第2話【東戦線からの帰還命令】

 ――天魔憑てんまつきという存在がいる。


 分かりやすく言えば、天魔と契約をして異能力を手に入れた人間のことを示す。

 経緯は色々とあるが、地上を追われた人類に代わって彼ら天魔憑てんまつきが、天魔に支配された地上を取り戻さんと日夜激しい戦いを繰り広げているのである。一部の天魔が何故人間と契約を結ぶことになったのかは、天魔憑てんまつきの人数分だけ理由が存在するので割愛する。

 ユフィーリア・エイクトベルもまた天魔憑てんまつきの一人だ。

 彼女が契約した天魔は【銀月鬼ギンゲツキ】と言う。それはそれは美しい銀髪碧眼の鬼神だった。

 敵である人類どころか味方であるはずの天魔からも恐れられていることから分かるが、この【銀月鬼ギンゲツキ】という天魔は『最強』と恐れられていた個体だった。居合術を得意とし、その居合は距離や空間さえも飛び越えるとされ、かの天魔の前に立てば生きて帰ることは不可能だと囁かれたほどだ。

 そんな【銀月鬼ギンゲツキ】と契約を果たして天魔憑てんまつきとなったユフィーリアは、まさしく最強の天魔憑てんまつきと呼べようか。


「ふふーん、ふふーん、ふんふーん」


 適当な鼻歌を奏でながら、ユフィーリアは熊の天魔から毛皮を剥ぎ取っていた。丁寧に、慎重に、ばりばりべりべりと手触りのいい毛皮を剥がしていく。


「ふふーん、ふーん、ふんふん……ん?」


 ちょうど毛皮を剥ぎ終わると、フッと影が落ちてきた。

 何事だと空を見上げると、雨の如くポロポロと降っている天魔の群れを縫うようにして、巨大なカラスが飛んでくる。大きな翼で風を掴み、旋回してから地上へ優雅に降り立った。

 見上げるほど大きなカラスは、くちばしを器用に使って黒い翼を毛繕いし始める。カラス自身は身嗜みだしなみを整えることに夢中だが、カラスを介して聞こえてきた青年の声は当たり前のようにユフィーリアへ話しかけてくる。


【やあ、ユフィーリア。相変わらず鬼神のような戦いっぷり、お見事】

「昇給してくれる?」

【あはは、冗談は君の態度だけにしてほしいなあ】


 朗らかに笑う青年とは対照的に、ユフィーリアは極大の舌打ちで反抗の態度を見せる。どう足掻いても昇給はないようだ。

 毛繕いを終えたカラスはバサバサと翼を広げて「カァーッ」と鳴くが、青年の穏やかな口調は変わらない。


【すぐに本部まで戻ってきてほしいんだけど】

「どうしたよ。まだ定時じゃねえだろ?」

【君にお知らせしたいことがあってね】

「今ここで話せばいいじゃねえか」

【少し真面目な話だから、せめて顔を合わせて話がしたいんだよ】


 青年がどうしてもと強く願ってくるので、ユフィーリアはやれやれと肩を竦めた。


「分かった分かった、すぐに戻る。三〇分ほど待ってろ」

【うん、分かった。よろしくね、ユフィーリア】


 カラスを介して聞こえてくる青年の声が、明らかに弾んだような気さえした。

 用事は済んだとばかりに飛び去っていくカラスの姿を見送って、ユフィーリアは深々とため息を吐くと同時に呟いた。


「めんどくせぇ」


 ☆


 代わり映えのしない荒野の風景を楽しみながら歩くこと二〇分、ユフィーリアは視界を塞ぐようにしてそびえ立つ白い壁を認識した。

 本来であれば外敵から市民を守る為に存在する鉄製の門扉は見事に食い破られ、ぽっかりと壁の向こうを晒している。門扉の向こうに広がっている街並みは寂しげであり、市民の姿は見えず伽藍ガランとした様子である。

 風に乗って漂ってくる甘い香りに鼻をひくつかせたユフィーリアは、その人形めいた美貌を「うえぇ」と歪めた。


「なにこれ、甘ッ」


 ペッペ、と唾を地面に吐き捨てるユフィーリアの、なんとおっさん臭いことか。何度も言うが、中身は真っ当な男である。

 いらない情報だが、ユフィーリアは甘いものが苦手だ。胸焼けがするので、可能であれば甘い匂いすら嗅ぎたくない。風に乗ってどこからか漂ってくるこの甘い匂いでさえも、胸焼けしそうな勢いがあった。


「さっさと帰ろ。こんな匂い嗅いでたら胸がかゆくなる」


 足早に白い壁に近づいたユフィーリアは、開いたままになっている門の横に設置された詰所の扉を叩いた。人一人がようやく収まる程度の広さしかない詰所の扉が、内側からゆっくりと開かれる。

 ギィ、と蝶番が軋む音と共に、機嫌の悪そうな中年の男が顔を覗かせた。草臥くたびれた印象のある金髪を後頭部へ撫でつけ、口髭に隠された唇は真一文字に弾き結ばれている。装飾過多な煌びやかな服装は、軍人のようにも見えた。

 ジロリと睨みつけてくる男にひらりと手を振ったユフィーリアは、


「よう、東戦線担当のユフィーリア・エイクトベルだ。悪いがうちの上官に呼ばれてんだ、すぐに帰しちゃくれねえか?」

「口を慎め、怪物もどきが」


 中年の男は低く唸るような声で言うと、ユフィーリアを詰所の内部へ招き入れるようにその場から退く。「どうも」とユフィーリアは男の暴言に対して言及することなく、詰所の中へ足を踏み入れた。

 詰所の内部はやはり狭く、扉の横にはレバーが取り付けられている。レバーの目盛りには第一層と地上の二つしか存在せず、レバーは地上に合わせられていた。中年の男が扉を閉ざすと、レバーを第一層に合わせて動かす。

 ギィー、ガコン。

 機械めいた音を立てて、詰所がガタガタと揺れる。外から揺らされている訳ではなく、レバーが倒された位置に詰所が移動しているのだ。

 この詰所は上手く擬装された昇降機エレベーターであり、この白い壁の周辺におよそ三〇機ほど点在している。地上に出る為の唯一の手段と言えようか。


「…………臭うぞ」

「あん?」

「血の臭いだ」


 ユフィーリアに背中を向けていた中年の男が、吐き捨てるように呟く。


「当たり前だろ、今までどこにいたと思ってんだ」

「女なのだから、身嗜みだしなみに気を使ったらどうだ」

「お生憎様、中身は男のままなんで気にしませーん。それより嗅ぐんじゃねえよ、気持ち悪いな。息を止めてろおっさん」


 嫌味に対して数倍の罵倒で返したユフィーリアは、ほんの少しだけ唐突に呼び戻されたことに対する苛立ちが紛れたような気がした。

 中年の男からは、舌打ちしか返ってこなかった。これ以上の言い合いは、相手も避けたいのだろう。ユフィーリアもそこまで口が達者な訳ではないので、大人しく黙っておくことにする。


(ッたく、喧嘩を売ってくる割には腰抜けだよなァ)


 中年の背中をぼんやりと眺めながら、ユフィーリアはそんなどうでもいいことを考えていた。

 相手からすれば、天魔憑てんまつきであるユフィーリアは天魔と同等に警戒するべき存在だ。元々人間とはいえ、現在は人間の輪から外れてしまった怪物もどきである。もどきと呼ばれているのは、人間でも完全な天魔でもないどっちつかずで中途半端な存在だからだ。

 天魔と契約をしたことによって、ユフィーリアは年齢を重ねなくなった。永遠にこの若々しい姿のまま生きることができるが、普通に傷つくし死に至るほどの怪我をすることだってある。完璧な天魔であれば体の頑丈さは尋常ではなく、しかしユフィーリアたち天魔憑てんまつきにはその機能は有していない為に『怪物もどき』と呼ばれるのだ。

 退屈そうに欠伸をしたユフィーリアだったが、ガクンと詰所の動きが止まったことに「ようやくか」と漏らした。


「ほら、さっさと出て行け」

「おうよ、言われなくても出て行ってやるさ」


 最後まで嫌味ったらしい中年の男に毒を吐き、ユフィーリアは動きが止まった箱から外に出る。

 静謐せいひつに満たされた静かな地上とは打って変わって、地下の世界はとても賑やかだった。

 猥雑わいざつとした街並みが広がり、狭い集合住宅アパートにいくつもの店が集まっている。蜘蛛くもの巣のように張り巡らされた道には通行人がひしめき、その間を縫うようにして子供たちが元気に走り抜けていく。

 ――【閉ざされた理想郷クローディア】。

 地上を追われる身となった人類が、およそ一〇〇年の月日をかけて築いた、全部で三つの階層から構成される大規模な地下都市である。

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