2-5.
権藤刑事が何も言わないということは、話だけは聞いてやるということだと解釈した。
「さっきからずっと気になってたけど、誰すか」
松葉杖に手と顎を乗せた村岡が、住民を代表して訊ねる。当然の疑問だった。
「僕の保護者の、歌ヶ江さんです。お迎えに来てくれました」
いつの間に保護者になったのだろうか。普段世話を焼かれている様子からすると、春日原が俺の保護者と言ったほうが正しい気がする。
「保護者って……。それで歌ヶ江さん。何かお気づきですか」
飯島刑事は春日原の言い方に苦笑してから、期待を込めた目で俺を見上げた。
「……訊きたいことが、いくつか」
「訊きたいこと?」
「……今井さんの側に、他に何か、ありませんでしたか」
訊けと書いてあることは聞いておこう。春日原の望む答えが返ってこなければ、本人がなんとかするはずだ。
「サンダル以外にですか? うーん、特に変わったものは……。土嚢が置いてあったくらいですかね」
土嚢。それを聞いて、春日原の言わんとしていたことが、わかった気がした。
次に、村岡に訊ねる。
「……最近、村岡さんの部屋に、誰か来ましたか」
「俺の部屋に? 今井はしょっちゅう来てたけど……。ああ、この前アンタも来たな」
村岡の視線の先には、国枝。
「え!? それは、いつのことですか?」
飯島刑事が慌てて身を乗り出す。
「何日か前、たまたま駐車場で会って。俺が松葉杖突いてたから、荷物持ってくれてさ。その後、部屋でちょっと喋ったっす」
それから、思い出したように付け加えた。
「……そういやアンタ、薬学部だって言ってたよな」
「そりゃ、そういう睡眠薬があることも知ってるし、見りゃ分かるけど、盗んだりするもんか」
「言われてみれば、薬がなくなったのに気付いたのも、その後だ」
「偶然だろ! 俺は何もしてない!」
集まる視線に、国枝は顔を真っ赤にしてぎゃんぎゃんと喚く。
「お、お前、急に出てきて何なんだ!」
「……電話を」
今にも掴みかかってきそうな国枝に怯えながら、俺は一刻も早く話を終わらせるべく、飯島刑事に言った。
「電話?」
「掛けてみて、くれませんか。……さっき言ってた、履歴の番号に」
「今ですか? 構いませんが……」
手帳をめくり、自分のスマートフォンに番号を打ち込む飯島刑事。すると。
「え?」
ブー、ブーッ、と、すぐ近くから携帯電話のバイブレーションの音が聞こえてきた。
「俺のじゃないぞ」
「僕も違います」
「俺も」
三者三様に否定する中、国枝だけが、俯いたまま震えていた。飯島刑事が通話を切ると、国枝の携帯電話の音も止んだ。
「……今井さんが亡くなる直前まで話していたのは、国枝さんだったんですね」
呆気に取られながら、飯島刑事が言った。
「だったら何だって言うんだ! 七階にいた今井を、駐車場にいた俺が、突き落とせるわけないだろ!」
喚く国枝。廊下に声が反響して、余計にうるさく感じる。
「……突き落とす必要は、ない、です」
恐る恐る口にするが、春日原は黙って微笑んでいる。間違っていないということだ。
「……非常階段に呼び出して、下を覗かせればいい」
「なんっ!?」
「そっか! 真下にいる人の顔を見ようと思ったら、かなり身を乗り出すことになります。睡眠薬でフラフラになっている状態でそんなことをさせたら、足を滑らせることだって――」
「じゃあ、どうやって今井に睡眠薬を飲ませたっていうんだよ! 俺は帰ってきたところだったんだぞ!」
しかし、俺は首を振った。
「……出てきたところだったはず」
「なんでそう言い切れるんだ」
「……足元が」
国枝の足元と、俺の足元を順に指さし、ちらりと刑事たちの方を見る。気付いてくれるだろうか。
「……泥か」
権藤刑事は、すぐに気付いた。
俺の靴にも、刑事たちの靴にも、乾いて白っぽくなった泥がこびり付いていた。もちろん、着替え損ねた伊崎のジーンズにも、同じ色の汚れが付いている。彼の部屋の玄関を見れば、同じく泥だらけの靴もあるだろう。
雨が降る前から建物の中にいた、村岡と春日原の靴に付いていないのは当然として、
「駐車場に入るには、工事中の歩道を通らなきゃいけないはずだ。どうして、国枝さんの靴には泥が付いていないんですか」
言いたいことを代弁させることに成功し、俺は絶句する国枝を見据えた。
国枝は、口を震わせて傘の柄を握り締めた。周囲は、彼を怪訝そうな顔で見る。
「ら、来客が俺で、睡眠薬を飲ませたとしても! 本当に今井が落ちるか、わからないだろ!?」
手摺りの位置はそれなりに高い。ただ覗くだけなら、足を滑らせても手前で転ぶだけだ。
「……だから、土嚢を持たせた。……ですよね」
「土嚢……って、転落現場の側に置いてあった?」
「……中身は、近くの植え込みの土、とかじゃないかと、思います」
本当は、中身をその辺に撒いて、証拠隠滅を計る予定だったのだろう。
「なるほど。外側にもう一枚袋でも被せときゃ、中身はわからんからな。わざと被害者の部屋に残していき、電話で『中身は大した物じゃないから、非常階段から落としてくれ』とでも言って呼び出す。眠気でフラフラしてたら、土の入った袋なんか、片手では持てないよな。今井さんは部屋にスマホを置いて、土嚢を両手で抱えて非常階段に向かい、落とすために身を乗り出して、そのまま転落した」
雨が降っていたなら、傘を差していたはずだ。伊崎に頭上から目撃されても、外側の袋を剥がすくらいならできる。それからすぐに警察が来たとなると――まだ、手元に持っている可能性が高い。
「工作をする前に伊崎さんに目撃されたから、計画を変更して犯人に仕立て上げようとした、ってわけですか……」
飯島刑事が言葉を継ぎ、権藤刑事は眉間の皺を深めながら薄暗い天井を見上げ、ふー、と大きく息を吐いた。
「……最初から俺だって、わかってたんだな……?」
図星だったのだろう。国枝が俺を睨みつける。わかっていたのは俺ではなく、春日原だ。
「認めるんですね?」
飯島刑事のその言葉に、国枝は目を見開いた。そして突然叫びながら、傘を振り回して飯島刑事に突進していく。
「っ春日原!」
「ハイ!」
咄嗟に呼んだ声に、春日原は元気良く返事をした。今までのおっとりとした仕草からは想像も付かないような素早さで、飯島刑事と突進してくる国枝の間に入り、振り被られた傘を簡単に掴む。飯島刑事を庇いながら、進行方向に傘を引っ張った。つんのめった国枝から傘をもぎ取ると、柄で国枝の背中を一突きし、うつ伏せに転ばせる。更に、容赦なくその上に馬乗りになった。
「ぐえっ」
国枝がカエルのような声を出す。いとも容易く右腕を締め上げ、それでも尚抵抗しようとする国枝の、目元すれすれに傘の先を乱暴に突き立てると、国枝はヒッと小さく悲鳴を上げ、大人しくなった。
「警察官に手を上げたら、もっと罪が重くなりますよ。――諦めましょう」
至極穏やかな声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます