第40話

 白い天井。蛍光灯が妙に眩しくて、開いた目を思わず細めて、じわりと痺れた腕で覆う。そうして、緩い頭痛に耐えながらゆっくりと起き上がる。


 「サクラちゃん!?」


 卓を挟んだ向こう側のソファーにモモカとリツが座っていた。身を乗り出したモモカの泣きそうな顔がソニアに被る。それは当然か、同一人物なのだから。


 「どうしたの? モモカ大丈夫?」


 「それはこっちの台詞!! あんた、中庭で倒れとったんだよ。大丈夫なの?」


 リツがぴしゃんとキツく声を張り上げた。怖い言い方をするが心配そうな表情が見てとれた。サクラは前髪をくしゃっと掻き分けて頭を押さえる。


 「えーっと……ここは、どこ?」


 「職員さんの休憩室を貸してもらったの。救急車呼ぼうかと思ったんだけど、なんか違う気がして……」


 そう言って、モモカは上目でリツを見た。リツは一瞬モモカと視線を合わせて、サクラの方を見る。表情はほんの少し和らいでいた。


 「何もしないの、ちょっと怖かったけどね。でもこんな所だし、息しとるし、意識もありそうだったし。だから、様子見てみようってなったわけ」


 「大正解だよ。たぶん、アプラスの影響だと思うから……」


 リツの表情が曇り、モモカは少し俯いて上目でサクラを見た。


 「体の方は大丈夫なの?」


 サクラは小さく頷くと、言葉を詰まらせながら口を開く。まだ、頭の一部が白紙の世界にいるみたいだ。ちょうど、現実味を帯びた夢を見たあとみたいに心の置き所がない感じと似ている。


 「夢を、見た」


 傷跡が疼くみたいに相変わらず、手が痺れている。あの細く綺麗な輪郭には体温があったのかなかったのかもわからないのに。


 「どこから話したらいいのかな……」


 散らばった情報は両手で無造作に掻き集められるのだが、どうにも綺麗に並べられない。片付けようとすればするほど散らかってしまった、飽き性の部屋のど真ん中で、途方に暮れているみたいだ。

 サクラは「セーラが」と呟いたが、2人には聞きなれない言葉を上手に届けられなかった。ひとまず、セーラの話の前にソニアにまた別世界へ引き摺り込まれたことを伝えた。今まで出会った魔法少女は同一人物で、正体はセーラという女性。セーラは自身をサクラたちの味方であることを明言して、それから黒幕を──これは、絵画の中のセーラに会ってから話そう。

 拙い言葉を捻り出して、情報同士を点繋ぎをした結果、歪な輪郭が見えてくるようだった。

 

 「セーラって誰?」


 リツがそう聞く。モモカも隣でこくこくと頷いた。


 「ヴィクターとはたぶん友達なのか、制作仲間だったんだと思う。でも、ヴィクターはそれ以上の感情を持っていそうだったけど……」


 サクラは彼女が絵の中にいると確信して、2人を連れて回廊へと戻った。職員のおばさんが異様なほどに心配していたが、お礼を言って走るような気持ちで事務室を後にした。


 「この人」


 黒鉛で描かれた少女を指した。顔は花と羽で見えない少女。カフェテラスで退屈そうに目を細めて、遠くを見ている女性。彼女の心はどこか……ヴィクターの絵画の中に転がっているんじゃないか。


 「よく見たら……たしかに、S……って書いてあるのかも」


 モモカがじっと顔を近づけ、まん丸な目を細める。リツはサクラの隣に立って、口を開く。

 いつのまにか時間が過ぎていて、閉館も間もなくだという。客のいなくなった回廊に3人の声が奇妙に響いていた。


 「で、そのセーラは何から助けてほしいのよ」


 「彼女は黒幕を……その、マ……マルルだと言っていたんだけど」


 乾いた口の中で、言葉が少し吃る。リツやモモカの顔を易々と見上げれなくて、視線を外す。外した先には一つの絵画。ヴィクターの自画像がこちらを見ていた。


 「黒幕……? ちょっと意味がわかんない」


 リツの怪訝そうな声色に、ふと顔をあげて、顔に落ちた髪を整える。どうしてか、安心と不信感が入り混じって頭の中にじんわりと湧いてくる。


 「……意外と納得しないんだ」


 「なんでよ」


 「ずっとマルルのこと、胡散臭いって言ってたから」


 「黒幕とまでは思ってないよ、さすがに。だってマルルが黒幕だったらさ……」


 リツはそこまで言ってわざとらしく口を噤んだ。一瞬目が泳ぐ間の呼吸がしんとした廊下に反響し、そのまま彼女は肩にかけたショルダーバッグのベルトを引っ掴んで、焦った様子で口を開いた。

 サクラはそんなリツの様子なんて何も気がつかなかったふりをして、絵画へと視線を移す。


 「セーラって、マルルの何なんだろう」


 サクラは頬に片手を当てて、セーラを見つめた。


 「人間と人形にできる関係って持ち主と所有物……もしくは製作者と制作物だと思うの」


 モモカは胸元で自身の指を絡ませてながら続ける。


 「テリーサ・アプラスが製作者とするのが自然だと思う。だから、セーラはテリーサからマルルを購入したか、譲り受けたか、何か縁があって手に入れたんだよね」


 「人形って持ち主からの思入れが強いと、意志を持つってあったな……」


 リツがそう言って怖そうに体をさする。大切にされていたり、逆にぞんざいな扱いを受けた日本人形の怖い話なんてフィクションの世界でよく聞く。でも、マルルに関してはなんだか違う気がして、サクラはやんわりと否定してみる。


 「思入れからの人形なら、セーラか、そのテリーサの思考でしょ。セーラだとすると、2人の意思は違うから……それより、海外の呪いのブードゥー人形みたいなものじゃない?」


 「なんにせよ、誰かの意図があったんじゃねえの」


 「じゃあ、誰がそんなことを? 一つ世界を滅ぼして、現代では女の人を殺すなんて。何がしたいのかわからない」


 自身に起こり得る最悪の可能性を否定しようとしていた。サクラは無意識に握る拳に力が入っているのに気がついて、そっと息を吐いて力を抜く。


 「つっても、想像でしかないね……考えても辿り着かないか」


 「それにしても妙ね。セーラなんて今までに出て来んかった人物がこうして、今現れて、あたしらの味方なんて。増して、それがマルルは敵だなんて言うのは……」


 「何で敵って言うんだろ?」


 モモカはリツを見上げながら不安げに首を傾げる。それを見てリツは腰に手を当てて答えた。


 「そりゃ、セーラが困っとるからよ。それだけは事実だと思うよ」


 サクラは少しだけリツに視線を移した後、もう一度セーラを見る。ヴィクターの絵の中のセーラはいつもどこかを遠くを見ている。


 「だから、助けたいのよ……」


 「……何も根底は変わっとらんね、あんたって」


 リツは呆れて、さもうんざりしたと表情に表す。

 そういえば喫茶店でもそうだった。リツはわたしのそういう、安直で子供っぽい正義感が嫌いなんだろう。頼まれただけでユキトを助けようとするし、泣いているだけでセーラを救いたいと思ってしまう。


 「そ、そういうとこ、モモカは好きだよ」


 モモカは焦ったようにサクラの腕を掴んで、フォローを入れた。やっぱりキンクマハムスターみたいだなとサクラはちょっと面白くなって、つい笑ってしまう。


 「わたしもモモカのその素直さ、可愛くて好きだよ」


 照れて、へにゃりと笑って、モモカは手を離す。その様子を見たリツの温度が5度くらい下がったように感じた。


 「なによ、このウザい会話は」


 サクラは少し肩をすくめて、リツとモモカから離れる。少しだけ時代を進めて歩いて、ヴィクターの絵を眺めた。

 やっぱり一つの絵に目が留まる。


 「飽き性……ね」


 サクラは立ち止まって、薄い白黒の世界を凝視した。

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魔法少女に告ぐ どりゅう @paffco

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