月と踊る運命

淡麗

序章1-1

 あの日は手を離され、手を掴んだ日。運命に抗い絶望し、飢えと疲労に苛まれながら過ごしていた日々の終わりだった。

 恐ろしい、と一目見て思った。男はこちらを見ていただけで何と思ったのかは知らない。なのに私は腰が抜けて動けなくなった。

兄に助けを求めて、一緒に逃げなければ、と重い体を動かして兄を見上げようとして気づいた。

 兄はその場を駆け出し距離が離れていた。

顔は青ざめていたような気がする。必死に迫り来る恐怖から逃げ、生きたいという意志が私を捨てるという結果を生み出したのだろう。けれどそんな論理なんてものよりも、

 

 兄にとって私はそんなものだった。私にはそれだけが全てだった。


 わたしよりも自分が大事だった。それだけのことだ。家族だと言いながら、私を置いていった。

 そんな激情に苛まれ、呆然とする私に目の前の仮面の男はゆっくりと歩み寄ってきた。私は動くことなど出来なかった。例え死ぬのだとしても逃げられると思えなかったし、生きている理由もない。

 だから男が近づき私と目線を合わせるようにしてしゃがんだ事がとても不思議だった。

何かに迷うように男は瞳を揺らして片方しか見えない瞳を閉じて声を、発した。

「……もし、君に行く宛がないのなら一緒に来てくれないだろうか?」

 どうしてと問う声は正しく音とはならなかった。普通に考えればおかしいし男の雰囲気は恐ろしいものでしかなかったのに。気がつけば私は、

「……いきたい」

 そう言っていた。一人は嫌だった。兄が私を置いて逃げたことを許すつもりもなかったから、生きていなければと思った。

「……あ」

 彼は手を伸ばし私の頬に垂れた涙を拭う。どうして涙が、と思えども止まらない。

 彼は理由を問うことなく、何も言うことなくそれを自らの袖で拭う。

 その沈黙がとてもありがたくて、優しいように感じてしまった。



「ヘカテー?どうかしたのかい?」

 ぼーっと空を見上げる私を見てクラウスは私に声をかける。少し前の、懐かしい記憶を思い出していたことは彼に言うには恥ずかしい。

「……何でもないわ」

ふと顔を逸らせば彼はそうか、と呟いた。

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