それはリーフェイとノルチェが相手にしていた、メイアンを見つけた日の魔素複合体マナ・キマイラの情報だ。

 狼の獣人ウェアビーストの血液成分。それに加えて魔導士とエルフの血液成分。そして――、

「ノーデーター、ですか」

「そう原因不明の、謎の成分が入っている。これが恐らく関わってるはずなんだ」

 どうやらどの個体にもその謎の成分が入っているらしい。

「今までのどの魔素複合体マナ・キマイラにも含まれているのですか?」

 アズリナの問いにニアは静かに頷く。

 今までのデータには共通項が分かりやすいように、赤いペンで印を付けている。最初の方は偶然だとばかり思っていたが、改めて見てみると明らかにそればかりが目立つ。

「合わせやすくする為の、重要なつなぎなんでしょう。これがないと魔素複合体マナ・キマイラが産まれないような」

「だろうな。こういうのが作れるとしたら、やっぱり研究所くらいだろうな」

「頭の狂った貴族やマッドサイエンティストかもしれませんよ」

 金があればある程度の事は出来るだろうし、もし聖眼を手に入れる為に魔素複合体マナ・キマイラが生み出されたのなら、手に入れようとしている者に加担しているマッドサイエンティストという話も頷ける。

「やっぱり、目が鍵、だよな」

「何をいまさら。最初から、それがこれの原因の一つの要因に他ならないでしょう」

 アズリナの呆れた溜息に、ニアは苦笑いしか返せなかった。そこではた、と彼女は思い出したように口を開く。

「また、女性をたらしこんで連れてくればよろしいのでは?女から訊くのも仕事の内、なのでしょう?」

 嫌味ったらしい言い方に、ニアの眉が寄る。使用人とは思えない口振りだが、はっきりと物事を言う彼女だからこそ、ニアは気に入って側に置いているのだ。

 解雇したくなった事がない、とは言わないが。

「何となく、メイアンがいると...、部屋に連れ込めない」

「はぁ。私がいる時でもお構いなしにおっぱじめようとしていた性欲魔物と私が言っている貴方とは思えない発言ですね」

「それは申し訳なく思っているって、あの時も謝ったろ?!」

 そうでしたっけ、とあっけらかんとした物言いだ。

 話の筋が反れた。ニアは咳払いをして、話を元に戻そうとする。

「...どうしたら、ローズベリの敵が取れるんだろう......」

 ニアの考えは、結果そこへ行きつく事になる。


 愛おしい、かけがえのない婚約者。

 無邪気な笑顔が愛らしくて、吸血鬼という物珍しい種族にも分け隔てなく愛した。

 その笑顔が血に汚れた姿が、酷く脳裏によぎる。


 血で汚した、あの白い肌。


「...旦那様」

 アズリナに声を掛けられ、ニアはハッとする。僅かに気まずい空気が流れたが、それを壊してくれたのはアズリナであった。

「明日、ミオム様の所へ行ってみてはいかがですか。浮気云々とか関係なく、遊郭の情報を得られるのは、貴方だけでしょう?」

「そうだな」

「では、私はそろそろ失礼いたします。いい加減眠たくなってきました」

 彼女は手元にあった紙を丁寧に元の場所へ戻すと、部屋の扉の前へ行ってニアへ一礼すると、そのまますたすたと出て行ってしまった。

 静寂に包まれた部屋は、ニアの呼吸と紙の音しか響かない。


 ***


「あぁ、ちくしょう!酔いが覚めちまった!くそ、誘ってやがると思ったのによ」

 狼の獣人ウェアビーストと獅子の獣人ウェアビーストは、舌打ちをしながらエルフの遊郭街の方へと足を向けていた。濡れた服や身体をずるずるとひきずって、先程起こった出来事に二人で言い合っている。

 この二人は先程まで酒場で飲んでいた。そこへ、情報屋を名乗る男が来たのだ。聖眼や魔素複合体マナ・キマイラについて訊ねて来たのだが、彼は無意識なのだろう、飾り気のない匂いを撒き散らしながら、近付いて来ていたのだ。

 酒の酔いで理性などあってないようなものになっていた二人は、彼を酒場から引きずり出し、そのまま事に及ぼうとしていたが、それを魔法で防がれ逃げてきたのだ。

 お陰で、酔いは覚めてしまい、気分は最悪であった。それを直すべく、遠いがエルフの遊郭街へ向かっているわけである。

「あぁ、気持ち悪ぃ...」

 ぶつくさと文句を言いながら、ゆったりと歩いている。

 その時、横の路地から出て来た彼らの腰の位置程しかない背丈の焦げ茶髪の人物が、機嫌の悪い彼らにぶつかってしまった。

 ガタイが良いのは獣人ウェアビーストの方であるので、小さな人物の方が尻餅をついてしまった。

 機嫌の悪い二人は、すぐにその人物の首根っこを捕まえた。

「おい、何ぶつかってきてんだ...?あぁ?」

 獅子の獣人ウェアビーストが凄むが、青紫のパーカーのフードの下の白い顔は無表情で、長い睫毛に縁取られた黒目は、感情も何も宿していない。臆した様子など、微塵も見せなかった。

 ただその両目の奥の瞳は、縦に裂けていた。

 二人は、夜目のあまり効かない種族であるが故に、その点を完全に見逃していた。

「......ふぅん、吸血鬼の女か。おい、俺達今苛立ってんだ、ごめんなさいの一言もねぇのか?」

 何も答えない。

「とりあえず、こいつでいいか。あんまり年下に興味がないが、申し訳ないと思うなら、身体くらい遠慮なく差し出すだろう。こんな夜遅くに歩くっていうのが、教えてやらないとなぁ」

 しっかりと上まで上げられていたチャックに彼らが手を伸ばした時、その手が手首からぼとりと地面に落ちた。

「あ?」

 あまりにも突然の不意打ちに、頭の中でその光景が上手く整理できなかった。

 ただ、目の前に自身の手首が転がっており、手の断面から赤い肉と血が零れて落ちていっているのが、頭に焼き付く。

「あ、ああああああ、ああああああああッ!!?」

 ようやく切られたのだと理解し、震えた声で叫ぶ。

 目の前の少女は、下げられかかっていたチャックを再び首の辺りまで上げて、叫ぶ彼をじっと見ていた。

 獅子の獣人ウェアビーストは、急いで後ろで沈黙を保っていた狼の獣人ウェアビーストへ声を掛けようとしたが――、そこには血だまりとぐったりとした身体と、黄緑色のパーカーを着た少女が立っていた。

 その手には、赤い液体の滴る白銀のナイフがあった。

 少女が獅子の獣人ウェアビーストの方へ振り返る。暗闇の中でも分かる血のように赤い瞳は縦に裂け、にいっと気持ちの悪い程口角を上げてこちらを見た。

 明らかに、身体つきや性差を考えれば勝ちは明白であるというのに、身体が全く動かない。


 圧倒的な強者。


 ひゅ、と風の切る音が耳元で鳴ったかと思うと、せり上がるような熱と腹に冷たさを感じ、意識がふつっと消えた。



「あーあー、全く面白くなかった」

 ナイフを持つ手を赤く染め、頬や服の至るところに返り血を浴びている彼女は、ニヤニヤとした笑みを絶やす事なく目の前の死体に目を落とした。

「......平気ぃ、イヴ?」

「平気」

 赤目の少女はナイフの血をぺろりと舐め、両頬を押さえて首を横に振るった。

「久し振りの生の血液!はぁー、生き返るわー」

「血液はいつでも生。レイ、これ」

 黒目の少女は、パーカーのポケットから薄紫色の液体を渡した。それを赤目の少女は奪い取って蓋を開けた。

「これで、オッケーになるわけ?ボク、あんまりボスの考え分かってないんだけどさー」

「ボクもよく分からない。でも、従うしか道はない」

 彼女の言葉に、にぱっと赤目の少女は笑う。そして蓋の中にあった液体を目の前の死体に半分、もう半分を獅子の獣人ウェアビーストへかけた。

 しばらくすると、液体が掛けられた場所から溶け始め、磁石のようにくっつき始めた。ゆっくりと、お互いが手を伸ばして一つの生命体になり始める。

「んふふふ、これでカードは揃った...」

 完全にくっついた身体は、のっそりと起き上がる。未だ溶けている顔が虚ろな瞳を二人の少女へ向けていた。

「黒薔薇館、だっけか?あの、聖眼を持つ魔導士がいる場所」

「また黒薔薇館の吸血鬼が、聖眼を抱く者を手にしている」

「あの男は平和ボケした、どうしようもない奴だ!そう、あの聖眼に宿りし魔力を暴発させれば、忌まわしい人間を殲滅してやれる!ボク達、魔物を追い出したあいつらを...!」

「うるさい、レイ」

「そう言って。イヴも興奮、してるでしょ?つまらない日常からの脱却。たまらなく、ぞくぞくするよ」

 そう言って、彼女はまた目を爛々と光らせてナイフの血液を舐めて嗤う。

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