第17話:気になる人

「雪絵…」

「何?」

「詩依…どうしてるんだろう?」

 結局、あたしもよく眠れずに朝を迎えた。

 雪絵は外を眺め、あちこちに目線を動かしている。


「…緋乃…詩依が帰ってきた」

「えっ!!?どこっ!!?」

「下に降りよう」

 あたしたちは急いでホテルのロビーを抜けて外に出る。


「雪絵、詩依はどこ?」

「もうすぐ着く」

 雪絵が指さした先はホテルの前を貫く道路。

「どれ?」

 車が一台、こっちに向かってきているように見える。

 豆粒ほどの大きさにしか見えないけど、朝日を反射して何かチラチラと動いている。

「雪絵、あれ見えるの?」

「間違いない」

 聞いた内容と違う返事だけど、雪絵が確信して答えた。

 次第に反射してチラチラしてる何かが、車だとわかるようになった。

 外が明るすぎて、近づいてきても車内の様子はわからない。

 やがて車はホテルの、あたしたちの前に止まる。


「詩依…」

 おもわず駆け出して、降りてきた詩依に抱きついた。

「詩依~っ!心配したよ~っ!!」

「ごめんなさい、緋乃ぉ」

 車の運転手が出てきて

「おや、そこ子たちかい?お友達というのは」

「はい。大変お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

「ははは、大げさだね。それじゃ元気でな」

 おじさまが車に乗り込み、走り出す。


「大げさなんかじゃない。本当に一生忘れない一晩を過ごしたようね」

 雪絵が小さく呟くけど、潮風と波の音にかき消されて聞こえなかった。

 ロビーに入って再会を喜んだ。

 一晩中探しに出ていた三人が疲れた顔でロビーに姿を現す。

「衛…」

「詩依…」

 駆け出してきて、衛は詩依にヒシっと抱きついた。

『おおっ!!』

『ええ~っ!!?』

 あたしと詩依も驚いた声を出す。

「よかった…無事で…本当によかった…」

 衛は目にクマを作りつつ、大粒の涙を流して喜んでいた。

 一旦詩依&雪絵の部屋に集まり…。


「ほんっとーに、申し訳ございませんでしたぁ」

 深々と土下座して謝る詩依。

「マジ、無事でよかったよ」

「さっき通り過ぎた車が詩依の乗ってきた車か。そりゃいくら探しても見つからないわけだよな」

 翔と俊哉が続けて言う。

「まさか一晩中探し続けてくれていたなんて思わなくてぇ…おまけに誰の電話番号もわからないから連絡のしようもなくてぇ…」

「もーいーから頭上げろって」

 衛が少々呆れ気味。

「チェックアウトは何時まで?」

「十時」

 雪絵が答える。

「わーった、それまで爆睡するわ。安心したら眠くなった」

 翔は携帯を取り出し、電話をかける。

「…はい、見つかりましたので捜索は不要です」

 こんな時でも翔はしっかり気配りできるのがすごい。あたしはすっかり忘れてた。

 ならおとといの夜、あたしにしたことはなんで…?

 何も言ってくれないの?


 翔と衛と俊哉は部屋に戻ってベッドに飛び込むと、ほどなく意識は闇に落ちた。

「はい。詩依が浜辺に忘れた荷物」

「ありがとう雪絵ぇ」

 詩依と雪絵が居た部屋にあたしも残り、やり取りを見ていた。

 安心したらなんだか眠くなってきちゃった…。

 そのままソファでウトウトしていた。

 雪絵はその姿を見て微笑む。


「詩依、よかったね」

「えっ?…うん」

「それで、返事はどうするの?」

 詩依は少し驚いた顔をするけど、優しい微笑みの顔になる。

「うん。もう決めたぁ」

 こくりと頷いて答えた。

「そう。詩依も乗り越えたんだね」

 フワッと微笑む雪絵。

「いつまでも…同じところにいちゃダメだよねぇ」

「本当に大変なのは、これからだと思うけど」

「そうだね…本当に…緋乃もこうして同じ悩みを抱えてるのかなぁ…」

 ソファで横になっている緋乃を見て、二人は優しい気持ちになっていた。


 チェックアウトして、荷物が多いからと近くを観光して後にお昼を済ませて帰ることにした。

 電車の中でも男性陣は爆睡している。

「いろいろあったけど、楽しかったね」

「うん。迷惑かけちゃってごめん」

「貴重な体験ができたみたいで」

「雪絵ぇ…」

 詩依がジト目で雪絵を見る。

 雪絵が微笑んで黙る。

「…えっ!?何っ!?何を隠してるのっ!?」

 思わず飛びついてしまう。

「ん~…内緒っ!」

 詩依がはにかみながら可愛らしく人差し指を口元に持ってきて笑う。

「き~に~な~る~!」

「あははははっ」

 いつもの笑い顔だけど、今日の詩依の笑顔はどこか違うようにあたしには見えた。

 心からの笑顔。

 それは生まれてから初めて見せる、混じり気の無い澄み切った笑顔だった。


 数日後、詩依がお世話になった小鮒夫妻に小包が届いた。

 入っていたのはキレイにクリーニングした服と、詩依と一緒に二人で幸せそうに笑っている写真と短いメッセージカードだった。


 夏休みが終わり、今日から学校が始まる。

「おはよう、緋乃ぉ」

「あっ、詩依おはよう…って衛も一緒なんだ?」

 カバンを置いた詩依があたしの席の近くに来る。

 顔を近づけてきて、内緒話を始めた。


「え~~~~~っ!!?」

「ちょ…声が大きいぃ」

 声をコソッとモードにして

「本当なの?衛と付き合い始めたって!?」

「遅かれ早かれバレるしぃ、雪絵にはもう気づかれてるからぁ…」

 詩依は別荘ツアーの後で緋乃が衛のことを心配していたのがきっかけで、衛を必死に慰めて励ました。

 なんとか持ち直したところで、登校日に衛が騒ぎを起こす。

 登校日の騒ぎが終わってから衛に呼び出された。

 衛の口からは過去のことが語られて、それが思い違いだったことを知る。

 過去の苦い経験を乗り越えた衛は、必死に支えてくれた詩依への想いに気づいて、衛は詩依に告白した。


 衛は待つから返事はいいと伝える。

 詩依は詩依自身の、笑顔で本当の感情を覆い隠す自分には恋が不向きと感じて、返事を先延ばしにした。

 海の旅行先でトラブルになったけど、旧姓である安蒜家の親に虐待されたことで、笑顔の仮面を被ることを覚えて、その驚異が無くなった後もやめられなかった。

 安蒜あんびる夫妻によく似た小鮒こふな夫妻に優しくされ、本当の感情を表に出すことを恐れなくなった詩依は、心を通わすことに抵抗がなくなって衛に返事をした。


「もしかして旅行帰りの雪絵とのやり取りって…」

 頬を赤らめて、こくんと頷く。

「おめでとう。詩依っ」

「ありがとう緋乃。で、そっちはどうなのよぉ?」

「それが…」

 あの旅行で心残りがあって、以来翔と連絡もできていない。


「本人に聞かないのぉ?」

「だって…聞くの怖いもん」

「ほんっと緋乃はそういうところ臆病だよねぇ。ならあたしが代わりに…」

「だめっ。直接聞きたい…」

 はぁ…。

 詩依が残念そうにため息をつく。

「自分から聞くのは無理ぃ。でも翔の口から聞きたいなんて、翔が些細なことだと思って忘れてたらずっと引きずることになるんじゃないのぉ?」

「詩依、なんか感じ変わった」

「どう変わったのぉ?」

「ん~…前はもっといろんな感情を笑顔で隠してたような気がするけど、今は感情を隠さないでいるような」

 苦笑いする詩依。

「なんだ、気づかれてたんだぁ。そう、そのとおりだよぉ。詳しい話はまたするけど、今は緋乃の話でしょ」

 うっ…話を戻された。

「よし、こうしよぉ。翔が来たらすぐ聞くぅ。緋乃が聞かないならあたしが聞くぅ」

「ちょ…勝手に…」

「おはよう、緋乃に詩依」

「うん、おはよう…って…」

 ギギギィと振り向いたその先には…

「し…し…翔!?」

 怪訝そうな顔を向けられた。

「ほら聞いた聞いたぁ」

「ま、まだ心の準備が…」

「ん?」

 どうした?と言いたげな顔をする翔。

 ドックンドックン鳴ってる心臓をなだめるように胸をさする。

「じゃああたしからぁ」

「だめーっ!!」

 詩依の言葉を遮るように割って入る。

 翔の顔を見て

「おっ、お話がありますっ」

「なんで敬語…?」

 教室を出てひとけの無いところへ行く。


「で、話って何?」

「えっと…その…」

 遠くで聞こえる雑踏や会話がやけに響いて感じる。

 どうしよう…?

 ストレートに聞くべきか、遠まわしに聞くべきか…。

 

 「どうしてあの夜、してくれなかったの?」

 いやいや、これじゃまるで翔を責めてるみたいじゃないっ!!

 それにっ、そんな聞き方したら

「なんだ?お前そんなにしたかったのか?まさか淫乱…?」

 なんて返されたら、もう二度と翔の顔見られないっ!!

 もっとこう…。


「夏の思い出づくり、ちょっぴり…残念だったな…」

 違う違うっ!!

 これじゃ最初からすること前提で旅行に誘ったみたいじゃないっ!!

 こんな聞き方したら…

「お前の思い出ってのは安いもんだな」

 なんて返されちゃうっ!


「あたし…翔の彼女だよね?」

 これも違うよねっ!

 もう付き合ってるんだから、ここで確認してどうするのっ!?


「あたしのはじめて、もらってほしかったな」

 無理無理っ!!

 恥ずかしすぎてそんなこと言えないっ!!

 それに翔がなんて言うかっ…。

「なんだなんだ?焦ってるのかお前」

 なんて言われちゃうっ!!


 あーもーっ!

 なんて聞けばいいのかわからないよ~っ!

 かといってこのまま聞かずにいたら、詩依が聞き出しちゃうっ!

 あたしは自分で、翔から聞きたい。


 いっそこの場で、あたしからキスしてみるのは…。

 無理無理っ!

 はしたないコなんて思われちゃうよっ!


「えっと…俺、なんかやっちゃったかな?」

「ええっ!?」

 自分でもドギマギしてるのがわかる。

「違うのっ!翔がなんかやっちゃったんじゃなくて、何もしなかったというか…してくれなかったというか…」


 雪絵は心配無いって言ってくれた。

 けどそれが何かはわからない。

 そもそも口出ししないつもりだったって言ってたし…。


 晴れて翔と付き合えることになったけど、付き合ったら付き合ったでこんなに悩むことになるなんて知らなかったよ~っ!

 どう聞くのが正解なんだろう~っ!?


「緋乃と連絡を取らなくなったのって海行った後だったよね。もしかして怒ってる?」

「ちっ…違うのっ!怒ってるんじゃなくて、どう思ってるのかが分からなくて、どうしていいか分からないのっ!」

 困ったような顔をする翔。

「詩依を探しに行って、帰りが朝になったこと?」

 ぶんぶん。

 あたしはかぶりを振る。

「それとも緋乃の水着姿を見て、つい黙っちゃったこと?」

「そっ…それも気になるけど…」

 あたしは思い出して、顔を赤くしてしまう。

「あれは…可愛すぎて、言葉を失っちゃったんだ。それで、言うタイミング逃して、そのままになっちゃった」

 雪絵がボソッと言ったイチコロって、そういう意味だったんだ。

 けど、あたしが今一番聞きたいのはそれじゃない。


 あ~…どう聞けばいいのっ!?

 聞き方を間違えると、変に思われちゃうよ~。

 初夜…は違う。新婚さんでもないしっ!

 あまり具体的な行為を出さないで、優しく包んだ表現で…。

 旅行の夜…多分これがキーになる。詩依を探した夜は二人で居なかった。

 昼は俊哉の乱入だから、これは違う。

 それで、途中でやめちゃったのがモヤモヤするところだから…。


「りょ…旅行の夜…どうして、途中でやめちゃったの?」

 かあぁっ。

 自分で顔が真っ赤になったのがよく分かる。

 聞いちゃったっ!もう引き返せないっ!!

 チラッと翔を見ると、顔を赤らめていた。


「あ…あれね…」

 翔が言いにくそうにしている。

 やっぱり聞いちゃダメだったんだ…。

 今すぐ逃げ出したいっ!!

「緋乃がすごく震えてて…緊張してることがわかったから、俺まで緊張しちゃっ

て…」

 自分でもわかるくらい、あたしは呆けた顔になってた。

 え…それでやめちゃった…?

 だったらあたしのせいでしょ。

「それで、ゲームでもしてワイワイ騒げば気まずくならずに済むんじゃないかな、と」

 照れ顔で言う翔。

「…てっきりあたしが何かがっかりさせたり怒らせちゃったのかと…」

「っ…自分で言うのも恥ずかしいんだけど、もしあそこで続けてたら…自分を途中で止める自信がまったくないってわかってたんだ。だから…」

 言って目を逸らされる。

 きゅぅぅんっ!

 胸が苦しくなるくらいときめいちゃった。


「…途中でやめなくて…よかったのに…」

「えっ?」

「…なんでもないっ…!」

 たまらずその場から駆け出してしまう。

 自分のバカバカッ!!

 あたしのことそこまで想ってくれていたのに、独り相撲して勝手に不安になって…。

 雪絵が言ってたこと、ほんとだった…。

 心配無いって。


 昼休み。

 いつもの仲良し三人組で昼食タイム。

「やっぱり勘違いだったんだぁ」

「うん。そうみたい」

「そんな状態じゃ先が思いやられるわねぇ」


 雪絵は黙々と箸を進めている。

 その目線は、一人の男子生徒を捉えていた。

「なんで…?」

 ため息にも似た小さい声で言葉を紡ぐ。

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