第13回 〇〇〇メーターの恐怖!(その三)

 ――上空から見た夜景は、まるで黒ビロードを底に敷き詰めた宝石箱のようでした。

 今やナチス抬頭のミュンヘン、文化大革命の火がついた上海と並ぶ世界三大民主主義破壊都市となりつつあるにもかかわらず、その輝きはかつてこの国第一の商都として、多彩な文化を花開かせたころと少しも変わっていませんでした。

 けれど内実は、いま述べたようなありさま。とりわけ潤とマキの二人がこれから降りて行こうとする闇の奥には、恐るべき罪悪と危険が待ち構えていたのです。

 彼らを乗せた、まるでグライダーのように優美で華奢な機体が、宝石箱の上空のとある一点に差しかかったとき、

「……そろそろだね」

「ああ。じゃ、行くとするか」

 いつもの制服、もしくはガーリッシュだったりギャルっぽかったりする私服姿とは打って変わり、全身をすっぽり覆い、肌にぴったり吸いつくスーツをまとった彼らは、しばしレーダースコープを見つめていました。

 やがてそこに一つの輝点を見出した瞬間、銀色をした無音飛行機の操縦を自動装置に任せ、躊躇なく(本当は相当にドキドキしながら)、真闇の空と重力にわれとわが身をゆだねたのでした。

 たちまちパッと開いたパラシュート、その操縦索コントロールラインをなかなかのトグルさばきで操りながら降下していくうち、よどんだ夜の水底に沈んだ街並みが見えてきました。

 どこか懐かしさを感じさせるそれは、住宅や店舗、せいぜい三、四階建てのビルによって構成され、工場や倉庫もいくつか散在していました。

 互いに距離を取り、ぶつかり合ってラインと呼ばれる吊り糸がこんがらがってしまわないよう気をつけつつも、寄り添うように下界をめざす二人。風切り音にまじって交わす言葉は、

「あそこだね」

「ああ、まちがいない。もっとも今度ばかりはまちがえちゃ大変だからな」

「よし、座標再確認。降下エリア:大阪市阿倍野区阿倍野、目標はアベノ精密機――」

「了解……よし、はぐれないよう、確実にゆっくりと行こう」

 などと、あくまで慎重なものでした。確かに今回の任務は破壊工作なのですから、無関係な、たとえば普通のマイホームの団欒に押し入って銃を乱射するようなことがあってはなりません。

 けれども、その心配はありませんでした。夜風を突き抜けて降下するにつれ、目標の一角だけがひときわ明るく、光の輪郭を描いているのが見て取れたからでした。どうやらけっこう深い時間帯というのに、そこは今や活動真っ盛りというところのようです。

 赤外線ビジョンで確かめたところ、敷地外から塀を超えての侵入に対する警報装置はあるようでしたが、上空からのそれに対してはガラ空き状態で、すんなりと大屋根の一角に降り立つことができました。その頂には、

 ――『アベノ精密機』

 の文字が、光り輝くこともなくなって久しいまま掲げられていました。

 そのそばを、すっかり老朽化してあちこちベコベコし、しかもかなり急勾配な折板屋根の上を、足音もたてずに駆けてゆく姿はまるで現代の忍者。それもくノ一――と言いたいところですが、この言葉には別に女忍おんなしのびの意味はないそうです。

 それはともかくとして、二人は数分後、屋根の中ほどにうがたれた天窓越しに工場の内部を見下ろしていました。

「お、おい……」

「うん、まさかここまでとはね」

 思わずうめくようにもらしたマキに、潤が答えました。

 そう、それは実に驚くべき光景でした。いささか、いや相当に古びて産業遺跡といった風情ながら広々とした工場内。その煌々と――ただしいくぶん黒ずんでパチつく蛍光灯の下で、優に百人を超す工員たちが黙々と働いていたのです。

 それは、おそろいの水色の作業着に身を包み、頭には三角巾をかぶった女性たちで、ベルトコンベアつきのデスクに向かい、黙々と作業に励んでいました。その一糸乱れぬ流れ作業に沿って、どんどんと組み上がってゆくのは、まさしくあの奇妙な機械だったのです。

「……なるほどね」マキがぽつりと言いました。「阿倍野区阿倍野の『アベノ精密機』で作られている。だから○○○メーターというわけか」

「と、いうことらしいね。あんまり詮索しない方がいいようだけど」

 潤が答え、意味ありげな笑みをもらします。

 ○○○メーター――それがあのバーコードリーダーのような露出計のような奇妙な機械の名前でした。そして潤たちが二度にわたって目撃し、今や日本全国で騒ぎを起こしているそれが、彼らのまさに目前で大量生産されつつあったのです。しかもレトロというか何というか、女性工員さんたちの手作業によって!

 今どきのことだから、ましてきわめて精密な電子機器を作っているからには、さぞかし全ての作業は自動化され、何から何までコンピューターと目まぐるしく動くロボットアームにより行なわれていると思いのほか、まるで昭和も半ばの産業映画さながらの光景が展開されていた。。

 けれど、この国では決して珍しいことではなかったのです。はるか以前――うっかりすると半世紀以上前に一度は機械化したものの、その後は何の進歩も改革もなく、設備投資も怠ったまま今日に至ってしまっただけのこと。それはまさに、日本人が勝手に幻想する「遅れたアジア諸国」そのもののながめでした。

 だからといって気にする必要はありません。どうせテレビ番組などでは「この工場では、何十年前に導入された機械が今も現役で活躍しています。それを操るのは長年鍛え上げられた熟練工の腕」とか何とか、むしろ日本ならではの美点のようにほめたたえてくれるのですから。

 ここはご多分にもれず、イノベーションの波に乗り遅れて潰れかかっていた町工場だったのですが、今回政府のお声がかりによるプロジェクトが実施されるにあたり、総理大臣だかお偉方の誰だかの、親戚筋の同郷出身者の同窓生の知り合いということで、国に納入するとある重大な物品の製造を請け負うことになったのです。

 そうでもなければ、こんな零細工場にそれほどの大仕事が任されるはずがないのでしたが、法治より人治、知性より血統、身内大事の情実優先が何より重視される現政権のやり方からすると、何の不思議もありません。何よりここで作られている製品の性格を考えれば、まさにぴったりの選択というほかなかったのです。

 ラインについてるのは、いかにも働き者そうなおばちゃんたち。といっても年齢幅はかなりあるようで、一概にはそうは呼べませんでした。何分、夜を徹しての作業ということで、かなり頻繁に休憩に立ち、そのたび交代要員が入れかわりに席に着きます。

「よし、あれで行こう」

 双眼鏡で下界の人の流れを観察しながら潤が言うと、マキは「えー」という顔になって、

「あの工員さんに化けるの? うーん、おれ……あたしの好みからするとちょっと……じゃなくって、あんまり似合いそうにはないから、すぐバレちゃうんじゃないかな」

 どうせなら、あまり地味な変装はしたくないようでした。潤にも、その女心(?)はわからなくもありませんでしたが、むろんそうも言っていられないので、

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 潤はそう言って、渋るマキを説得しました。

「みんな、おばちゃんってわけじゃないし、それにほらヤンママ風の人もけっこういるし、マキならできるとも」

「ヤンママって……まぁミッションのためじゃ、しょうがないか」

「とにかく降りよう」

 二人は屋根に何か所か突き出た、煙突か風変わりな帽子のような形をしたベンチレーターにワイヤーの一端を引っかけ、そのまま一気に地上に降り立ちました。

 裏手の閉め切りになったドアの施錠をあっさり解くと、薄暗い廊下に出ます。ちょうど作業場の方から人影が二つ現われて、近くにある休憩室に向かうようす。

 よし、と声なき会話を交わすと、腰につけた道具のうちから小型拳銃のようなものをつかみ取りました。そんなものの銃口を善良なおばちゃんたちに向けるのは気の毒でしたが、幸いそこから飛び出すのは銃弾ではなくて、半ば気体と化した薬液でした。

 おばちゃんたちは、二人に気づくまもなくバタンキュー。そのまま引きずりこまれた休憩室のソファで、彼女らは安らかな寝息をたてるのを横目に、潤たちはストックらしき新品の作業着と三角巾で、まんまと女子工員に化けおおせました。そして空席になった生産ラインの前に滑りこむと、何食わぬ顔で分担された仕事に取りかかったのですが、

(え、えと……これはどうすんだ)

 たちまち、やったことのない作業に悪戦苦闘するはめになりました。

「あんた、だいじょうぶかいな。見慣れん顔やけど新しゅう入った子ォか?」

 どうやら見かねたらしい隣の工員さんから、声をかけられて、

「え、ええ、何とか」

 潤は答えつつもハンダゴテの扱いに悪戦苦闘し、結局は隣の人の手を止めさせて手ほどきを受けることになりました。

 一方、マキはと見れば、ヤンママというかギャル上がりというか、個性の強い見てくれがかえっていい味を出し、また実際なかなかこうした工作は得意のようで、楽々と作業をこなしていました。

 潤はといえば、とりあえずその場をごまかすことはできたものの、それも時間の問題。というのも、二人が手がけた部分が、ラインの先の方のチェック部門でことごとく引っかかり、

「何やの、これ!」

「誰、こんなひどい仕事をしたんは?」

 などと、騒ぎになってしまいました。そこへさらに、

「何だ何だ、どうした?」

「とりあえず作業はそのまま、手は休めるな!」

 と野太い声がして、ジャンパースタイルの作業着姿の男が三人ばかり駆けつけてきました。たぶん別棟の管理部門から異変に気づいて駆けつけたのでしょう。

 男たちは、製造ラインをあちらと思えばまたこちら、と飛び回りながら手にしたチェックリストにペンを走らせ、まずいことに潤とマキのいる席へと近づいてきました。システムを揺るがすミスの原因が自分たち――特に潤の不器用さのせいだとわかれば、当然ただではすまないし、正体も追及されてバレてしまうでしょう。

 と同時にそれは、今回のこのミッションを無にしてしまうどころか、むしろマイナスにまで後退させる危険をはらんでいました。なぜといって、ここアベノ精密機に何らかの工作を試みて、それが失敗したうえ発覚に至れば、○○○メーターの製造計画は変更され、さらに仕様が変えられるなどして、その秘密解明なり影響の除去が困難になってしまうからです。

 ですが、それよりはまず自分たちの身を守ることが急務でした。

「よし……では次の工程だ」

「これもよし……だが、くれぐれも作業は慎重にな」

 といった調子で確認作業を進めた男たちは、やがてマキの席に達したのですが、何とそのまま「異状なし」で通過してしまったのです。

 何と器用で強運な少年――正確には元少年ですが――でしょう。思わず相棒に拍手を送りたくなった潤でしたが、同じ幸運は彼には訪れそうにないように思われました。というのも、

「よし……で、次はどこだ。うん、あそこか」

 男たちの視線と指さす先からすれば、「あそこ」とは彼の今いる席にほかならなかったからです。そして、潤がとっさには何の策も立てられずに焦燥するうち、彼らは彼の作業机のすぐそばまでやってきてしまいました。

「そこのあんた……ちょっと調べさせてもらいたいことがあるんで失礼するよ。おい、呼ばれたらこっちに顔ぐらい向けたらどうだね――おい、あんた!」

 男の一人がいらだたしげに荒らげた声が、潤の耳に痛いほどびんびんと響きました。そして、その手がグイッと彼めがけてのばされ、太くて毛の生えた指でもってクワッとその肩をつかもうとしたのです……。


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