立ち上がる時

久遠マリ

皇位

「あれからもう三年経つのですね」

 思わず口に出せば、兄は、そうだね、と言って微笑んだ。その膝には齢一歳と少しの子。彼によく似た赤銅色の柔らかい髪がふわふわと額にかかっていて、むっちりとした小さな手や足は縛った燻製肉を彷彿とさせる。兄の長い髪を握って遊んでいる様子はとても愛らしい……尤も、引っ張られている本人は少し痛そうな表情をしているが。その隣で、兄の妻であるラーオメイが、握力の強い小さな手を髪から引き抜こうとしているが、上手くいっていない。なんとも微笑ましい光景である。

「そう、私たちが婚姻を結んでから、三年だよ。あなたもどんどん元気になっていてよかった、ヴィンタヤ」

「兄上のはからいで取り寄せて下さった南方の薬のおかげです」

 床に臥せり、部屋の中で外の話を兄からただ聴き、色々と話をするだけであった私の人生は、三年前に兄が南のインル・ファ・シリン王国を属国とし、そこから嫁を迎えたことによって大きく変わった。我がアルクナウ=ライデン皇国の指揮の下、道を整備されて交易路を拓かれた南の国の大地は、皇国が有する土術師の研究に大いに役立ち、やがて一年のちに、ひとつの有用な薬を生み出した。

 それが私の弱り切った四肢を歩けるまでに強くした。

 萎えぬようにと歩くのを練習した足はまだ細いが、地を踏みしめて歩く喜びを知った。考え事を巡らせ、それを兄に話すだけであった毎日が、より現実味を帯びた思考を伴う確固たる未来となった。

 十八で命を落とすと言われてきた私が、齢二十を数えることができた。私の存在が皇位継承争いの火種になりかねないのは考えものだが、兄の行動が純粋な好意から生まれたものであることは、周知の事実である。

 敬愛する兄の子まで、こうして私の部屋に連れてきてくれている。その事実がただ嬉しかった。この穏やかな顔をした家族を守る為なら、何だってできそうな身体になれたことが、ただ嬉しかった。

「いやあ、これで心置きなく皇の座をあなたに丸投げできるね」

 ……第一皇子ナランジュ・レルテ=ライデンはとんでもないことを口にした。私がなんだって?

「……兄上は健康で、私と違って妻も御子もいらっしゃるのに、何を」

「皇も、そう仰せであるよ。その話をした帰りに、ここに寄った」

「何故?」

 生まれてこの方ずっと、兄と話をしていただけだった自分が、何故。

 ラーオメイはどう思っているのだろうか、と思って、見れば、彼女は穏やかに微笑んでいる。

「リーンメイも私も、存じておりまする。ナランジュ様は、あなた様との話でインル・ファ・シリンを味方につけることを思いついた、と」

 してやられましたわ、などと、不敵な笑みを浮かべて、彼女は言うのだ。

「リーンメイと、イドゥリーカと、集まってそんなお話をしておりましたわ。私とリーンメイの姉妹が連携を取れぬように色々な噂を流し、私の克己心とリーンメイの一途な心をまんまと利用して、こちらの生活もそのままに、民ごと取り込んでしまうなんて」

 確かに、もっと粗い思い付き程度の何かを、兄に向かって話したような記憶はある。

「……国、第一に民ありて成る、とは、皇の教えでありました。私はそれに従ったにすぎません」

 それを言うと、兄はにっこりした。

「そうだ。それを念頭に置いて、あなたは最適解を選び取った……そのような者こそ、皇に相応しい。兎に角、三年かけて仕込んだのだよ、常にのんびりしていたい、と思っている、この私が。なんにせよ、つまらない争いであなたを失うのは痛手だからね……私にとっても、国にとっても」


お題:三周年

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立ち上がる時 久遠マリ @barkies

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