ある非常勤講師のはなし

ヒトリシズカ

出会いと別れの季節

「卒業、おめでとう」


 桜の開花宣言はまだない、肌寒さの残る三月上旬。学校長のほんの少し上ずった声が、マイクを通して体育館に響く。

 私が勤める高校の卒業式が、今まさに粛々と執り行われている。卒業証書授与が終わり、学校長式辞が終わった。この後は、皆勤賞や成績優良者などの表彰。来賓祝辞に在校生の送辞、卒業生答辞と、毎年あまり変わらない流れで式は進んでいく。

 私はそれらを聞くともなしに聞きながら、会場の空気を噛みしめていた。


 私は非常勤講師だから本当は式に出る必要も、もちろん席も用意されていない。だが今年はちょっと違った。今、私がいるのは体育館の入り口。卒業生の保護者よりも、在校生よりもさらに後ろ。ほとんど外と言ってもいいような位置にパイプ椅子をひとつ出して座っている。会場入口の担当者の教師が、昨日インフルエンザに罹っていることがわかり、人員交代。その結果人手が足りず急遽、予定の空いていた私が駆り出されたのだ。


「卒業おめでとう」

 この言葉を私が言うのは、今年で七回目だ。

 担当教科が書道なので、授業は彼らが一年生のときしかない。その為ここで働き始めて二年間は、全く接点のない生徒たちにこの言葉をかけた。

 怒涛のごとく駆け抜けた一年目は、その言葉を言うタイミングさえなかった気がするが、そういえば学年会報の全職員が寄稿する送る言葉でキッチリ書いていた。

 二年目は、少し余裕が出た気がするが、関わりのある生徒が極端に少なかったので、やはり彼らが卒業していくという実感はなかった。

 そして三年目。大苦戦しながら授業をしたあの子たちが、いつの間にかほんの少し大人の顔になって、胸に一輪の花を挿していた。この年、初めて心から「卒業おめでとう」と言えた気がした。

 三年目のときは、式に出席出来なかったので式の終わるのを見計らって、会場の外で彼らが出ていくときに小さく声をかけていった。すると、はにかんだような、ちょっと誇らしそうな笑顔が返ってきた。それを見て私も、感慨深さを感じて胸が熱くなった。それから次の年も、その次の年も、生徒たちとともに年を重ね、同じように送り出していった。

 そして七年目の今年の頭。正確には今年度の頭、四月に私はふと思った。


 ああ、また私は同じことを繰り返すんだ。と。


 毎年全く同じことをしているわけではないが、基本的な流れは変わらないし、変えることは出来ない。大人の事情で決まっているから仕方ない。それでも私は、そのことになんとも言えない虚しさを感じた。

 目の前に座って授業を受ける彼らは、あと三年経つとこの学校から、私の目の前から巣立っていく。それなのに、私はずっと見送り続けるだけしか出来ない。当たり前のことだ。私は教員で彼らは生徒だ。だが、その当たり前のことに、どうしようもなく心が揺れた。それはまるで自分だけがぐるぐると繰り返す時間の渦に囚われているような感覚で、幼い頃迷子になったときのようで途方にくれた。


 そんな時、ある日の昼休憩に学校の廊下で私はある女生徒と会った。

 彼女は二年前、私の授業を選択し受講していた生徒だった。彼女は私を見つけると小走りに寄ってきて、他愛のない話をしていく。その流れで彼女は私に言った。


「わたしね、先生の授業が一番楽しかったんだ。また先生の授業が受けたかったのに、先生が担当してる授業って一年生のときしかないなんて知らなかったよ。……まあ、一年生に戻るのはイヤなんだけどさー」


 そう言って彼女は笑って、自分の教室に消えていった。

 ……目から鱗が落ちた。それよりも、頭を思い切り叩かれたよう感覚の方が近いかもしれない。一気に霧が晴れていくような、暗い森に一筋の光がさしたような、そんな感覚。

 私は突然理解した。

 本当は、そもそも知っていたはずの事なのに、いつの間にか忘れてしまっていた大切なこと。私は時間に囚われているのではない、迷子などではない。

 ちゃんと進んでいる。彼らと同じ、時を重ねている。置いていかれるのではない。と。


 そこからの一年間もまた、矢のように過ぎた。

 私にそう言ってくれた彼女は、今日卒業する。


 懐かしむように目を細めていると、式次第は校歌斉唱に進み、あっという間に式は終わった。

 私の前を卒業生が並んで退場して行く。会場の空気を存分に吸って頬を染めた彼らに、彼女に、私は心から感謝を込めて言う。


「卒業、おめでとう」

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