6-3.

 いつの間にか、規制線の張られた駐車場の向こうには野次馬ができていた。

「亡くなったのが夜なら、目撃者は望めませんかね……」

「一応、アパートの住民に聞き込みをしているところです」

 とりあえず、この奇妙で不利な状況にも関わらず、あまり疑われてはいないようだ。春日原が同行したことで、アリバイがほぼ確定していることが助けになった。

「権藤さん、遺体はもう運び出してもいいですか」

「そうだな、任せる」

布の被せられた担架が部屋から運び出されるのを、イマイチ実感が湧かないまま見送る。

「死因は、やっぱりお腹の傷ですか」

「ああ。出血性ショック死らしい。凶器は腹に刺さっていた包丁」

「キッチンにあったものでしょうか。確認してもいいですか?」

キッチンの備品については、もはや春日原のほうが詳しい。飯島刑事も知っていることなので、許可は簡単に下りた。


 何の役にも立ちはしないが、俺も刑事たちの後ろから付いていく。女性が倒れていた部分には白線が引いてあり、血の跡は残ったままだ。女性の死体の様子がフラッシュバックして、そっと目をそらした。

「……包丁、揃ってますね。この家のじゃないです」

元から大小二本しか備えていない。しかも小さい方は、春日原の私物だ。それらは綺麗なまま、流し台の扉の内側に収まっていた。俺もてっきり、このキッチンにあったものが使われたのだとばかり思っていたのだが。

「ってことは、外部から持ち込まれた?」

「そうみたいです」

春日原が、不思議そうに頷いた。持ち込まれたということは、初めからこの部屋にいる人間に危害を加えるつもりだったということだ。

「となると、空き巣か?」

「家主不在を見越して侵入した空き巣と、何故か室内にいた川崎さんが鉢合わせてしまった、ってことですか」

「もし空き巣だったら、なくなってるものがあるかもしれません。歌ヶ江さん、部屋の中を確認しましょう。いいですよね」

「お、おう……」

有無を言わさぬ静かな押しの強さに、権藤刑事ですら圧倒されていた。

「歌ヶ江さん、ひとまず貴重品の確認をお願いします」

「うん……」

とは言え、遠出する時には身分証や通帳の類いは念のため持ち歩いている。室内が荒らされた様子はなく、仕事関係の資料や書類に手を付けられた様子もない。一方春日原は、部屋の中心に立ってぐるりと室内を見回した。鑑識が少々邪魔そうに避ける。

 と、不意に、部屋の隅のローチェストを見つめた。チェストの上に載っているのは、主に味坂が土産に持ってきた妙な置物や、食玩の類いだ。積もっていた埃は少し前に春日原自身が拭き取ったので、綺麗なものである。

 春日原はまたしても、鑑識の邪魔をしながら無表情で横切り、チェストの前に屈む。二つに分かれている最上段を同時に引き出した。そして、

「うわ」

珍しく、引きつった声を出した。部屋の入り口で春日原の様子を見ていた飯島刑事が声を掛ける。

「何か見つけました?」

「やられました。……この部屋に入ったのは空き巣じゃなくて、ストーカーみたいです」

引き出しの中にぽっかりと空いたスペースを指さし、首を振った。

「ストーカーって……。そこ、何が入ってたんですか」

「……下着です。歌ヶ江さんの」

確かにそこは、いつも下着類を仕舞っていた引き出しだった。泊まりで数枚持ち出してはいたが、それ以上に減っている。

「……」

思わず鳥肌が立った。他人の下着なんか盗んで、どうしようというのだ。飯島刑事も、後から入ってきた権藤刑事も、同様に絶句していた。


 結局、なくなっていたのは下着の他、洗面所の歯ブラシと、いつも髪を留めている細いヘアターバンが二本ほど。気に入った柄のものがなくなっていて、気味が悪いと同時にへこんだ。

「ストーカーの仕業だとしても、不可解なことが多すぎますね……」

「そもそも、どうして被害者がこの部屋にいたのかだ」

そう、川崎という見知らぬ女性は、どうやって俺の家に入ったのだろうか。

「考えられるとすれば……。歌ヶ江さんのストーキングをしている犯人が何らかの方法で事前に合鍵を作っていて、歌ヶ江さんが終日不在の昨日を狙って部屋に侵入。そこに偶然この家を訪ねた川崎さんが、鍵が開いていたためについ室内を覗いてしまい、犯人を目撃して殺された、とか」

腕組みした飯島刑事が、自分でも納得していなさそうな表情で見当をつける。

「うーん、まあ、妥当っちゃあ妥当か……」

鍵が開いていたところで人の家に勝手に入るなという話だが、他に納得のいく説も思い浮かばなかった。

「となると、犯人は歌ヶ江さんが家を空ける日を知っていたことになりますね」

「確かに。家にいないほうが珍しいのに、たまたま不在の日に侵入できたなんて、ないでしょうからね」

春日原が飯島の意見に深く頷いた。ちょくちょく引きこもりを強調するのをやめろ。

「泊まりがけで出掛けることを、事前に知っていたのは?」

「旅行に誘ってくれた青山さんくらいではないでしょうか。ああ、あと、有給の申請をするときに、味坂さんには話しました」

「味坂さん、ですか」

「歌ヶ江さんの学生時代からのお友達で、柳川お悩み相談所の人材コーディネーターをしてる方です。お喋り好きですけど、信用はできる人ですよ」

要は、相談者の悩みを聞いて、解決できる人材を割り振るのが奴の仕事だ。仕事に関しては誠実なので、従業員でもない他人の予定を、必要もないのにべらべら喋るようなことはしないはずだ。

「なるほど。じゃあ、この部屋に盗聴器が仕掛けられでもしてない限りは、今日の予定は知りようがないんだな? 念のため当たってみるか。おい、機材の手配」

犯人が合鍵を持ったストーカーだと仮定すれば、前もって侵入されている可能性はゼロではない。もし見つかったら恐怖でいよいよ心が折れそうだが、

「……盗聴器は、ないと思うんですけどねー……」

顎に手を当て考え事をし始めた春日原の言葉が、妙に心強かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る