第11話 ご指名

洞窟から水中に飛び出した俺は治癒魔法をいつでも打てるように万全の体制を構えていた。

臭いシャコの殻の内では目や口を塞いだ鉄塊の横から水が侵入してくる。

水中に出たままの下半身は幸いにも異常はない。


(やばいやばい!浸水を止めないと!)

慌てて手で塞ごうとするが届かない。慌てて手を振り回し肘がシャコの殻を突き破ってしまう。

どっと水が侵入してくる。


大きく息を吸い込んでシャコの殻を捨てる事にする。シャコの身体から上半身を抜く。

ボコボコと水泡が上がる方が海面である。

水泡と共に俺も暗い海の中を這い上がる。


まだ光が届かぬ海の底だと思っていたらすぐに海面に上がることができた。

もうひとつ付け加えると夜だった。


なんということもない、対して深くもない場所にあったのである。ダンジョンから見た海が暗いのは光が届かないからではなく、夜だったからだった。


さらに、海だと思っていたが池だった。しかもちょっと大きめの池で周りに民家が立ち並び、池にはフェンスまで張られている。


(俺の決死の脱出はいったい何だったんだ。あぁ…ミリアムの言った、海の底に沈んでいるらしい、というのを真に受けた俺の負けか)


池の岸までは軽くクロールで泳げばすぐであった。

岸に上がり久しぶりのまともな空気を胸いっぱいに吸い込む。美味い、空気が美味い。

地面には緑の草が生えている。むしって食べる。不味い。渋い。だが、それがいい。

味が海老じゃないって最高だ!!

俺は気が済むまで岸の草を口に入れ続けた。


地上だ。地上である。

不味い草を食べるのに飽き、寝転んで空を見る。

どんよりした曇り空で月っぽいのが雲の向こうにぼんやり光っている。


(深海の底にある神殿だって言ったくせにあのブスめ。住宅街の溜池やないか)

しかしこんなところに海老人みたいな生物がいて危険じゃないのだろうか。


まあ俺が心配することじゃない。

周りに住んでいる人がいるってことは対抗手段があるんだろう。

どっと疲れが押し寄せてくる。

せめて身を隠せるところへ行きたかったが、泥に埋もれたような身体はピクリとも動かず、そのまま暗い眠りに落ちてしまった。



人の声で目が覚める。

目が覚めると日光が輝く明るい世界だった。


身を起こすと遠くに人だかりが見える。

池の岸辺にお揃いの制服を着た男が数人、フェンスの外から遠巻きに近所の人らしき人々が口に手を当てて騒いでいた。


立ち上がって人だかりの方に歩き出す。

一人の住民が俺を指さして声をあげる。


上半身は裸だが短パンは履いている。

首には空間ポーチを掛けているが変ではないだろう。

髪型も伸びたら適当にザクザク切っているし、昨日はこの池で泳いだので身体の汚れもましになっている。


まあ無理に近寄って騒ぎを起こす理由もないかと、手近なフェンスをひょいっと乗り越えて池から離れようと歩き出す。


後ろからドタドタとフェンスの向こう側に制服の男たちが走ってきて、手に持つハンドベルのようなものをガラガラ鳴らしている。

こちらを警戒しているようなので振り向いて手を振ってあげた時、強い風が吹いた。

正面からきた風は俺の前髪をめくりあげて、額がむき出しになった。


制服の男たちが騒ぎ出す。

「奴隷だ!おい、誰の奴隷だ!?なぜここにいる??」

「お前だ、手を上げてこちらに来い!」


(忘れてた。奴隷だったわ俺。やべーなー。でもまともな人里は初めてだから穏便にいきたいけどなぁ)


そういえば空間ポーチの中にエロン達四人の財布が入っていた。今まで使う機会が無かったのだ。

ひとつ取り出して中を見ると金貨が大量に入っている。


こういう時に穏便に事を済ます、その手段を俺は知っている。

実弾、袖の下。

まあ賄賂である。


五人いるので金貨を五枚握って手を上げながら近づく。

フェンス越しに出来るだけ丁寧にそして笑顔で話しかける。


「お勤めご苦労さまです、僕はただ通りがかっただけの旅人で。確かに元奴隷ですが今では自由の身ですので見逃していただけませんか?」

完っ璧である。


すっと先頭で剣を構える男の手に金貨を五枚滑り込ませる。

遠くの野次馬に見られては皆さんも困るだろうから最速の動きで渡すようにした。

恐らく遠目では何をやってるか見えないだろう。

ちなみに武器は剣が二人、銃らしきものが三人である。


「それ、皆さまの酒代にでもして頂ければ」

そう言って金貨を握った男の手を示す。指をささず、手のひらを上に向けて丁寧にアピールした。


男は手の中を見て驚いている。

仲間たちも手を覗き込むと凄い勢いで自分の分を掴むんだ。

「わ、わかった。街でトラブルを起こさないでくれよ。」

そういうと、男たちは人だかりの方へと戻っていった。

遠目には岸に打ち上げられたシャコの殻が騒がれているようであった。


池の周りの住宅地は二階か三階建ての煉瓦積みの四角い家ばかりであった。

白い藁が混じった日干し煉瓦が、街並みに明るい印象を与えている。


見渡すと街の四方は立派な壁に囲まれていて、この街は城塞都市であった。

住宅街を抜けて、商店街に着く。


食べ物屋が集まった一画があり、服屋のエリア、食料品店のエリアと、業種によりきっちり区分されている。


とりあえず服屋で適当な中古服を買う。

街行く人も半袖ばかりだが、流石に上半身裸はおらず、じろじろ見られて不快だったのだ。


腹が減っているが、先にやらなければならない事がある。

お風呂である。

三年以上身体を洗えなかったのだ。


服屋の店主に「身体を洗いたいんだが、公衆浴場とかないか?」と尋ねると「なんだそれは?水浴みは家でやるもんだ」とがっかりする返事がきた。


「そうか、風呂屋はないのか」


「いや、風呂屋ならある。金さえあれば俺も行きたい風呂屋ならあるんだがなあ」と店主が言い出す。何やらお嬢さんが身体を洗ってくれるサービス付きの個室浴場があるらしい。


一回で金貨が飛ぶらしく庶民には行けない憧れの店らしく、興味深く利用するシステムを聞いて道順まで教えてもらう。


教えてもらった店は普通の住宅地の二階にあった。

ドアに一輪の百合の花が挿してある。

この百合の花が秘密の合図らしい。

来る途中で買った揚げ鷄の肉を急いで平らげる。


ドアをノックする。

出てきた黒服の男がカウンターへ案内してくれる。

見せられたのは手書きのイラストだった。


モノクロの素描でリアル系に描かれた着衣の女性たちである。ただ少し服がはだけていたり水着だったりする。

その右下には時間と料金が書いてある。


俺は言う。

「誰でもいいんだけどさあ、お風呂で身体を洗いたいって言ったらここを紹介されてさあ」

大嘘である。目は必死でイラストを舐めるように見ている。


「お兄さん、うち高いけど大丈夫?」

黒服さんの心配も当然である。


「大丈夫です。前金でここでお渡しできますんで」

必死でイラストを見るが迷う。

時間が足りない。


俺は自分に赤青の混じった魔法をかける。

【加速】である。


そう、シャコから奪った赤と青の混ざった魔法は【加速】であった。

あのシャコ野郎、ただでさえ早いパンチに加速を乗せるという鬼畜だったのだ。


【加速】を当てると、世界の動きがゆっくりになる。自分だけが普通に動ける世界になるのだ。


目の前のイラストをきれいに並べて隈なく見ていく。

熟女が多いが、巨乳、貧乳、ロリ、など八人の中から選ぶことになる。

くそう、焦るほどにどれがいいか分からない。


「今すぐ行ける娘はこの二人ですね」

黒服は二枚のイラストを押し出してきた。


一人は胸元まであるストレートの髪の垂れ目なロリガールである。薄い胸にかなり小さなビキニの水着の上下である。


もう一人は黒縁眼鏡のインテリ系お姉さんだった。眉で切り揃えた前髪にふわっとした肩まで伸びた髪。身体のラインが出たシャツにタイトなスカート姿である。


【加速】をさらに追撃する。

微々たる効果ではあるが少しでも時間が欲しい。

正直、どっちもいい。というかどっちもありである。

幼げなロリか、インテリお姉さんか。

いや、今日の俺の目的は、身体を隅々まで洗いたい、である。

目的と手段を混同してはいけない。


黒服のお兄さんがロリを指して言う。

「この娘は甘えた上手なところがありまして」

次にお姉さんを指して

「この娘は当店でもトップクラスの人気ですね」

と、早く決めろプレッシャーをかけてくる。


苦渋の決断である。

俺はインテリお姉さんを指した。

「180分コースでお願いします」


金貨を三枚払う。

緊張感から開放され、大きく息を吐く。

「ではこちらのお部屋までご移動をお願いします。着いたらノックしてくださいね」

黒服のお兄さんはそう言いながら地図を渡してきた。目的地は向かいの建物にあるようだ。

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