番外編 この手よ、届け 後編

「剣、無事かッ!」

「華村百枝はどうした!?」


 それから間もなく、オートバイ部隊を撃破した楯輝と洸が合流して来る。だが、華村百枝の「変身」を目の当たりにした耀流には、力無く眼前のサソリ型戒人を見つめることしか出来なかった。


 本職プロの軍人でさえ自我が保てなくなるケースが多いと言われている「戒人」に、民間人が・・・・改造されたということもあり。かつて華村百枝だったサソリ型戒人は、全く理性というものが感じられない暴走状態に陥っている。

 仮に他の戒人がここに来ていたとしても、彼女を制御することは叶わなかっただろう。


 ――否、元より彼らは制御するつもりなど毛頭ないのだ。


 剣耀流に動揺を与え、無辜の民間人を殺すという業を背負わせることこそが、彼らの目的なのだから。


「……! この短時間で、彼女を改造したと言うのか……」

「さては国防軍の奴ら……俺達の動きに目を付けて、戒人に使えそうな民間人を探していやがったな。つくづくクソな連中だぜ」

「葵、山吹……アレは華村さんだ、華村さんなんだよ! 何とか助け――!」


 その仕草から状況を察した2人は、国防軍のやり方に憤る。一方、震える手で楯輝の袖を掴む耀流は、本心では不可能であると理解していながら――この期に及んで、救済の道を模索していた。

 そんな彼が言い終えないうちに、洸は無言で耀流を殴り倒し。楯輝は彼の肩に手を乗せ、諭すように訴える。


「……分かってるはずだ、剣。ああなった戒人にはすでに、自我はない。華村百枝という人間なら、とうに死んでいる。彼女を利用して、お前の動揺を誘うのが国防軍の狙いだ」

「……」

「奴は、華村百枝を内側から殺したんだ。だから、その落とし前を俺達で付けてやらなきゃならねぇ。……嫌ならいい、俺達で勝手にやる」

「……分かってるよ、分かってんだよ。お前らだけに、そんなことさせられない」


 頭では分かりきっていたことだった。戒人になった時点で、もはや人は人ではなくなり、鋼鉄の人型兵器となる。

 それでも、自分より戒人に詳しい楯輝なら、あるいは。そんな希望的観測を捨て切れずにいた耀流は、彼自身による「死」の宣告によって、覚悟を強いられた。


 そんな彼にとっては、洸の拳は最後の後押しでもあった。落とし前を付けねばならないなら、その先陣は彼女の家族を守れなかった、自分が切らねばならない。


「行こう。葵、山吹」

「……あぁ」

「待ってたぜ、その台詞」


 その決意の向こうに待つ、「死」へと彼女を導くために。

 差し伸べられた洸の手を掴み、立ち上がった耀流は――声色に滲む悲哀を押し殺して、その意を汲む仲間達と共に、拳を構える。


「――閃身ッ!」


 そして、拳闘ボクシングの体勢で起動音声パスコードを入力し――右腕の腕輪型閃身装置ライトニングチェンジャーに内蔵されている、強化外骨格パワードスーツを装着した。

 粒子化された外骨格が全身に展開され、3色の鎧が彼らの身を固めていく。鉄仮面に備わる逆十字アンチクロスのバイザーが、その輝きを以て「主」への叛逆を表明していた。


「……紅蓮の1号レッドアインス


 閃身を終え、前へと歩み出る耀流は。悲痛に歪む貌を仮面に隠し、「介錯」のため、ホルスターから熱閃銃を引き抜く。


紺碧のブルー――2号ツヴァイ


 彼に続く楯輝は、その業を彼1人に背負わせまいと。手にした氷水盾を「介錯」に向けて、砲身へと変形させていく。


黄金のイエロー3号ドライ


 雷光拳を握把グリップに変形させながら、悠然と歩む洸も。仮面の下で憤怒の形相となり、耀流の「介錯」に付き合っていた。


正義を穿つ一閃の大義ライトニング――前進せよゴー・ア・ヘッド


 やがて「点呼」を終えた3人は、1ヶ所へと集まり。耀流の言葉を合図に、それぞれの得物を組み合わせ、「武装合体」を完成させて行く。


「……ヴゥッ……モモ、ガ……モモガァァッ!」

「……」


 その最中、自我を失ったサソリ型戒人は無造作に暴れ回り、針を携えた尾を振り回していた。

 だが、彼らは止まらない。何度その尾に斬られ、傷付けられようとも。淡々と部品を組み上げ、一つの「バズーカ砲」を生み出して行く。


 ――敢えて、動けなくなるまで痛め付けはしない。苦しむことなく一瞬で消し去るために、彼らは斬撃を浴び続ける。

 その痛みを、「咎」として受け止めて。


「……」

「剣。これを罪だと思うなら……勝利を以て、贖え」

「平和を願って死んで行った、全ての人間に代わって。このクソみてぇな時代に、反乱軍の勝利をくれてやれ」

「……あぁ」


 やがて3人は、満身創痍になりながらも「武装合体」を完了させた。組み上がったバズーカ砲を支える2人に促され――耀流は、砲台の後部に熱閃銃を挿入する。


「……華村さん」


 そして、僅かな逡巡を経て。最後にもう一度だけ、彼女の名を呼んで。


「モモガァァァアッ! ウゴォアァァアッ!」


「……」


 この手も声も、届くことはないのだと。最後に、確かめて。


 少年は仲間達と共に、引き金を引く。


「トライデントッ……ブラスタァァアァアァアァアーッ!」


 それは「号令」か、あるいは「慟哭」か。


 怒りのようであり、悲しみのようでもある、彼らの雄叫びと共に――砲口から迸る灼熱の奔流が、サソリ型戒人を一瞬のうちに飲み込んで行く。


「……!」


 そして、光の向こうに旅立つ中で。耀流は、確かに見たのだ。


 こちらに向けて手を伸ばす、華村百枝の姿を。


「……華村、さん」


 だが。手を伸ばすにはもう、遅過ぎる。この世とあの世は――彼の手には、遠過ぎる。


 やがて彼女の姿は、幻となって消え去り。全てが終わった後には黒焦げた路面と、僅かな破片だけが残されていた。


「……」


 だが。彼らには哀れむ資格も、悲しむ暇もない。

 これほどの業を重ねた国防軍に誅を下し、混沌に沈みゆくこの国に平和が訪れるのは――まだ、遠い先のことなのだから。


 ――華村百枝、戦没。享年、36歳。


 ◇


 それが、あり得たかも知れない世界。第3次世界大戦が起きていれば、繋がっていたかも知れない可能性。

 しかしそれは所詮、核戦争が起きなかったこの世界においては――いくつもの並行世界パラレルワールドの中にある、遠い国の物語に過ぎない。


 第2次世界大戦以来、数十年に渡り平和を享受してきたこの世界の日本は、今もなお平穏な時代を謳歌しているのだから。


「やっべ、遅刻だよ遅刻……! まーた不動の奴、学校でピリピリしてんだろーなぁ……」


 季節は春を過ぎ、夏を経て、秋に辿り着き。紅葉の舞う目黒川の並木道を走る少年は、息を切らして学校を目指していた。


 ――朝の通学路で困っている人を見かけては、時間そっちのけで手を差し伸べ、遅刻の危機に陥る。

 それは今に始まった話ではなく、剣耀流つるぎあかるは学年首位の成績でありながら、遅刻ギリギリの常習犯として――風紀委員長・不動暁音ふどうあかねにマークされていた。


 気の強さ故に孤立しがちな彼女にとって、誰に対しても分け隔てなく接してくれる華村百花はなむらももかは、かけがえのない親友であり。

 その百花が、同級生クラスメートの耀流に対して仄かな想いを寄せていることが、暁音としては気に食わないのである。


「あぁ……次は説教2時間だ……。なんでオレにだけやたら厳しいの、アイツ……!」


 そんな私情が絡んでいるとは知らない、耀流自身は今日も。自分に対しては特に厳しい風紀委員長の形相を想像し、げんなりした表情を浮かべていた。


 ――そして、間も無く学校が見えてくる頃。近所の幼稚園に通う園児達が、視界に入り込んでくる。横断歩道を渡る彼らを導くために、保育士の女性が笑顔で旗を振っていた。


「おはよーございまーす!」

「おーうっ、おはよっ!」


 肩に鞄を乗せ、学校を目指しひた走る耀流を見るなり、元気よく声を張り上げる幼子達。

 時間にルーズな高校生は、満面の笑みで彼らに挨拶を返しながら、厄介な風紀委員長が待つ学び舎へと向かって行った。


 ――の、だが。


「……っ!? おいっ!」


 曲がり角から飛び出してきた1台の車が、信号のない横断歩道に向かって突き進んで来る。まだ渡りきれていない、園児がいるというのに。


「あっ……!?」

「く……!」


 肩越しに子供達を見ていた耀流は、その車に気づいた瞬間――素早く踵を返し、疾風の如く駆け出した。


 そして、小さくか弱い体に手を伸ばし――瞬く間に抱き抱え、横断歩道から引き戻す。僅か数cm先の世界を、車が通り過ぎて行ったのは、その直後であった。


「……っ、ぶねぇ。保育士さんの旗見えてなかったのかよ、全く!」

「お、おにいちゃ……こわがっだよぉ……!」

「おう、よしよし。ちゃんと届いて、良かったよ」


 その背にため息をつく彼の腕の中で、死の恐怖を味わった園児は我を忘れて泣き噦る。そんな彼をあやしながら、耀流は幼子を抱く腕で、小さな命を包み込んでいた。


 ――彼の手は、届いたのだ。今度こそ。


「だっ……大丈夫でしたか!? 本当に、本当にありがとうございます! なんてお礼を言ったら……!」


 すると。一部始終を間近で目撃していた保育士の女性が、大慌てで駆け寄ってくる。危うく目の前で、園児の命が失われるところだったのだから、当然の反応であった。


「あっはは、大丈夫っすよこれくらい。それより、この子に怪我がなくて本当に良かっ――」


 そんな彼女に対し、子供の頭を撫でる耀流は、朗らかな笑みで振り返り――固まってしまう。


 艶やかな黒髪を靡かせる、彼女の美貌故ではない。理由など、あるはずがないというのに。


 気づけば彼の頬には、雫が伝っていた。


「――あ、あれ、なんで。あはは、目にゴミでも入ったかな」


 その滴りに保育士はもちろん、耀流自身も動揺してしまい、彼は慌てて目元を拭う。

 そんな彼の様子を暫し見つめた後、保育士――華村百枝はなむらももえは、そっとハンカチを差し出した。


「これ……良かったら、使ってくださいな。娘と同じ高校の、生徒さんですよね? その制服」

「えっ……あ、はい、どうもありがとうございます。娘さんって……?」

「いつも百花がお世話になっております。……母の、百枝です」


 美男子と言って差し支えない少年の容姿と、遅刻寸前な今の時間帯から――愛娘が毎日話題にしている「想い人」であると察した彼女は、恭しく頭を下げる。

 一方、学園のアイドルとして知られている同級生の母親と知った耀流は、目を丸くしていた。


「百花っ……て、華村のお母さん!? 若っ!? あ、じゃなくてえぇと、オレこそいつもお世話になってまして」

「ふふっ。娘が皆様と仲良くして頂いているのであれば、何よりですわ」

「いやいや、とんでもないっすよ。あの子、すっごい礼儀正しくて優しいし美人だし、クラスの男子からもめっちゃ人気で……」

「……それより、学校はよろしいのですか? 確か、間も無く始業時間ですよね」

「ファッ!? あっ、マジだやっべぇ! すみません百枝さん、オレ行かないと!」

「はい、どうか気をつけてくださいね」

「にーちゃん、ありがとー!」


 だが、遅刻確定が危ぶまれているこの状況下では、驚いている暇もない。耀流は笑顔で手を振る百枝と、ようやく泣き止んだ子供に手を振りながら、学校に向けて再び走り出して行く。


 そんな彼の背を見送る、1人の母親は今日も――子供達に愛を注ぎ。娘の帰りを待つ、日常を繰り返していた。


 戦いに汚れることのない、曇りなき秋空の下で。

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