第7話

 朝、モモカからの連絡は流石にまだ来ていなかった。

 深夜帯には普通連絡が来ないのは、わかりきっていたことながらも、少し期待していた分落胆する。


 支度をして、サクラはいつものように出勤した。今日は夕方までで、十七時に水野と一緒に退勤する。

 モモカのことが気になって仕事中も落ち着かなくて、休憩中も緊張しっぱなしであった。ネチネチ言ってくるパートさんからいつも以上に文句を言われ、水野からは異様に心配された。


 期限の近いクッキーを二枚ずつもらって、今日の勤務を終えた。水野と二人でタイムカードを切って、休憩室兼ロッカールームへ行った。すぐにスマホを確認するが、通知は来ていなかった。サクラは肩を落として、着替え始めた。


 「沢良木さん、今日どうしちゃったんですか?」


 水野は服を着替えながら、不安そうに顔をしかめていた。


 「現に、それ後ろ前じゃないですか?」


 驚いて、首元を引っ張るとそこにあってはならないはずのタグが見えた。サクラは恥ずかしくなって服を直す。


 「やだ……恥ずかし……」


 「沢良木さんっていつも感情殺してる感じですけど、上の空なんて珍しいですよ。何かあったんですか?」


 「別に感情殺してるつもりはないよ……。ただ、気になることがあって」


 「なんです? それ」


 水野は心配そうに、でもちょっと楽しそうだ。水野は正直言って恋愛脳であるため、きっと恋話が聞けるんだと期待しているのだろう。

 残念だけど、そんな話は一切ない。


 「懸賞に応募したの。蟹の」


 「その反応だと落選ですか?」


 「まあ」


 サクラは適当にはぐらかした。カーディガンを羽織り「お疲れ」と水野に伝えて、先に出て行った。

 自転車に乗る前に、もう一度スマホを確認する。母からネギと牛乳を買ってきてと連絡が来ていた。

 自転車で少し寄り道して、スーパーへ向かった。ネギと牛乳、ついでに明日の朝ごはんとして菓子パンを購入した。

 自転車のカゴに荷物を入れて、またスマホを見るとSNSから通知が来ていた。


 モモカかもしれないという期待半分と、また違う人かもしれないという不安でSNSを開く。通知欄にはアイドル並みに可愛い女子大生のアイコンがある。モモカだ。


 サクラは急いで、メッセージを開く。


 ──さくらちゃん? 懐かしいね! 元気にしてる?


 頭の中でモモカの高くて仔猫のように可愛らしい声が響く。良かった。間違えてなかった!! 返事をしてくれた!! サクラはホッとして力が抜ける。荷物を持っていたらきっと落としていたと思う。

サクラは急いで返信をする。


 ──人違いじゃなくて良かった。突然なんだけど、どうしてもリツと三人でお話ししたいことがあって会うことってできる? あと、リツの連絡先が分かると助かるんだけど。


 サクラは文章を送信した。少し、怪しい気もするが仕方ない。ひとまずはモモカと連絡が取れたことに安心する。ユキトには正式に会うことを決めてから連絡しよう。

 サクラはカゴの中のカバンにスマホを入れて自転車のスタンドをあげた。その時に、自転車の鍵を開け忘れているのに気がついた。少し恥ずかしく思いつつ鍵を開けて、家に向かった。


 夕方の風が心地よかった。

 坂道を登って、三ッ葉池を横に自転車を走らせる。昨日まで、何とも思わなかった葉桜が力強く綺麗に見えた。いいことがあるだけで世界が変わったように感じた。


 家に帰り母に買ったものを渡してから、サクラは部屋に戻った。

 モモカからメッセージが届いていた。


 ──いいね。わたしもさくらちゃんとお話したい! リッちゃんには連絡しておくね!


 良かった。こんなにスムーズに行くなんて。予想外に期待通りだ。

 モモカがリツの連絡先を知っていたのもありがたかった……。そうなんだけど……


 リッちゃんって……今でも二人は連絡を取り合ってるのだろうか。そう思うと、ほんの少しだけ、胸の奥を抓られたように寂しく感じた。


 「さくらちゃん……ね」


 サクラは大学入学の時に買い換え、無駄になってしまったデスクにスマホを置いて椅子に座った。


 モモカは、最後に会った時はサクラのことを「サクちゃん」と呼んでいたっけと思う。

 なんとなく、そんなこと誰も言っていないのに、サクラはなんだか取り残されたような仲間外れにされたような、もやもやした苛立ちを感じた。


 「気持ち悪い……」


 サクラは背もたれにもたれて天井を見上げた。

 こんなことに自分勝手に嫉妬している自分が心底嫌になる。モモカやリツと仲良くしてこなかった自分の結果であるというのに。


 「おねえ!!」


 サクラの思考を停止させたのはコハルだった。洗濯物を入れて、犬のペロの散歩をしろと怒っている。サクラは適当に返事をして、部屋から出た。


 十八時前の空気はゆっくりと暗い青に染まっていく。今日も、どこかでカレーを作ってるみたい。

 カゴいっぱいに家族四人分の洗濯を入れて、窓からリビングに置くと、チワワのペロがチョコチョコと寄ってきた。尻尾というよりもお尻からブンブンと振っている。早く散歩に行きたいみたいだ。

 散歩カバンを持って、サクラはペロと家を出た。


 ペロが道中で排泄し、それを片付ける時に、小さな犬用のボールがカバンの中に押し込まれているのを見つけた。コハルが入れたのだろう。

 それならばと、サクラはそこから徒歩三分にある小さな公園に寄って、少しだけペロとボール遊びをすることにした。

 その、北町公園は小さい頃から、一人で退屈な時によく来ていた。ブランコと砂場しかない公園で、幼いサクラはブランコに座って考え事をしたり、音読の宿題をしたり、ただひたすら漕いだこともあった。

 高校卒業後は、すっかり来ることもなくなっていた。


 北町公園には一つどうしても忘れられないことがある。

 本当はやっちゃいけないことなんだけど、チェリーブロッサムだった頃、赤いブランコの柱に桜の花とサクランボの傷をつけたのだ。

 自分がチェリーブロッサムであることは言ってはいけない。でも、沢良木桜とチェリーブロッサムは別人じゃないことを、証明したかった。サクラもチェリーもどっちも自分なんだって、自分がそう思うためにそうしたんだと思う。


 そんなことを思い出しながら歩いていると、北町公園が民家の間から姿を現した。

 久しぶりに見た公園はどこか違う。ブランコの色……向きも変わっている? ……いや、ブランコが新しくなっている。


 あんなに座ったブランコは、サクラとチェリーのブランコは、もうそこには、この世には存在していなかった。


 「そっか……そうよね……古かったから……」


 サクラはため息をついて、ベンチに座る。ペロが膝に前足をかけて何かを期待している。サクラはペロのリードを外し、ボールをカバンから取り出して、転がすように投げてやった。ペロは大喜びでボールを追いかけていった。


 町だって変わっていくんだよ。いつまでも同じものなんてないのはわかってるけど、それでもやっぱり、それは悲しいことだ。


 だんだんと青から群青に変わりゆく中で、サクラは新しくなった緑のブランコをただ呆然と眺めていた。

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