第4章(2)

 クリスマスが近づくと、授業も終わり冬休みに入る。一日中のんびりしていられる日と、バイトに行く日、そんな日が続く。

 友達が少ない僕は年末に遊ぶ予定なんて立つと思っていなかったから、がっつりシフトを入れていた。

 イブも閉店まで働き、正午から夜七時半までのシフトが入っているクリスマス当日。

 見事なまでに綺麗なホワイトクリスマスとなり、粉雪がちらつく天気だった。

「ありがとうございましたー」

 コンビニくらいの広さの店内に響く僕の声。いつもならこの時間には三人くらいいるものだけど、年末と言うこともあり、今日は四人が入っている。やっぱり大掃除とかで要らなくなった本を売りに来る人が多くなるんだ。

 よく一緒になる少し変態な先輩も、その日はシフトに入っていた。

「なあ、さっきから雫石時計チラチラ見てるけど、何かこの後予定でもあんの?」

 文庫本を棚に並べる作業中、隣にその先輩がやってきてそう話しかけてきた。勿論、作業をしながら、だ。

 僕も本を棚に入れる手は止めずに、

「ま、まあ……八時半から」

 先輩にそう返した。

「あーそういえば今日雫石は七時半上がりだもんな」

「え、ええ」

「あれ、でも、今日閉店までいるの俺だけのはずだから……シフト薄いんだよね」

「マジですか?」

 普通の日でもラスト一人は避けたいところ。ましてや年末のこの時期にラスト一人は……やばい。

「マジ。このままだと俺死んじゃう。店長も残れる人捜しているみたいで」

「そ、そうなんですね……」

 あー、いつもなら、喜んで残って給料を稼ぐけど……今日はちょっとな……。

「デートか」

 少し黙った僕を先輩はチラリと見て、そう放った。

「……あの子と?」

「そ、そうですけど」

「ふーん。クリスマスベイビーには気をつけろよ」

「っ、せ、先輩はすぐそういうこと言う」

「でも、クリスマスに、しかもバイト終わってからの時間に会おうとしているってことは、要は付き合ってるんだろ? あの子と」

 そういうところは鋭いんだよなあ……。

「まあ、そうですけど……」

「ふっ、そっか。お前にもとうとう彼女ができたか」

「別に先輩長年の付き合いじゃないですよね」

「長かったな……お前が泣きながら『先輩、俺、モテたいっす』って言ってからもう三年か」

「先輩、仕事してください。僕はそんなこと言った覚えはありません。あと、僕ここ入ってまだ一年ちょっとですし、先輩も二年くらいじゃないですか」

「はいはい、俺は仕事に勤しむよ。後輩が聖夜に彼女とイチャイチャしているときも先輩は働くよ」

「な、なんかイラっとくる言い方ですね……」

 お互い軽口を叩き合いながら、再び棚に本を入れる作業に戻る。

 そして働いているうちに、二度目の休憩時間に入った。正午から夜七時半まで働くときうちのバイトでは、四十五分と十五分の休憩を一度ずつとる。今は十五分の方。

 スタッフルームで一人水分を取りながらゆっくりしていると、店長が入って来た。

「あ、雫石君、ちょっといいかな」

「は、はい」

 来たな……。

「今日、ラストが新庄君しかいなくて、多分回らないんだ、閉店まで残れたりしないかな?」

「あ、えっと……すいません、今日はどうしても定時で上がりたくて……」

 きっと、店長も僕に断られると思っていなかったんだろう。僕のその答えを聞くと、口を半分開けて、黙ってしまった。

 気まずい時間が、流れる。

「そ、そう? とりあえず他の子にも聞いてみるけど、一時間だけとかでもいいから、残ってくれると助かるんだ、頼むよ」

 そう言い残し、店長はまた売り場へと戻っていった。

 その去り際の背中は、どこか疲れが色濃く映っているようにも見えた。

 ここ最近、店長がお店にいない日を僕は見ていない。

 少しだけ、胸が締め付けられるような思いがした。でも、今日だけは。今日は定時で帰らせて欲しい。

 僕は最後にペットボトルの水を一口飲み、打刻を登録し、売り場に戻った。


 そして、定時で上がる予定の時間、七時半になった。

 しかし、想定外のことが起きてしまった。

 さっきの休憩後から、僕はカウンターで買取査定をひたすらやっていたけれど。

 お客さんが引かない……!

 売り場には、僕と先輩(新庄さん)、店長の三人しかいない。他の人は皆五時に上がっている。

 レジもレジでずっと並んでいるから、もしここで僕が帰ると買取の業務が完全に止まってしまう。

 ……半強制的に帰れない展開だよこれ。

 やむを得ず、僕はなし崩しに残業をすることになった。まあ、ここではよくあることなのだけど、でも。

 よりによって今日かよ!

 本を触る手が、心なしか震え始める。

 早く、早く上がらないと……。

 その一心で僕は査定を終わらせていく。

 時計の針の進みは、こういうときに限って早いもので、ようやくレジと買取が落ち着いたのは、午後八時を過ぎた頃だった。

 ど、どうしよう……。

 腕時計を見つめながら、呆然とカウンター内に立ち尽くす僕。

「行け、雫石、あとは俺に任せろ」

 そんな僕の背中を押した人が、いた。

「せ、先輩……? で、でもそれじゃ一人に……」

「バカか。後輩の大事な初デートだって日に残らせる先輩がどこにいる。……ってもう残らせているわけだけど。あとは俺一人でなんとか回す。だからお前は彼女のところへ行け」

「て、店長には……?」

 店長は今のタイミングで少し休憩に入っていた。きっと、もう少し残っていくつもりなのだろう。朝の開店からいるのにも関わらず。

「俺から話しておく。ほら、早く行け。八時半待ち合わせなんだろ?」

 きっと、このときほど先輩が格好良く映った日は、無いと思う。

 それくらい、今の先輩は、僕にとっての、ヒーローだった。

「あ、ありがとうございます!」

「おう、行け行け、青春して来い後輩よ」

 僕は退勤を切り、スタッフルームに戻った。

 そこで休憩をしていた店長に「すみません、もう帰らないといけないので僕先帰ります! 新庄さんにも言ってあります!」と言い捨て、僕は更衣室に飛び込んだ。

 うんともすんとも言わせる間もなく、僕はお店を後にした。


 お店を出たのは待ち合わせの五分前。ここから西四丁目まではどう足掻いたって十五分はかかる。

 どうしよう、展望台に上れる時間、結構ギリギリなんだよ! 急がないと……!

 僕は凍った冬道を走り、走り、駅へとひた走る。

 すれ違うヘッドライトや、頭上を抜けていくオレンジ色の街灯。それらを気に留めることもなく、僕は夜の札幌を駆けた。

 それでも数分も走れば、最寄りの地下鉄駅に着いた。僕は一旦北上さんに連絡をしようとスマホを開いた。

 ロック画面には「今どこ?」「何かあった?」「大丈夫?」などと、僕を案ずるメッセ―ジが届いていた。

 嬉しいと思う反面、僕は急いで彼女に電話で遅れることを伝えようとした。

 が。

 ――札幌の寒さは、こういう大事な時に理不尽で。

 電話を掛けた瞬間。

 僕のスマホから明かりが消えた。

「え?」

 改札に向かう足を止めて、僕はそんな声を出す。

「嘘だろ?」

 再び改札に向かい始め、僕は電源ボタンを長押しする。

 電源はつかない。代わりに表示されるのは、充電器のマークと空の電池のマーク。何度連打しても、何度長押ししても、同じだった。

 たまにあるんだ。寒さでスマホのバッテリーがやられてしまうことって。

 さっきまでほぼ満タンであった電池が、一瞬でゼロになってしまうこともある。

 その現象が、よりにもよって今、起きてしまった。

 こんな大事な時に……!

 焦る僕は、タイミング良くやって来た大通方面の地下鉄に飛び込んだ。


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