6-4.

 春日原の言葉通り、部屋のどこからも盗聴器は発見されなかった。

「となると、犯人はあんたらの不在をどこから知ったんだ。やっぱり共犯か」

「違いますよォ。ところで、お腹空きませんか? ちょっと休憩しましょうよ」

言われてみれば、まだ昼食を取っていない。

「表の洋食屋さん、美味しいんですよ」

刑事たちは死体を見た後によくもまあ、という顔で呆れているが、空腹なのは同じようで、容疑者の監視という名目で付いてきた。


 アパートの側には、レストランがある。初老の夫婦が二人だけで営んでいる、小ぢんまりとした昔ながらの洋食屋だが、味が良く昼時や夕方はランチの客でそれなりに賑わう。

 幸いにも、昼のピークを過ぎた店内は空いていた。

「歌ヶ江さん、何にしますか?」

「ハヤシライス」

「決めるの早くないですか」

窓際の四人がけの席に座りながら即答した俺に、飯島刑事が思わず突っ込んだ。そうは言われても、この店のハヤシライスは一番の人気メニューだ。疲れて悩みたくない時はとりあえずハヤシと決めている。

「じゃあ、僕はナポリタンにします。お二人は?」

「日替わり定食」

「えーっと、じゃあ、私もハヤシライスで」

そして食後のコーヒーを四人分。オーダーを取りに来た奥さんが戻っていく背中を見送った後、

「春日原くん、どうしてさっき、真っ先にチェストを調べたんです?」

飯島刑事が真っ先に訊ねた。

「こけしがこっちを向いてたからです」

貰ったお冷やを美味しそうに飲みながら、事も無げに答える春日原。

「こけし?」

「味坂さんの出張土産だそうなんですけど、歌ヶ江さん、ずっと見られてるみたいで怖いからって、壁を向けて飾ってたんです。それがこっちを向いてたので、誰かが引き出しを開けた拍子に倒れて、立て直したんじゃないかと思って」

部屋にたくさん人間がいたのでこけしの視線なぞ気にも留めなかったが、言われてみればそうだったかもしれない。

「……飾らなきゃいいじゃねえかよ」

「……飾ってないと、味坂がしつこく探すんで……」

飾っていても埃を被らせていたら、こいつはお守りなんだぞ大事にしろと、妙な熱意を持って語られたことがある。確かにあのこけしのおかげで侵入者がストーカーだと気付けたのだから、御利益はあったのかもしれない。できれば侵入を防いでほしかった。玄関に置いておくべきだったか。


 程なくしてセットのサラダを運んできた奥さんが、恐る恐る訊ねた。

「お兄さんたち確か、表のアパートの方でしょう? ……何かあったんですか」

警戒線が張られて警察車輌が何台も止まっていれば、近隣住民としては気にもなる。

「大きな声では言えないんですけど、殺人事件です」

春日原が小声でひそひそと答えた。

「え! ……どなたが殺されたの?」

奥さんは大きな声を出した後、慌てて口を塞ぎ、音量を落として訊き返した。

「若い女の人みたいですよ」

「女の人? あのアパート、住んでるのは男の人ばっかりだったと思うけど……」

そこそこ年季の入った1DK二階建て、しかも外付け階段で二階にも簡単に出入りできるとなれば、いつかの学生マンション同様、入居者は家賃で選んだ男性ばかりだ。

「それで、今いろいろ聞かれてたところなんです」

俺の部屋で死んでいたなどとはもちろん言わず、春日原は対面の二人を示した。刑事たちは会釈して、胸元からそっと警察手帳を見せる。奥さんはまあ、と口を押さえて、ちょうどハヤシライスを運んできていたご主人も、遠巻きに驚く。

「殺されたのは昨晩遅くのようなんですが、この女性、見かけませんでしたか」

スマートフォンで撮った免許証の写真を二人に見せる権藤刑事。住民を知っているなら、何か有益な情報を持っているかもしれない。

「私は、ちょっと覚えませんねえ……。あなたは?」

「昨日の夜? ……ああー、この子かわからないけど、若い女の子がアパートのほうに行くのは見たな、そういえば」

ご主人は二人分のハヤシライスをテーブルに置いた後、眼鏡をずらして目を細め、頷いた。

「それ、何時頃ですか」

「店閉める準備してる時だから、九時頃かな。暗くてハッキリとは見てないけど、なんか大きな鞄持って、そわそわした感じでさあ」

残りの料理を取りに戻りながら、後ろ姿で首を傾げていた。九時頃なら、死亡推定時刻の範囲内だ。

「大きな鞄? 被害者の持ち物は、ケータイだけでしたよね……」

「犯人が持ち去ったってことか」

「何のために?」

刑事二人が顔を見合わせ、ゴソゴソと話し合いをする。その間にナポリタンと定食も運ばれてきて、俺と春日原は先に手を合わせた。

「ご飯時以外は割と暇だから、窓の外はよく見てるけど、それ以外で変な人は見てないねえ。お兄さんくらい目立つ人なら覚えるんだけどねえ。お客さんからも、名前とか、たまに聞かれるし」

「え……」

スプーンを運ぶ手が止まった俺を見て、知ってても常連さんの個人情報を教えたりはしないけどね、とご主人は軽快に笑った。

 すると、奥さんのほうが思い出したように口を挟んだ。

「そうそう、昨日も聞かれたの。ちょうどお兄さんたちがアパートから出てきた時。『あの背の高い男の人、いつもこの時間にここを通るんですか』って」

「それ、どんな人でしたか」

「若い女性ですよ。ニット帽と眼鏡とマスクで、あんまり顔は見えませんでしたねえ」

今の季節にはよくいる格好だ。あまり参考にはならない。

「何て答えたんです?」

「通る時間はバラバラですけど、大きな荷物持ってるから今日はどこかに泊まりに行くのかもしれませんねって。お客さんのほうも、そうですかって言って終わりです。ただの世間話ですよ」

それじゃ、と立ち去る夫婦をよそに、俺たちはそれぞれに顔を見合わせた。

 もし俺が通る時間を聞いた女がストーカーだったなら、家を空けることを知り得たことになる。かと言って、監視カメラなどを備えているような店ではない。手がかりになりそうでならないもどかしさに、権藤刑事は眉をひそめながら、定食のクリームコロッケに箸を伸ばす。と、不意に権藤刑事のスマートフォンが鳴った。

「はい権藤。ガイシャの自宅、どうだった。……はあ? ああ、ああ。引き続き調べてくれ」

電話を切った権藤刑事の眉間の皺が、名刺が挟めそうなくらいまで深まった。そして、

「川崎沙耶花の自宅から、あんたの盗撮写真が大量に出てきたとさ」

低い声で不愉快そうに告げるのだった。

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