第12回 〇〇〇メーターの恐怖!(その二)

 ――それは、榎本潤と風早マキの二人がバイク事故に遭遇した、その翌日の出来事でした。

 とある鉄道路線の通勤通学ピーク時、いつもにも増して満員御礼な電車内で痴漢騒ぎが起こりました。悲しいことですが、それ自体はこのマッチョイズムでマンスプレイニングでセクシズムで、あと何か難しい言い方はともかく、弱い者いじめで空威張りで見て見ぬふりで事なかれ主義で人を見てモノを言う国では珍しいことではありません。

 ただ、このときの痴漢事件は二つの段階で意外な展開をたどりました。最初はきわめてポジティヴに、そして次にはネガティヴな形で――。

「や、やめてください……だ、誰か……助けて……」

 ある若いOL風の女性が痴漢に執拗に体を触られていたのですが、あまりの気味の悪さと驚きのせいでかえって身も心もすくんでしまい、蚊の鳴くような声しか出せずにいました。

 と、そんなさなか、何があったのか電車がギーッと音たてて大きく減速し、車両全体が大きく揺れました。そのせいでピッタリと体を密着させていた痴漢との間にすきまができたのを幸い、その女性は思い切って身をよじりました。

 そのまま痴漢の忌わしい、まるで頭足類のような手を逃れたのですが、勢い余って目の前にいた別の乗客にぶつかってしまいます。

「ご。ごめんなさい……」

 そのことをわびるついでにハッとわれに返った彼女は、

「今、痴漢にあってるんです」

 と必死の思いで伝えました。相手の女性の表情が、明らかに迷惑以外のものを示していたからでもありました。

 こういう場合、訴えを無視したり、それどころか男の場合は逆に犯罪者をかばうのが日本では珍しくありません。

 けれど、このときは女性が女性に被害を訴えたこともあり、たまたまそばにいた男性たちも義侠心に富んでいたり、はたまた身内に被害に泣いた人がいたりして、被害者の味方について犯人に飛びかかったのです。実はみんなすでに腹にすえかねていて、きっかけを待っていたのかもしれません。そんな思わぬ事態に、

「やめろ、おれは何もしてない!」

 と最初のうちは悲鳴まじりに弁解していた男も、次々と周囲で上がる目撃証言や非難の声にシオシオのパーとなり、次の駅で引きずり降ろされることになりました。

 潤とマキが出くわしたのは、まさにこの駅のプラットホームでの一幕でした。だから二人は事件の解決に貢献したわけではないのですが、そのあと彼らはあの交通事故現場にもまさるとも劣らない異様な光景を目の当たりにしたのです。

 最初に駆けつけた駅員の手に犯人の男は引き渡され、そのまま身柄を拘束されたのですが、続いてやってきたおそらく駅前交番の巡査たちによって、事態は異様な展開を迎えました。

 男は警官たちを見てさすがにおびえ、観念もしたようでしたが、それでもせいいつぱいの空元気と居直りを見せて、

「いいのか、おれは……なんだぞ!」

 と言い放ったのです。

 あいにく潤たちには、よく聞こえなかったのですが、その「……」の部分は痴漢逮捕のお手柄組やその周りをさらに取り巻く群衆を一瞬驚かせたものの、なおいっそうの憤激を呼んだだけのようでした。

「あのオッサンというかアンちゃん、かえってドツボにはまったな。何だかよくわからんけど」

 マキが独り言のように口にし、潤も思わずうなずいたことでしたが、警官たちの間には明らかに動揺が走りました。何だか仲間内で頷きあっていたかと思うと、持参の捜査道具一式入りらしきバッグから何かを取り出しました。

「あ、あれは!」

 潤をして思わず口走らせたことに、それは昨日のバイク事故で見たばかりの、そして当事者二人に何とも不可解で不公平な結果をもたらした、あの妙な機械だったのです。

 それを手にした警官は、痴漢の犯人におそるおそるといった感じでピッとその先端を押し当てました。そのあと表示されたらしき結果を見たとたん、みるみるその顔に驚きが広がり、それは同じものを見せられた同僚たちにも広がりました。

 続いて痴漢の被害者や犯人逮捕の協力者たちに、打って変わったぞんざいな動作でピピピピッと〝検査〟を行ってゆきます。

 その結果を見て警官たちの表情がいっそう険しいものになりました。中の星の数がいくつか多い一人が、

「よし、全員連行しろ!」

 そう号令するが早いか、警官たちがいっせいに襲いかかりました。何が何だかわからない人々を容赦なく取り押え、少しでも抵抗するものあれば警棒で打ちすえ、手錠や捕縄をかけて行ったのです。

 まもなく駅舎の外にけたたましいサイレンの音が鳴り響いて、どうやら増援の警官隊が到着したようす。あっという間にプラットホームはてんこ盛りの警官であふれ、せっかく善行を働いたはずの人々は数珠つなぎに連行されてしまったのです。

「あ、あの私は……」

 あまりといえばあまりの事態に混乱しきって、立ちつくす被害者の女性。そこへ警官の一人が荒々しく歩み寄って、

「うるさいっ、何もかも貴様のせいだ! このままただですむと思うな!」

 言うが早いか凄まじい平手打ちを食らわせ、グイッと髪の毛をつかみ、そのまま引きずるように連れ去ってしまったのです。

 あまりにも異常な逮捕劇の、それが締めくくりでした。

 あとに残された痴漢の犯人はといえば、騒ぎのせいで乱れた髪をくしけずり、女性を痴漢した時と同じであろういやらしい手つきで服装をなで回すようにして直すと、

「ふぅ……とんだ目にあった。しかしいい時代になったもんだ。先の選挙でおじさんや、おじさんのおじさんたちに投票したマヌケどもには感謝だぜ。……おい、みんな何見てる? とっとと散りやがれ!」

 そう怒鳴った姿は無意味に全能感に満ち、まわりの通勤通学客たちはワッとばかりに逃げ散りました。

「ねぇマキ」

 潤は、痴漢男を見つめたまま相棒に言いました。

「今の聞いた?」

「聞いた、聞いた」

 マキも大きくうなずきます。つややかにグロスを塗った唇に指先――正確には、これまたきれいに整えた爪先を軽く押し当てると、

「今の言葉といい、あの変な機械といい、これはちょっと調べなきゃならないみたいね……でも、相手は警察か」

「そう、そこがちょっと厄介よね」

「まぁね。じゃあ、とりあえず――」

「学校行こっか!」

 同時に言ったあと、二人は顔を見合わせました。ところへ次の電車が滑りこんできて、彼らはそのまま車内へと速足で駆けこんでいったのでした。


 さて、このあとこの国で起きた珍騒動――あとになってこそ言えることで、そのまさに渦中では実に深刻な悲劇が次々ともたらされたのです。

 それは。国民生活のあらゆる場面における不公平であり、不平等であり、不公正であり、不均衡でした。なぁにこの国はもともとそんなものさ、などとのたまう冷笑家たちもいましたが、政府与党を盲目的に支持し、そのことで周囲を見下す以外能のない人々をも巻きこんで、事態は拡大していったのです。

 潤とマキが目撃した交通事故や痴漢事件のような警察・司法案件で、それはまず顕著に表われました。被害者と加害者はしばしば入れ替わり、善悪と正邪はひっくり返りました。さしずめ、悪堕ち凌辱暴虐逆転なし、肉体も精神も容赦なく蹂躙された主人公には何の助けもなく、人としての名誉や立場どころか未来すら根こそぎ奪われ、せめて救いとは言わないまでも物語の決着ぐらいはつけてくれと願いつつページをめくった先には、「今回ぐらいは明るいお話にしようと思ったんですけど、結局ダークになっちゃいましたテヘヘッ」てな、のんきな作者あとがきがついていたりするような18禁鬼畜系同人誌が国民的文学とでもなったかのようなありさまでした。

 さらに奇妙なのは、新聞やテレビなど報道の動きでした。最初のうちこそ、この不正というよりは悪の跳梁跋扈に対し問題提起や告発の論陣を張っていたのですが、まもなくその論調も変わり、被害者をたたいて加害者をたたえ、強きを助けて弱きをくじく姿勢をあからさまにし始めたのです。市民運動や労働争議、果ては何気ない文化活動までもが容赦ない弾圧の対象となり、それはついに潤とマキの近辺にまで迫ってきたのです。

 これまで何ということのなかった学園内にも奇妙な格差というか、歴然たる階級が発生するようになっていました。いばるものにはほぼ例外なく役人や政治家の縁戚があり、中でもことに横暴と傲慢をきわめる連中の家系をたどると、さらにおかしな特徴が浮かび上がったのです。

「見ろよ、これ」

 風早マキが、学校で使うタブレットに一見そっくりながら森羅万象あらゆるデータをもとに、高速で精密な分析をくり広げる優れものマシンのディスプレイを指さしながら言いました。

「これは……」

 と潤がそばからのぞきこんで、

「ある特定の県にルーツを持つ生徒が突出してるね。しかも、そこは――」

 マキは「そう」とうなずいて、

「これは、なんだ。よりによって、あのご仁のね」


 その晩、アジトに出向いた二人は、〝ボス〟〝エース〟〝ドック〟の三人にこれまでの調査結果を報告しました。もちろんこの件は旧・憲法擁護局のメンバーにとっても重要な問題として受け取られていました。

 そしてしばしの協議の結果、〝ボス〟から下されたミッションは次のような意外なものでした。

「大阪へ飛んでくれ。かなり荒っぽい破壊工作になるがよろしく頼む」

「大阪へ?」

 二人のTSJKスパイは、思わず顔を見合わせました。

 大阪――ここはここで地元メディアと芸能プロダクションの煽動によるファシズム抬頭という問題を抱えていましたが、それはそれとして今回の件とは全く無関係に思えたからです。

「――わかりました」

 潤がきっぱりと答えた横で、マキが「えっ、いいの?」という顔になりましたが、やがて軽く敬礼などすると、

「こっちも了解です。でも今から新幹線で行くと、帰りは明日になっちゃいますね。学校は休んでだいじょうぶなんですか?」

「その点は安心したまえ」

 今度降ってきたのは〝ドック〟の声でした。

「いやまぁ、重大な任務なんだから休んだって何とでもなるが……それはいいのかね?」

「ええ……だってあたしたち」

 言うなりマキは潤の首に腕をからませました。いきなりのことでどきまぎする潤をちらっと見たあと、

「JKライフを思いっきり満喫してますから。そうだよね、ジュン?」

「う、うん。だから休まないですむに越したことはないです」

 潤もその点には異存なく答えたのでした。

 二人の少年の言葉に嘘はありませんでした。スカートをはき、髪を風になびかせて女子高校生として暮らす日々は最高で、むろんとまどいや驚き、ハラハラヒヤヒヤすることもしばしばでしたが、それら自体がワックワクーのドッキドキーで、スパイとしての使命の困難も危険も十分におつりが来るぐらいでした。

「そ、そうか」

〝ドック〟はやや気押され気味に、でもすぐに納得できたようすで、

「それでは今回の作戦について説明する。とりわけ装備や武器の使い方については〝エース〟からくわしい指導があるだろう」

「了解ですっ」

 二人の元気いっぱいな声がアジトに響きわたりました――。


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