Episode.8 Happiness is ended and wrest its muzzle in her arms.

 少ししてから、三人分のオムライスが席に運ばれてきた。

「美味しそう!」

「んふふ、ささ、食べましょうか。ね、ユイ?」

「は、...はい」

 ユイは初めて見るオムライスを、じいっと観察していた。

 オムライスは、黄色く薄い卵が乗せられたケチャップライスのようである。すんすんと鼻を鳴らしながら香ばしい匂いを嗅ぐ。

「さ、まずはユイから食べな」

 マキはとん、と机を叩く。ユイはこくんと頷いて、「いただきます」と小さく言って一口食べた。そして大きく目を見開いた。

「美味し?」

 がくがくとユイは首を振る。ふわりとした卵にケチャップライスが合い、頬っぺたが落ちそうになる。

「じゃ、俺達も食べますか」

「ええ」

 マキとシノもオムライスを食べ始める。

 ゆったりとした曲調の音楽が流れ、静かな食事音だけが響く。誰も何もしゃべらない食事の時に、不意にマキが顔を上げて指摘した。

「あ、ユイ。ご飯粒付いてるよ、頬っぺた」

「ふぇ」

「あ、いいよ。取ってあげる」

 マキはすっと手を伸ばして、ユイの頬に触れる。


 その時だった。

 窓ガラスが派手な音を立てて割れ、マキの腕を弾丸が撃ち抜いた。彼女の手を撃ち抜いた弾丸は、シノに当たる事なく机に穴を開ける手前で止まった。

 目の前で血が噴くという光景に、ユイは目を奪われる。マキは痛みに顔を顰めつつも、躊躇う事なく机を割れた窓ガラスの方へ蹴り上げた。割れたガラス片が、ユイやシノ、自分に振りかからないようにする為に。その間にシノは呆然とするユイを抱えて、背を屈める。

「マキっ」

「平気」

 マキは冷静に答えて、ベルトの後ろへ隠し持っておいた折りたたみ式のナイフを取り出す。そしてちらりと店長とウェイトレスの方を見る。彼らは血色を失い、この状況に驚いているようである。

 彼らは黒幕ではないようだ。

「ま、マキさ、」

 か細く震えた声でユイは目に涙をいっぱい溜めて、カタカタと震えていた。

「先輩、頼みますよ」

 マキはユイに何も言わず、そのまま外へと駆けだす。

 あの短時間でマキは、ユイとシノを狙っている人間であるとすぐに察しをつけていた。二人が外に出てしまったら、また狙撃される可能性がある。シノだけならばまだしも、ユイを庇いながら狙撃を躱すのは賢い選択ではない。

 窓ガラスを撃ち抜いた位置から敵の大体の居場所を予測する。

「あそこからか...、なかなか優秀な狙撃手だね。先輩狙ってたんだろうけど、偶然私の腕が射線に当たったって感じか」

 マキはにいっと笑って見せる。その顔がスコープの向こうの人間に見えるように。



「ユイ...」

 店の中で、シノはユイを抱き抱える。ユイはカタカタと震えて、シノの腕をぎゅっと握った。シノは彼の心を落ち着かせようと、とんとんと背中を優しく叩く。

「大丈夫、ユイ。怖くないよ」

「ふぅ、う、っう...」

 ぽろぽろと目の端から涙を溢し、それを懸命に拭っている。あんなに身近で血飛沫を見れば、こうなってしまうのが普通なのであろう。

 とりあえず、このままこの店に居続けるのは出来ない。

 店のカウンターテーブルに、三人分のオムライス代をきっちりと払って、泣きじゃくるユイを姫抱きしたまま外へ出る。

 外には血の流れる片腕を押さえるマキが立っていた。シノは障害物に隠れつつ、辺りを模索する。

「マキ、あれから何かある!?」

「いいえ。一撃で仕留め損ねたからこちらに来てるのかもしれないですね。もしかしたら別の場所で仕留める気ですよ、今の内に離れましょ」

 マキは何でもないようにそう言い、市場とは真逆の方向へ足を向ける。シノはユイの様子を見ながら、マキの後ろを追う。

「ま、マキさん...っ。ごめんな、さい...」

 ひっくひっくと泣き声を上げるユイに、マキは血に濡れていない方の手でユイの頭を撫でる。

「だいじょぶ。心配しないで。家、帰るよ」

 優しく微笑んで、マキはユイにそう言った。

 シノはマキの顔色を観察していた。血が大分流れていってしまっているのか、顔色が良くない。血の流れはゆっくりと止まっているものの、決して止まってはいない。弾丸が貫通しているのがせめてもの幸いだ。

「行くよ」

 マキが先導し、シノは背後を見守る。それ以降、三人は特に襲われる事なく家路に着く事が出来た。


「先輩。ユイだけ先に連れて行ってください」

「マキはっ」

「分かってるくせに...」

 マキは口角を上げて、トントンとナイフの柄で太腿を叩いて見せた。シノは少し眉を寄せて「すぐに戻る」と小声で言って、ユイの手を引きながら走っていく。

「っマキさん!」

 ユイの伸ばした手は空を掴んだ。


 二人の背中を見て、マキは先程まで通っていた路地へ目を向けた。

「お久し振りです。ユキ先輩」

 そう声を掛けると、その路地の角から眼帯を付けた女が現れた。その口元にはマキに負けず劣らずの笑みを見せていた。

「やほ、久し振りだね、マキちゃん。シノくんの姿も見えたけど、元気にしてるのかな」

「貴方に答える義理はありませんねぇ」

 マキはユキへそう言い、ナイフの切っ先を彼女の方へ向けた。その瞳は好戦的である。ユキは小さく苦笑いを浮かべ、拳銃の銃口をマキへ向ける。

「貴方が何もしなければ、私も何もしない。少なくとも〈蒼月の弓矢〉の時にお世話になってるから」

「そう思うのなら...っ」

 マキはぎりっと唇を噛む。その目は好戦的な色合いから一転、憎悪が込められた瞳へ変わっていた。


「なんでリーダーをっ、〈蒼月の弓矢〉を壊したんですかっ!!」


 血を失い大した力など残っていないだろうに、マキの声は大きく路地に響いた。ユキはほんの少し動揺を見せるも、そのにこやかな表情は崩さない。

「さぁ、なんでだろうね?」

 ただただ飄々とした態度で、マキを見ていた。マキは獣の如く息を吐きながら、足をゆっくりと動かし構えを取る。それを見てユキは両手を挙げた。

「別にマキちゃんは殺さないよ。シノくんだって、殺せっていう任務は出てるけれど、殺すつもりはないし。だって、生き死になんて誤魔化せるもん」

 その言葉に、マキの目は大きく見開かれる。

「ユイ...。あの子が目的なの?」

「最悪は死んでてもいい、って言われてるんだけど...。生け捕りを所望されてるからね。なら最善の努力は惜しまないつもりだよ」


「渡せません」


 それは即答だった。

「なんで?」

「あの子は、先輩のお陰でようやく人並みの幸せを知っているんですっ!今まで耐え忍んできた苦労が、報われようとしているんです!彼が掴みそうな幸せを、奪い取らせるわけには、いかないっ!!」

 マキの言葉に、ユキは先日見せてもらった写真の事を思い出す。シノとユイの顔写真を。

 シノは相変わらず下手くそな変装で身元を分かりにくくしていた。そして、ボロボロの布切れを継ぎ合わせたような服を着た少年は、酷く諦めた瞳をしていたのを覚えている。この世のすべてに絶望し、諦めたような――。それは先程まで追いかけていた時に見せていた無邪気で楽しそうな表情とはまるで違う。

 シノとマキによって変わった事は明白だった。

 ユキがぼうっと考え込んでいると、マキが間合いを詰めて斬りかかって来ていた。慌てて拳銃の銃口でそれを受け止め、ナイフの切っ先を反らす。

「暗殺具、相変わらず愛用してるの?」

「っぐ」

 ユキの足払いを躱す事なく、マキは地面に倒れ込む。

 いつもの彼女ならば引っかからないようなものだが、血を体内からかなり失っているのだろう、足元がおぼつかない。立ち上がろうとしているのに、すぐに立ち上がれない。

「昔から、どうして使ってるの?」

「っ貴方に言う事なんてっ!」

 ぐっと腕に力を入れて立ち上がろうとするマキの肩に、ユキは足を置いて立てないようにする。


「マキっ!!」

 そこへ、ユイを安全な場所へ連れていったシノが、拳銃を片手に戻って来た。

 地面に倒れているマキと、その彼女を足蹴にしている敵を見て、シノの血液が頭に一気に上がる。それを気取られぬように、また自身を落ち着かせる為に、低い声音で彼女の名を口にする。

「...ユキ」

「やほ、シノくん」

 彼女は気さくに彼へ笑いかけた。

 シノはカッと目を見開き、一気にユキの懐まで間合いを詰め、何も言わずに拳銃を引き抜いて撃つ。ユキはマキの肩に乗せていた足をずらし、その弾丸を頬に受けながらも、銃口をシノの眉間に狙いを定めて――、引き金を引かなかった。

「舐めてるのか」

「いんや」

 パンッとシノはユキの手に握られていた拳銃を、殴って弾き飛ばす。ユキは殴られた痛みに反対の手で押さえ、顔を顰める。

「酷いな。折角殺さないであげたのに」

 トントンッと短くステップを踏みながら後ろに下がり、通って来ていた路地の横に立つ。逃げようとしているのは、すぐに分かる。


「次会ったら、容赦しないよ。ユイって子、奪っちゃうから」


「っ待てっ!!」

 シノがユキの方へ駆けだそうとした時、彼の足元にパンと小気味よい音が鳴って、先の潰れた銃弾が転がった。

 飛んできた方向へ目を向けると、黒髪の男がスコープを覗いていた。恐らくマキの腕を撃ち抜いたのも、彼なのであろう。

 その間に、ユキはさっさと逃げており、そこには誰も居なかった。


「っくそ!」

 シノは荒々しく地面を蹴った。土と砂埃が少し舞い、さらさらとそこから少しだけ離れた地面に落ちる。普段の彼からは想像つかない程、感情に任せた行動であった。

 マキはゆっくりと身体を起こし、息を整える。

「先輩」

 シノへ声を掛けると、彼はハッとした顔をしてマキへ駆け寄って来た。すぐに傷口を診る。

 真剣な彼の瞳に、マキははっと吐息交じりに笑って震える唇で「もう塞がってるんじゃないですか」と、冗談交じりにそう言った。すると、シノはムッとした顔へなった。

「そんなわけないだろ!」

「和ませようと思ったのに...」

 少し膨れっ面になったマキを見て、シノは溜息しか出なかった。それが強がりであると分かっているからこそ、猶更その態度はやや腹立たしく思ってしまう。

 しかし、非があるのはシノの方だ。彼が何も感情を抱かずにユイの命を奪っていれば、マキにこんな傷は負わせていなかった。それだけは確かである。

「...ごめんな。俺のせいで、怪我負わせたな」

「...何言ってるんですか。先輩、悪くないでしょ。ユイを受け入れたのは私だって同じなんですから。共犯者ですよ。気負わないでください」

 にこり、と彼女は力なく笑って、シノの胸の方へ倒れ込んだ。神経が緩んだのだろう、シノはマキの身体をそっと抱き寄せた。

「でも......、申し訳ないと思ってるなら...、後処理...、よろしく......お願いしますね」

 だんだんと言葉の端が弱くなり、突然かくりと力が抜けた。顔を見ると、瞳が閉じられており、定期的な寝息が聞こえてくるだけだ。

 シノはマキのその身体を抱き抱え、そのまま家の方へと向かっていった。

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