Past.M The girl tie of your body in the spines of thorn.

 私が先輩に出会ったのは、数年前。私がまだ父親の元で暮らすしかない子どもの頃の事だ。

 母親に関しては分からない。私を産んで亡くなったのかもしれないし、離婚したのかもしれないし。その記憶は何もない。理由を聞かせてもらった事もない。

 ただ、父親は最悪な人だった。

 簡潔に言えば、虐待を受けていた。一日に一回殴られる・蹴られるなんて当たり前。不機嫌な時には物を使って殴られていた。痣の消える時はない。

 そんな日々が変わったのは、案外あっさりとしたもので。

 父親がどういった仕事をしていたのかは知らない―興味もないが、彼は命を狙われたのだ。しかも当時から実力を見せつけていた〈蒼月の弓矢〉に。

 その時家に来たメンバーの中に、先輩はいた。

 私は檻の中で、父親がわめきながら殺されるところをぼんやりと見ていた。脳漿と血液を混ぜた体液が床のカーペットに染み込んで、だらりと垂れた赤い舌を「だらしないなぁ」と考えていた。

 かちゃりと、私に対して銃口が向く音がした。その人が先輩だった。


 死ぬのかな。今まで死ななかった事がおかしいし。別に死んでもいいや。こんな汚れ切った世界で生きる意味、ないでしょ。


「......抵抗、しないの?」

 でも、私に放たれたのは銃弾ではなく、震えた声だった。私はのろのろと顔を上げる。

 彼は今、確かに私の命を握り締めているに等しい。さっさと殺せばいいのに、どうして殺さないんだろう。不思議でしかなかった。

「なんで、抵抗する必要があるのか...。分からない。別に死んでもいいと思ってるから、殺してくれていい」

 私は思っていることをそのまま口にした。彼はとても驚いた顔をしていた。それは何でかは分からない。こんな薄汚れた世界で生きているのなら、殺しをしているのなら、こんな人間なんてざらに見ているだろう。

 初仕事、ってやつなのかもしれないな。

 そんな事をぼんやりと考えていたら、いつの間にか先輩の顔は近付いていて、銃口は下に下げられていた。

「ね、ねぇ...。ついてくる気、ない?」

「........どういう意味?」

「"Knight Killers"。それが俺達だ。君の事はどちらでもいいってリーダーは言ってたから、その...、良ければどうかな...って」

 なに苦笑いしてるんだ、この人。そんなものの答えなんて、決まっているといっていいものだ。

 誰も、死にたくはない。

 殺されてしまうならしょうがないとは思うけど、わざわざ自分で殺してくださいとは、とても意思表示出来ない。

「........私、いいの?何も出来ないかも知れない、使えない人形でしかない」

「そんな事言わないでよ。大丈夫、俺が居るから」

 先輩はそう言って私を取り囲んでいた檻の鍵を銃弾で取り外し、私の手をぐいっと引いた。


 私はそれをきっかけとして〈蒼月の弓矢〉に所属する事になる。文字の読み書きはおろか、武器の扱いもままならなかった私に、先輩が教育係として様々な知識を教えてくれた。...恐らく、先輩が拾ってきたから、面倒を見るのも先輩だったのかもしれない。それでも周りの人が冷たいという事は無く、家族という言葉で表すに相応しい場所だった。

 そういう環境下で、私はそこでの仕事を覚えていった。殺す事に対しての抵抗も薄くなっていったし、そういう自分が狂気に置かされているとも思わなかった。だって、周りの人間がそればっかりだったら私は「普通」で、先輩がおかしい人だった。


 先輩は、選択が出来ない人だった。

 それはリーダーが決めた事はすぐにこなすけど、自分で決めなくてはいけない事は全く出来なかった。依頼であればどんな人間でも殺すが、そこに少しでも自分の意思が入ってしまったら、彼は急に何も出来なくなる。それが彼にとっての唯一といっていい欠点である。

 ま、別に私としてはどうでもいい。先輩が側に居る、それだけで十分だった。


 〈蒼月の弓矢〉は少し、いやかなり変わった体制をとって"Knight Killers"だ。普通の"Knight Killers"ならば、一人が複数の役割を担う事が多い。とりあえず殺しの技術は全員が備えている。

 しかし、それ以外の技能も持ち合わせていないといけない。

 例えば、ハッキングや電子回路等の焼き切りには必要な知識がいる。暗殺もただの殺しというわけではない。

 そこでなのか、このチームでは各分野で細かくチームを分けられている。運び担当、ハッキング担当、暗殺担当。とまぁ、そんな感じで。

 私は暗殺部隊。先輩は前線攻撃部隊。そして――、ユキ先輩はハッキング部隊だった。

 だから、私は暗殺具を今でも執拗に用いる。〈蒼月の弓矢〉での思い出に未だに縋っている証拠であり、家族と共にあるんだという事を実感出来る方法だから。


 そう、家族との日々は存外長く続かなかった。


 その日たまたま、私は先輩のサポート役として、仕事を共にしていた。敵の親玉を私が暗殺して、統率の消えた残りの人間メンツを先輩が殺す。そんな割合簡単な仕事だった。

「帰ったらのんびり寝ましょっか、先輩っ」

「そうだね」

「つれない返答ですねぇ。もう少しこう...ノリノリな返答してくれないんですか?」

「無茶言うよ...」

 二人でそんな他愛のない会話をしながら、二人でアジトへと戻って来た。その場所は――凄惨な場所となっていた。


「え........」

 血に濡れた仲間達、死体となってしまっている家族の姿。私は空いた口がふさがらなくて、それは先輩も同じだった。しかし、すぐに彼は気を取り直して私の肩を揺すった。

「生きてる人を、探そう」

 先輩の声に突き動かされるように、私は小さく頷いてアジトの中を隈なく探した。しかし生きている人なんていなかった。でも、足りない人は一人いた。




 ユキ、先輩だ。



「ユキ先輩が、皆を殺して逃げた......」

 私にはそういう風にしか考える事が出来なかった。先輩もその考えに賛成、というか同感であったようだ。

「家族を...ユキが...」

 ユキ先輩はリーダーが拾ってきた子だ。それ以上の過去については何も知らない。だから、もしかしたら...、ユキ先輩の恨んでいる相手がリ-ダーというのもおかしい話ではない。

 でもその事は先輩には言わなかった。言えなかった。先輩はもう、ユキ先輩を家族の仇としか考えられていなかったから。

 本人は分かっていないと思うけれど、雰囲気がもう違うのだ。いつもとまるで違う。憎悪が、憎しみが、殺意が。彼の穏やかな雰囲気を消し去っていた。

「ねぇ、先輩」

 私は出来る限り、声を押し殺して先輩に訊ねた。

「...どうしようか。...どうしたら、いいんだろ」

 先輩はまた、そうやって「選択」を渋った。...恐らくそこに、自分の意思が入ってしまうから。


「...俺達は、普通の人間としての生活を送れるのかな...」


 その言葉に、私はすぐに答えが出せなかった。

 それに対する答えは、無理、という一択しか存在し得ないから、

 いつか必ず、どこかで足がつく。そうなったら何もかもを捨てて逃げないといけない。いやそれ以前に、私は一人で生きていけるのかどうかも怪しい。誰かに頼らなければ、生きていけない。

 でも、先輩以外に頼る事なんて、考えられなかった。

「先輩....、このままこれ、続けませんか...。きっと、多分、私達はもう.....」

 日の光を精一杯に受けた、普通の人間としてなんて、生きられない。


「そうだよね...。マキ、ごめん。変な事聞いて」

「いえ...。じゃ、新しい屋根のある家でも探して、職も見つけましょう。私達の腕ならどんなものでもこなせるはずですから」

 私は笑う。それが少しでも先輩の救いとなれば...。

 彼の表情は曇ったままだったけど、少し柔らかくなった気がした。


 そして、私達は警察が嗅ぎつけてくる前にここから逃げ出し、今住んでいるあの家を見つけた。そこは空き家で、夜逃げでもしたのか一通りの家具は揃っていた。少々ボロ屋ではあるが、きちんと整備すれば、ちゃんと家として済む事が出来そうであった。

 基本的には、仕事もばらばらで受けるようになった。二人共が死なないように、という先輩の配慮によるものだった。




 そして私は、こうして「今」を生きている。

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