ありがとう禁止令、おめでとう爆弾

龍輪龍

NGワード


「ありがとう」


 感謝の気持ちを伝えるのは、大切なことだ。

 それは分かる。


 ――――だが最近「ありがとう」を便利に使いすぎではないだろうか?


 収まりが良いから。なんとなく。

 心の中は無感情。

 口先だけの礼に如何ほどの価値があるというのか。嘆かわしい。



 神は怒っていた。


 コンビニのトイレを借り、何も買わずに立ち去ったところ、背後から「あざっしたー」という気の抜けた声が追い掛けてきたので、その怒りは頂点に達した。

 一体何がありがたいというのか。


「ありがとう」とは、有り難いに由来し、滅多にない奇跡に巡り会えて幸せ、という意味だ。

 それを無駄打ちしまくれば、「ありがたみ」も薄れるというもの。

 人間は「ありがとう」を使いすぎている。


 感謝の神たる彼女は、その権能で以てルールを定めた。



 ――――『ありがとう』と言った者は、対象に一万円支払う。


 これで乱用は減るだろう。

 人間は金にシビアだ。


 もちろん、「どうも」や「あざっす」などの言い換えも含めたし、各国の言葉も漏れなく定めた。

 サンキューなら100ドル、スパシーバなら6000ルーブル、グラッチェなら80ユーロ、メダーセなら460セディ……。


 この作業はとても疲れたので、神は3年ほど眠ることにした。

 目が覚めたとき、人々は重みある感謝を口にしていることだろう。

 実に楽しみだ。


   ◇


 世界は大パニックに陥った。

 取り分け可哀想だったのがレジ打ちバイト君だ。


「ありがとうございます」「ありがとうございます」


 薄っぺらな感謝を流れ作業のように口ずさむ仕事を終え、一服しようとした矢先、サイフが空っぽなのに気がついた。

 仕方なくATMに向かえば、預金残高がマイナス500万円を記録している。

 失神しそうな所を踏みとどまり、銀行に苦情を入れるが、繋がらない。


 電話回線は既にパンクしていた。

 全国から押し寄せる幾万のクレームによって。


 行員は受話器を取るなり、こう口にする。


「お電話ありがとうございます――――」


 被害者は増え続けた。



 その日、国民的アイドルのコンサートがあった。

 国内最大のスタジアムを貸し切り、観客は7万人超。

 スポットライトに照らされたステージの真ん中で、麗しい美少女は声を張り上げた。


「みんなーっ、今日は来てくれて、ありがとう――――!!」


 途端、彼女は丸裸になった。

 感謝の一声で負債総額7億円。

 それをあがなうために口座は限界までマイナスされ、所持品全てを持って行かれた。

 衆人環視の中、すっぽんぽん。


「――――きゃあああ!?」


 機転を利かせたスタッフがスモークを焚かなければ放送事故になっていただろう。

 兎にも角にも、この鮮烈なニュースによって人々はルールを理解した。


 ――――『ありがとう』と言ったら罰金される。



 それから数日後。

 誰も感謝を口にしなくなった。


「ん」

「ん」


 これがレジのやりとりだ。

 嘘でも「ありがとうございます」と言っていた頃は丁寧だった対応も、今ではすっかり荒んでいる。

 うっかり口走ってしまえば、1日の仕事がパーになるのだから。

 絶対にそう思ってはいけないのだ。


 社会はみるみる殺伐としていった。



「ヒャッハー! 金出しなぁ!」


 モヒカンがバイクごと突っ込んでくる。

 店員がレジを開けると、札束を掴み取って逃げていく。

 すぐさまパトカーが駆けつけ、モヒカンを取り押さえた。


 あとから来た店員は、盗られた金を取り戻し礼も言わずに戻っていく。


 ――――当たり前だ。警官が強盗を捕まえるのは。


 そう言う理屈で感謝に蓋をして。


 この年以降、警官になろうという人間は、年々減っていった。

 他人に奉仕するなんて馬鹿げている。

 治安は悪化の一途を辿り、人々から感謝の心は忘れられていった。



 事態を重く見た政府は、『相互感謝法』を制定する。


「『ありがとう』と言われた人間は、『ありがとう』と返さねばならない」


 これで金の動きは差し引きゼロになる。

 文法上では「どういたしまして」なのだが、それでは金が戻ってこない。


 また、個人が職務中に負った罰金については、企業側に立て替えの義務があると定めた。


 これでみな、心置きなく「ありがとう」と言えるはずだ。

 よかったよかった、一安心。




 ――――いつの世も、法の穴を付く悪人は居るもので。



 丁度ここに、設立3周年を迎える投稿サイトがあった。

 創業70年の老舗出版社Kをバックにつけ、業界に強い影響力をもつ最大手である。


 男は仲間を集め、海外サーバーからせっせと祝辞を送りつけた。

 のべ100万通の「おめでとう」。


 受け取った側は、勿論こう答える。


「――――おかげさまで3周年。みなさまからたくさんの祝福の言葉をいただきました。とてもありがたいです」



 その日、Kは倒産した。

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ありがとう禁止令、おめでとう爆弾 龍輪龍 @tatuwa_ryu

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