第8話:冤罪

 委員の仕事も慣れてきて、それほど時間がかからなくなった。

 翔は用事があると言って先に帰った。

 俊哉の家の前で張り込みでもするのかしら…?


 カバンを取りに教室へ戻る。

 教室を出た瞬間

「俊哉…?」

「………」

 黙ったまま目の前を通り過ぎて立ち去ろうとする俊哉を見ていたら…許せない気持ちが湧いてきた。

 あんなことをした俊哉を。

 けど、明らかに様子が違う。雪絵の言うとおり、まるで抜け殻のようだった。

「俊哉っ!待ちなさいっ!!」

 無視して行こうとする。

「聞こえないの!?待って!!」

 小走りで先回りして、対面に立って行く先を塞ぐ。

「これは………いいんだよな…?」

「何…が?」

「あいつに言われたんだ。お前には近づくな。関わるな…と」

 翔、相当厳しく言ったんだ。

 やっぱり、こんなの放っておけない。あたしが翔という安全圏でぬくぬくと見守ってちゃダメなんだ。

 まっすぐ見つめて言った。

 雪絵には俊哉と接触しないよう言われたけど…。

「お話が、あります」


 廊下や教室だと誰かに聞き咎められかねないと思って、屋上へ行く。

 ほんとに、生ける屍のごとく俊哉からは精気が抜けているかのようだった。

 何から話そう…?

「えっと…」

「話って、なんだ」

「…なんであんなこと、したんですか?」

「翔に近づいても無駄って言っても聞かないから」

「違うわね。単に諦めさせるためなら、さっさと告白させてしまえばいい。フラれることがわかっているんだから。けどその手前で止めようとするところにどうも違和感があったのよ」

「……」

 ぼーっとこっちを見ている俊哉。

「あなた自身に、この状況と結びつける何かがあるはずよ」

「………」

 何を考えているか分からない。けど前みたいな危なさは無い。


「最後に翔と付き合った子が好きだったのよ」

 えっ!?

 振り向くと、そこに雪絵がいた。

「雪絵…」

「それまで翔が付き合った子から、翔は毎回フラれた。最後に翔と付き合った子は俊哉が想いを寄せていた。またフラれると予感していた俊哉は『少しでも早く』と焦って言い合いになって、頭に血が登った俊哉は衝動的に、無理やり別れさせようとしてその子をある場所へ閉じ込めようとした」

 あたしと…状況が似ている?

「けどその閉じ込めた建物は古くて、床が抜けて地下へ転落した。足に重症を負った彼女は入院した。命に別状は無かったけど、なぜか閉じ込めようとした俊哉のことは何も言わなかった。彼女は別れを切り出そうとしていた矢先のことだったから、見舞いに来た翔をその場でフッた。そして翔にだけ、真相を明かした」


 ひゅおっ…。

 風が吹き抜ける。

「翔は激しく怒り、俊哉はその子からは無視されて謝ることすら許されず、翔には厳しく釘を差され、中学校生活の残りを静かに過ごした。わだかまりとして心に焦げ付いたその記憶は、後に翔も触れることを恐れてお互い暗黙のタブーとした」


「雪…絵…?」

 抜け殻のような俊哉にツカツカ歩み寄る。

「俊哉、あなたはまだあの時のまま何も進んでない。乗り越えてない。同じことを繰り返すだけ。いつまで立ち止まってるつもり?逃げてていいの?本当にそのまま逃げ続けてていいの?」

 いつになく真剣な眼差しを俊哉に向ける。

 その目線はあたしにも向けられた。

「…あたしは…逃げ出したくなることがいっぱいあった。特に前の交流合宿を取りまとめるホームルームでは、まともに喋れそうにないのをわかってて、でもクラス副委員長として教壇に立った。足がガクガクして、本当に逃げたかった。翔が代役として控えていたけど、甘えずに最後までやり遂げたわ」

 雪絵に視線を送る。

 コクンと頷く。

「緋乃は苦手意識を乗り越えた。あなたはどうする?逃げる?それとも…」


「もういい雪絵」

 声は後ろからかかった。

「えっ!?」

 振り向くとそこには翔がいた。

「俊哉を追い詰めてやるな。また自殺未遂しかねない」

 自殺未遂…!?そこまで思い詰めていたことだったのっ!?

「悪い、ここは二人にしてくれ。俺が話をする」

「…わかったわ」

 雪絵と二人で屋上を後にする。


「お前を傷つけるつもりはなかった。すまない」

 ガシャッ。

 金網を掴む翔。俊哉は金網にもたれているが、翔は少し離れたところの金網を掴んで向こうを見る。

「最後に付き合った子へ、お前が想いを寄せていたのに気づいたのはあの数週間前だった。また同じことになりそうだったから、せめてその時は俺から別れようと思ったけど…あの子の優しさに甘えてた。自分を…甘やかしていたんだ。もう少し早く勇気を出して決断していれば…」

 何も言わず、俊哉が屋上から出ようとしていた。

「用事ができた」

「そうか。またな」

 バタン。

 屋上のドアが閉まる。


「勇気出せよ。俊哉」

 もう聞こえるはずはないが、翔が俊哉のいた方を向いて呟く。

「そういや雪絵にこのこと話したっけ?なんで全部知ってるんだ」

 翔は携帯を取り出して電話をかける。

「久しぶり」

 電話機から不機嫌そうな声が届く。

「多分、これから君のところへあの人が来るけど、話くらいは聞いてやってくれないか?……ああ、頼む。もう害は無いと思う」


 雪絵から聞いた話によると、あれから俊哉は少しずつ元気を取り戻していったらしい。

 どうやら問題を起こした相手に俊哉の誠意が通じて、仲直りはできなかったものの許してはもらえたという。


 雪絵は気付いていた。

 俊哉は緋乃へ密かに想いを寄せているが、素直になれないのと、警戒されていることで、近づくのを躊躇っている。

 おそらくこの距離が詰まることはない。


 …で。

「よっ、翔に緋乃っ」

 いつもの四人組に入ってくるようになっていた。

「緋乃に近づいていいと言った覚えは無いんだが」

 苦笑いしている翔。

「あたし、まだあなたのこと許してないからね」

 とはいえ、以前ほどの嫌悪感は無い。それでもされたことについてはまた別の話。

「緋乃ぉ、今度の日曜に遊び行こっ」

「うんっ、行く行く」

 詩依の提案に乗るあたし。

「翔も行こうよぉ」

「行きたいけどごめん、俺その日は代役の単発バイトへ行かなきゃならないんだ。代わりに雪絵を連れてってあげて」

「なら俺も」

 俊哉が割り込んでくる。

「それは緋乃次第だな」

「だめ」

「ちぇーっ」

 正直、まだ一緒に過ごすほど気を許せていない。

 この単発バイトが、あたしと翔にとって試練になることは知る由もなかった。


 日曜日。

 あたしは詩依、雪絵と一緒に出かけた。

 翔はバイトに出かける。中学時代の友達が事故で骨折して、イベントスタッフに参加できなくなり、人の配置に穴が開いてしまったため、代役を出すことになって落ち着いた。

 事前の説明どおりにイベント会場で開場前の列整理をする。入場が終わればそれで終了。

 何事もなく無事に入場を終え、スタッフの控室へ足を運ぶ。


「お疲れ様」

 スタッフの控室に行く途中に声をかけられた。どこかで見かけたような顔だった。その女性は多分翔より年上であろう。

「ああ、おつかれさん」

「ねぇ、あなた今高校生でしょ?」

 落ち着いた感じの話し方だ。

「高校一年だけど」

「ずいぶん大人びてるよね」

「まだまだ子供さ」

 話をしていたら、女性は翔と近いところに住んでいることがわかった。


 歩きながら話をしつつスタッフ控室へ戻る。

「あら、一番のりかしら?」

「らしいな」

 女はペロッと舌を出す。

「あなた銘苅翔くん、だったっけ。いつも朝8時の電車に乗ってるよね?」

「それくらいに乗ってるな。あまり気にしたこと無いけど」

 女が近づいてくる。

「翔くんって彼女いるの?」

「いない。面倒だから」

「ふふっ、子供相手だとそうかもね」

 目の前までズイッと迫ってきて、翔の両肩に腕を回す。

「実はあなたのこと、前から見かけて気になってたの」

 吐息が感じられるくらいに迫ってきた。

「あたしと付き合わない?」

 言いつつ、顔を近づけてくる。

 唇が触れるその瞬間


「むっ」

 翔は女の口を手のひらで塞いだ。

「悪い。本当に誰とも付き合う気はない」

 そう言って振りほどくと、立ち去る後ろ姿を冷たい目つきで見送る女の視線を感じながら翔はその場を後にする。

 責任者に話して帰るか。仕事は終わったしな。

 カサッ。

 出口を通る際に、剥がれかけの紙が風に煽られて翔の腕に触れる。

 この辺に広く出没している通り魔注意の貼り紙だったが、特に気にすることはなかった。


 月曜日。

「で、緋乃が写真係なのぉ?」

「うん。ほとんど押し付けられたんだけど」

 学校新聞を作成するため、学校の日常を撮影することになった。

 新聞部というものもあるけど、部員が手をケガしていてクラス委員に仕事が回ってきた。

 この件で、担任が新聞部の顧問だったことが発覚したりする。

 撮影の際は「撮影担当」の腕章を付けるように指示があって、カメラと一緒に腕章も預かった。

「これもいい経験かも」

 雪絵が言うとなんか納得してしまう自分がいる。

 首から提げたカメラは小型。レンズは格納式でファインダーが無いタイプ。

 普段は収納ポーチに入れる。


 放課後。

 少し委員の仕事をしている合間に学校の風景を撮影している。

 委員の仕事って本当は面倒だけど、翔と一緒の時間が多いから苦にならない。

 今日は珍しく帰る前に日が落ちてしまった。

「ねぇ、翔」

「どうした?緋乃」

「写真って意外と面白いんだね。目で見る風景と、写真に撮った風景って違って見えるんだ」

 翔はふふっと微笑む。

「いいところに気づいたね。見る目によって同じものを見ているつもりでも、違うものが見えるものなんだ。例えば男と女の違いによっても」

「そんなもんなんだ?」


 公園を横切っていつもの近道をする。

「あの…」

「ん?」

「その…」

 あたしはカメラを抱えたまま言い出せずにいる。

「一緒に撮ろうか」

「えっ!?」

 なんで言いたいことがわかったの?

「言いたいことが顔に書いてあるよ」

 かあっ。

 急に恥ずかしくなって、顔を赤くして俯く。

「ほら貸して」

 翔はカメラを取り上げて、レンズを自分たちに向けてシャッターを押す。


 パシッ。


 初めてのツーショット。帰ったら保存しておこう。

 嬉しくもあり、恥ずかしくもなってしまう。

 撮った画像を確認している時、あることに気づく。

 日付や時間が入ってる…。

 風景を撮っている時は全然気づかなかった。

 背景に公園の時計台が写っていて、そのすぐ上に画像として日時が書いてある。

 ずっと明るいところで撮ってたから周りに紛れちゃったんだ。だから気づかなかったのか。

 翔と二人の写真。

 とっても大切な宝物になる予感を噛み締めていた。


 次の日、昼休みが半分過ぎた頃…事件が起きた。

一年二組銘苅めかるしょう君、至急校長室まできてください。繰り返します」

 校内放送で呼び出しが響き渡った。

「翔、何かあったの?」

「さあ、さっぱりだ」

 バタバタと騒がしく駆け寄ってきたのは俊哉だった。

「翔!お前何をやったんだ!?」

「さあ、何かの間違いだろう。すぐ戻る」

 肩をすくめて答えて、教室を出ていった。

「翔…」

「さて、潔白を示せるかな…?」

 雪絵は澄まし顔のまま小さい声で呟くのだった。


「どういうことですかっ!?」

 翔は声を荒げて抗議する。

 校長室で待っていたのは校長と担任、そして警察官二人と見覚えのある女一人だった。

 前の単発バイトで声をかけてきた女性。

 頭に包帯を巻き、脱臼したという左肩をかばうため三角巾を提げていた。

「この女性がそう証言している」

 校長が深刻そうな面持ちで答えた。

 昨夜のことだったという。

 夜七時ごろ、目の前の女性が帰り道で何者かに襲われた。この一帯で広く出没しているという。

 必死に抵抗したが力では敵わず、もみ合いの末に壁へぶつかった。

 命に別状はなかったものの、頭と左肩を壁にぶつけられて怪我を負った。

 通りかかった人の通報で緊急搬送される。命に別状は無かったものの傷害事件として調査をするが、他に目撃者もなく、女性の証言では翔が犯人だという。

 暗くて相手の顔までよく見えなかったが、女性が言うには声と身体特徴が翔と一致するという。


 ガラッ。

「まてよコラ!!」

「俊哉?」

 乱入してきたのは俊哉だった。

「キミ、部外者は教室に戻っていたまえ」

「うっせー。黙って聞いてりゃ勝手なことをべらべらと。翔がそんなことするわけないだろが」

 校長に噛み付く俊哉。

「そう声を荒らげないでくれ。今はあくまでも容疑というだけだ」

「昨夜の午後七時ごろはどこにいましたか?」

 担任の発言に警察官が続ける。

「クラス委員の仕事で遅くなって、駅近くの公園にいました」

「それを証明する人は?」

「副委員長です」

 担任はすぐに放送マイクを手に取る。

「待て。俺が呼んでくる。あいつを名指しで呼び出しさせたくない」

「俊哉…お前」

「任せとけって」

 言うが早いか、出ていく俊哉。


「許してくれなくたっていい!一生恨まれても構わない!あいつの…翔の潔白を示してくれよっ!緋乃っ!!」

 祈るような気持ちで走る。

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