【KAC8】神の箱庭

牧野 麻也

白銀の乙女

 それは、遠い遠い、簡単には行く事の出来ない世界のお話。


『神の箱庭』と揶揄されるその世界では、白銀の国と呼ばれる国と黒鉄の国と呼ばれる国が、それぞれが祀る神の名の下に、熾烈な争いを繰り広げておりました。


 しかし。

 その戦いにも、遂に決着がつきました。

 白銀の国の神が異界から召喚したという乙女。

 神の力を宿すというその乙女を使い、白銀の国が黒鉄の国を滅ぼしたのです。


 長い長い戦いが終わりました。


 そんな戦いが、まだ伝説になる前のお話。


 ***


「アリサ!」

 城のとある部屋の扉が突然バタリと開かれ、中に男がドタドタと入ってくる。


 中にいた年若い黒髪の女の子が、その勢いにビクリとして持っていた本を取り落とした。

「く……クレメント様?」

 クレメントと呼ばれた騎士の正装をした男が、女の子の落とした本を無視し、ツカツカと女の子に近寄ってその肩をガシッと強く掴む。

「戦勝記念三周年祭だ! 『白銀の乙女』のお前にも、もちろん参加して貰うぞ!」

「戦勝記念三周年祭……」

 あれからもう、また一年が過ぎてしまっていたのかと、女の子──白銀の乙女・アリサはふと窓の外へと視線を向けた。

 そんなアリサの様子などお構い無しに、クレメントは言葉を続ける。

「ああ! お前の為の祭りでもあるからな!」

「でも……」

 アリサは言い淀む。

 彼に掴まれた肩が痛い。

「私は……その。人前に出られるような……人間ではありません」

 そうポツリと呟いた彼女の言葉に、仰々しくクレメントは首を振って更に彼女に顔を寄せた。

「心配するなアリサ。白銀の乙女の衣装だ。勿論新しい最高級品を用意するよ」

 彼女の耳元でそう優しく告げ、そのまま頬に口付ける。

 思わず顔を赤らめるアリサだったが、そんな余韻など気づかないかのように、クレメントはアリサの肩から手を離して踵を返した。

「それまでに美しさに磨きをかけておくんだぞ!」

 彼は背中越しに彼女にそう告げ、慌ただしく部屋を出て行ってしまった。


 喧騒が過ぎ去った後の虚無感のようなものを感じながら、アリサは溜息をついて落とした本を拾い上げる。

 そして、机と反対側の部屋の隅へと視線をやった。


 そこには、開封すらされていない包み紙のままのプレゼントの箱が、山のように積まれていた。


「……本当に欲しいのは、服じゃないのに」


 彼女のそんな囁きを聞くものはいなかった。


 ***


 戦勝記念三周年祭のパレードが開かれた。


 晴れ渡った秋の空の下、着飾った騎士たちが馬に乗って街を練り歩く。

 パレードの中心には、飼いならされたい大型の獣が引く輿があり、そこには戦いの立役者である白銀の乙女のアリサと、その婚約者でもあるクレメントが。

 二人は手を振ってその声援に応えていた。

 まだ戦いの記憶が新しく、長年の悪夢についた決着に街の人たちは祭の度に喜んだ。


 パレードが街の中心部へ差し掛かった時。


 空が突然暗くなった事に、街の人々はザワついた。

 祭で浮かれた空気だった騎士達も、慌てて剣を抜き輿の周りを固める。

 空にはいつの間にか暗雲が立ち込め、遠雷が聞こえ始めた。


「ご機嫌よう、白銀の国の民たち」

 どこからともなく、低い女の声が広場にこだまする。


 次の瞬間、凄まじい稲光が辺りをパッと照らし、続いて響き渡った轟音と共に広場の中心近くにあった大木が真っ二つに裂けた。

 辺りにいた人々が衝撃で吹き飛ばされる。

 モクモクと裂けた大木から立ち昇る黒煙の向こう側に──


 一人の女が、冷徹な微笑みを唇に浮かべて、立っていた。


「黒鉄の魔女だ!!」

 騎士の一人が叫ぶと、蜘蛛の子を散らすかのように街の人々が逃げ惑う。

 馬から降りた騎士たちが、現れた黒衣の女をグルリと取り囲み、剣の切っ先をその女へと向けた。

「馬鹿なっ?! 黒鉄の魔女だと?! お前はあの戦いで死んだ筈だ!」

 クレメントは腰の剣を抜きはなち、腕でアリサを庇いながら腰を浮かせる。

「あら御免なさいね、生きてて。ま、生きてるのをけどね」

 女がそう挑戦的な視線を注いだのは、クレメント──の横の、アリサだった。


 国中の視線が自分へと集まり、アリサはビクリと肩を震わせる。

「まさかアリサ……」

 クレメントは、アリサから体を離す。

「違うのっ! 知ってはいたけどっ……でも、あの人はもうこの国に危害を加える気はないのよ!」

 疑いの眼差しに、アリサが思わずそう言い訳をすると、クレメントは厳しい顔をアリサの腕を掴み、黒鉄の魔女を睨め付けた。

「お前はっ……またアリサをたぶらかしたのかっ……」

「あらやだ人聞きの悪い」

 そんな悪意の視線を黒鉄の魔女はヒラリとかわす。

「私は年に一度、戦勝記念を祝いに彼女の元を訪れていただけよ。

 さあアリサ。三度目の答えを聞きに来たわよ。返事を頂戴。

 ちなみに──仏の顔も三度まで。次はないわ」


 黒鉄の魔女は、真っ直ぐに右手をアリサへと差し出した。

 しかし、アリサは答えない。

 口を微かに戦慄わななかせて、横に座る婚約者の顔を見上げる。

 彼女の目には、今にも零れ落ちそうな涙がたたえられていた。


「アリサ。前回言った筈よ。って。

 この三年で思い知ったでしょ?

 それとも……この一年は違った?」

 黒鉄の魔女の声は強かったが、その中には憐憫れんびんが含まれている事を、アリサは感じ取った。

 魔女の顔を一瞥してから、大きく一つ息をつく。

 そして、アリサは決心した顔でクレメントの顔を真っ直ぐに見た。

「聞いて、クレメント。私は煌びやかな服も宝石もいらないの。

 欲しいのは貴方との時間。

 確かに、騎士長をしている貴方は忙しいわ。

 でもっ……」

 言葉に詰まったアリサの目から、限界を迎えた涙がポロポロと零れ落ちる。

 そんな彼女に、クレメントは優しく微笑みかけて肩に両手を置いた。

「アリサ。前にも言った筈だが、国の復興が終わるまでの辛抱だ。

 そうすれば、君と結婚して幸せな家庭が作れるんだよ。だからもう少し、もう少し──」

「ホラね」

 穏やかに諭すかのような声を遮ったのは黒鉄の魔女。

「アンタ、その言葉聞くのは何度目?」

 最後まで言葉が紡げなかった事に苛立つクレメントは、キッと魔女へと鋭い視線を向ける。

 しかし、魔女は彼を見ていない。

 先程から、彼女が見ているのはアリサだけだった。


「……何度も……。

 ねぇクレメント。何年待てばいいのかな? 辛抱すればいいのはどれぐらい? ……もう、三年も待ってるのに……」

 震える声でそう零すアリサは、胸の前でギュッと両手を握りしめている。

「だからアリサ、それは国が復興したら──」

「復興してないから、月に一度しか会いに来てくれないの? どうして貴方の側にいさせてくれないの?

 あの時私に言った『一生守る』って嘘だったの?!」

「嘘じゃない! 確かに忙しくてあまり頻繁には会いに行けないが……それも仕方なく──」

「仕方なく?! 仕方なくって何?! 仕方なく、貴方は私にこんな事するのっ?!」

 アリサはそう叫んで立ち上がる。

 そして、

「私をあの部屋に閉じ込める事が貴方の言う『守る』事なの?!」

「それは、君が一度逃げ出そうとしたからだろう?! この国にはずっと白銀の乙女の君が必要なのに!」

「貴方に会いに行こうとしただけよ?!」

「会いたいのなら俺から会いに行くと言っておいただろう?!」

「月に一度しか来ないのに?!」

「だからそれは──」

「はいはいー。もうおしまい!!」

 黒鉄の魔女の声に、二人の言い合いが中断される。

「アリサ。もうこれで分かったでしょ? この男はただ『白銀の乙女』をこの国に縛り付けたいだけなのよ。またいつ起こるか分からない

 最初に教えてあげたけど……まぁこればっかりは実感しないと分からないからね。

 三年待ったわ。

 三度目の正直……の、答えを頂戴」


 魔女のその言葉に、アリサはもう一度だけ、笑顔で恋人の顔を見上げる。

 そして、彼からの言葉を待った。


 国の命運がここにかかっている。

 そう感じ取ったクレメントは、一度喉を鳴らすと、強い笑顔でアリサを見返した。

「君の事を、愛してる」


 それが告げられると、アリサは──泣き笑った。

「やっぱり、ダメなのね」

 それは、諦めの言葉だった。


「黒鉄の魔女──いえ、マキさん!! 私も帰るわ! 日本へ!!」

 アリサがそう絶叫すると、黒鉄の魔女──マキは指を鳴らす。

 その瞬間、アリサを輿に次止めていた足枷の鎖がバチンと弾け飛んだ。

 自由になった白銀の乙女は、目の前にいた婚約者を突き飛ばして輿から飛び降りる。

 すかさず、黒鉄の魔女がその身体を抱きとめて空へと舞い上がった。


「どういう事だっ?!」

 輿から乗り出して、空中に浮かぶ二人を見上げたクレメント。

 慌てふためく無様な男の姿を、二人は冷徹な目で見下ろしていた。


「アンタ、ホントに馬鹿ね。アンタがアリサに黒鉄の国を滅ぼすのに使わせた神の力、のよ。

 一度しか使えない奇跡の力は、もともとはなの。

 なのに、愛情で釣って彼女から帰る選択肢を取り上げて、アンタ何様?!

 私は年に一度、アリサに元の世界に戻るかどうか聞きに来てたのよ!

 その度に、アリサはアンタの為に躊躇してたの! アンタと、この国を見捨てられなくて。

 なのに気づかず、実際に捨てられるまでこの子の愛情の上に胡座をかいて……ばーか!!!」


 黒鉄の魔女──彼女の国では『黒鉄の乙女』と呼ばれる彼女は、思いっきり侮蔑の叫びをクレメントに浴びせかけた。

 彼は必死の形相でアリサへと懇願する。

「お願いだ! 戻ってきてくれ!!」


 しかし、アリサは涙の跡が残る顔で──

「もう無理よ」

 そう突き放した。


 ***


 それは、遠い遠い、簡単には行く事の出来ない世界のお話。


『神の箱庭』と揶揄されるその世界には、神の代弁者となる乙女たちがおりました。

 しかし、乙女たちに見放されたその世界は次第に荒廃し、永遠に神の奇跡の起こらない世界になってしまいましたとさ。



 了

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