助手探偵

毒島*4/24書籍発売

試着室の殺意

1-1.

 それは、近所の中学校の桜がぽつぽつと花を付け始めた、春先のことだった。

 俺が買い物から帰って来ると、メールボックスに緊急の仕事依頼が来ていた。人と会うのが苦手な俺には在宅ワークは性に合っているが、時間が不規則なのがデメリットだ。

「……今日は休みにするって、言ったのに……」

不満を漏らしても仕方がない。慌てて取りかかり、どうにか仕上げてメールを送った頃には、窓の外が白み始めていた。

 仕事を寄越した相手を恨みながらベッドに倒れ込み、夕方まで起きないぞという決意を込めて、俺は深い眠りについた。


 はずだったのだが。


 ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴る。

「……」

今日は宅配が来る予定はなかったはず。となると、それ以外の来客だ。

 再び、同じ電子音。更に、ゴンゴン、という鉄製のドアを叩く音。

「歌ヶ江さーん。ご不在ですかー」

やや威圧的な、男性の声。起き渋っているうちに、三度目のチャイム。

「歌ヶ江さーん?」

これは、俺が中にいるとわかって呼んでいる。居留守を使ったところで、帰ってくれそうにもない。これ以上は近所迷惑だ。

 ベッドから転がり落ち、逆さで見た壁の時計は、まだ朝の九時を過ぎたばかりだった。四時間も寝ていないではないか。


 寝癖の付いた髪を手櫛で梳かしながら短い廊下を抜け、チェーンロックは掛けたまま、ドアを開ける。

「お休み中のところすみません。歌ヶ江トキヲさん、ですね」

 立っていたのは、厳めしい顔の中年男性だった。その後ろにもう一人、小柄な若い女性。ドアの隙間越しに俺を見上げて、肩を少しだけ震わせた。想定より高い位置に頭があったせいで、驚いたのだろう。無駄にすくすくと育ってしまった俺の身長は、百九十一センチほどある。

「……? どなた、ですか……」

俺の名前を知っているようだが、見覚えのない顔だ。恐る恐る訊ねると、

「浮草署の者です。少し、お時間いただけますか」

スーツの男性は、胸ポケットから警察手帳を取り出し、こちらに見せた。


*****


 玄関先で警察と立ち話をするのは憚られて、不本意ながら仕事終わりの荒れた室内へ、二人を招き入れた。

 眉間に皺を寄せたままの男の刑事と、きょろきょろと室内を見回す女の刑事。

 来客など滅多にないものだから、持てなすような設備はない。食事用の座卓を囲んで、カーペットを敷いただけの床に座ってもらった。

「……」

早く話を済ませて帰って頂きたいところだが、いきなり「警察が何の用ですか」なんて聞いたら感じが悪いだろうか。親に「あなたは仏頂面だから、せめて話し方だけでも優しく」と言われてから、余計喋るのが苦手になった。――用があるのなら、早く切り出してくれないだろうか。

「……」

しかし、相手も何やら戸惑った様子だった。互いに目配せをしてから、ようやく男性のほうが口を開いた。

「改めて、浮草署刑事課の、権藤です」

「同じく、刑事課の飯島です」

女性警察官が、続けて名乗る。

「……刑事さん……」

交番勤めの警官ならまだ馴染みがあるが、いわゆる事件の捜査を行う部署とは、さすがに縁がない。

「実は昨日、浮草署の管轄内で殺人事件がありまして」

「殺人……?」

「夕方にはニュースなどでも報道していましたから、ご存知かもしれませんが」

「いえ……。朝方まで、仕事をしていたので……」

月末月初にはよくある修羅場だが、そろそろ改善したいところだ。

「そうですか。あまりお時間を取らせるのも何ですから、早速、本題に入ります」

権藤刑事は咳払いをして、手帳を開いた。

「歌ヶ江さん。昨日、浮草ショッピングモールに行きましたよね」

浮草市の駅前には、巨大な商業施設がある。半端田舎の広大な土地をふんだんに使った、横長い三階建て。食料品や生活雑貨はもちろんのこと、専門店にレストラン、映画館まで入っているので、市内の老若男女の憩いの場となっている。

「はい……」

確かに昨日は、午前中からモールに買い物に行った。しかし、それがどうしたというのだろう。平日でも、モールにはたくさんの人出があった。身長のせいか、通行人からやたらじろじろと見られるので居心地は悪いが、一ヶ所で何でも揃う便利さには替えられない。

「モニカという服屋で、服を買われましたね」

「はい……」

モニカは、俺のようなひょろ長い体型でも着られる服を売っている、数少ない店だ。浮草モールに行った時には、必ず立ち寄る。それをわざわざ確認するということは、だ。

「……モニカで、人が殺されたんですか。……それで、俺が、疑われている」

先回りして答えた。自分の容姿が目立つことは自覚している。目撃情報なら、いくらでも出てくるだろう。

「いえいえ、疑っているわけでは。事件が起きた時間、モニカに出入りした方全員に、話を伺っているだけです」

刑事のわざとらしい身振りで、どうやら容疑者になってしまっているらしいことはわかった。もちろん身に覚えはない。

「あまり驚かないんですね」

権藤と名乗った刑事が、訝しげに俺の目を見た。

「……驚いては、いるんですが……。顔に出ない、らしくて」

何かを探るような視線から、思わず目をそらしてしまう。正直、近くで人が殺されたと言われても、いまいち実感が湧かない。眠気で頭がぼーっとしていることもあり、普段よりも更に表情が顔に出ていないのだろう。

「お人形みたいな顔ですもんねえ。あいてっ」

飯島刑事が感心するように頷いて、脇腹を権藤刑事に小突かれて黙った。

「はあ……」

よく言われるのだが、褒め言葉なのか、顔の筋肉が動いていないことを揶揄されているのかわからず、曖昧な返事しかできない。

「すみません、緊張感のない奴で。……もしお時間が空いているなら、これから署まで来ていただけませんかね。強制ではありませんが」

本当なら、断って二人を追い返し二度寝をキメたいところだったが、拒否したら余計に怪しまれるのだろう。

「……着替えるので、少し、待ってもらえますか……」

俺は渋々頷いて、床から立ち上がった。

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