第4話【出撃命令は唐突に】

「どうしてこうなった」

「あー、空っぽ野郎エンプティと組む話? ご馳走様」

「それを言うならご愁傷様だろうがよ。なにに対するご馳走様だ?」


 対面に座る少年を睨みつけて、ユフィーリアは吐き捨てる。

 毬栗いがぐりを想起させる赤茶色の髪に琥珀色の双眸。幼さを残す顔立ちは実年齢よりも若く見え、彼自身はその部分を気にしている節さえあった。

 作業着のような黒いつなぎを着て、爆薬を襷掛たすきがけするという頭のおかしい格好をする彼もまた、立派な天魔憑てんまつきの一人で奪還軍に所属する同胞でもある。

 彼の名はハーゲン・バルター。ユフィーリアと仲のいい天魔憑てんまつきの一人で、爆破されても即座に生き返ることができるという異能力を持った少年だ。その説明さえあれば、この頭のおかしな格好にも納得できる。


「でもいいじゃないのぉ。命令すればなんでもやってくれるんだから、便利な手足として使い倒しちゃえばさぁ」

「常識を説いてくる手足のどこが便利だ? ちょっと教えてくれよ、エド」


 ぷはー、と酒杯グラスに並々と注がれた麦酒ビールを飲み干した強面の巨漢に、ユフィーリアは破落戸ゴロツキのような態度で返す。

 灰色の短髪に刃を思わせる銀灰色ぎんかいしょくの双眸、顔立ちは「人間を殺すのが仕事です」と言われても納得できてしまうほど恐ろしい。しかし喋り口調は草臥くたびれた中年のようであり、どこかちぐはぐな印象がある。

 威圧感がある筋骨隆々とした肉体を迷彩柄の野戦服に押し込み、しかし胸筋の部分は窮屈なのか解放した状態にある格好をした彼も、殺し屋ではなく地上を奪還する為に尽力している天魔憑てんまつきだ。

 彼はエドワード・ヴォルスラム。ユフィーリア、ハーゲンと仲のいい天魔憑てんまつきであり、気のいいおっさんだ。


「まあでも、実際のところよく分かんねえよな。アイツがなに考えてるのか全く見当もつかない」

「ハーゲンは馬鹿だから見当がつかないだけでしょぉ」

「なんだとぅ!? オレ馬鹿じゃねえし、頭いいし!!」

「一個の林檎リンゴと一個の林檎リンゴ、合わせてお前は何個持ってる?」

「答えは〇個だ!! だって全部食っちまうからな!!」


 わははは、と自信満々に笑い飛ばすハーゲンへ、ユフィーリアとエドワードは哀れみの視線をくれる。こいつ足し算もできないのか。


「まあ、確かになにを考えてるのかよく分からないのは事実だねぇ」

「ああ、そうだな」


 ハーゲンの言葉に改めて理解を示したユフィーリアとエドワードは、ゆっくりと大衆食堂ダイナーの片隅へ視線をやる。

 影になるような席を一人で陣取っているのは、ユフィーリアと組むことになってしまった少年――ショウだ。彼は現在、テーブルからはみ出すほどに大きなオムライスを黙々と掻き込んでいる。

 あの細い体の一体どこに収納されるのか、ユフィーリアは恐ろしく感じた。自分の話は一切しない少年だし、ユフィーリアもまた彼自身の個人情報など興味ない。


「……あれ食って、鼻から噴かねえよな?」

「ユーリ、気持ち悪いこと言わないでよぉ。美少年がそんなことする訳ないでしょぉ」

「確かにツラだけはいいんだよな。中身は問題だけど」


 エドワードの言葉に、ユフィーリアはしっかりと頷いた。

 少女めいた顔立ちは世の男性を虜にするほど耽美たんびなもので、ユフィーリアも初めて見た時は「あ、タイプだ」なんて思ったほどだ。だが中身は驚くほど空虚であり、冗談すらも通じない。ついたあだ名が『空っぽ野郎エンプティ』である。

 せめてもう少しだけ愛想があれば、と考えたものだが、あの少年はニコリとも微笑まないのだ。どこまでも無表情。逆に怖い。


「はーあ、どうせ上手くいかねえよ。世の中大抵そうなんだよ」


 ぶつくさと文句を垂れながら、ユフィーリアは外套の内側から煙草の箱を取り出す。

 手のひらに収まる程度の小さな箱は、全体が黒一色で塗り潰されている。銘柄すらも書かれていない箱の中から黒い煙草を一本取り出したユフィーリアは、その先端を口にくわえて、


「コラ」

「イッテェ」


 バコ、と後頭部に銀盆が叩きつけられた。

 見上げれば、そこにはエドワードにも負けずとも劣らない強面の料理長が鬼のような形相で立っていた。外に出れば間違いなく天魔と間違えられそうな予感さえあるが、彼は歴とした人間である。残念ながら天魔憑てんまつきではないのだ。

 その料理長はユフィーリアの唇から煙草をもぎ取ると、


「この煙草は吸っちゃダメよ」

「ええー、なんでよ。贔屓じゃねえか」


 大衆食堂が禁煙になったという話など、ついぞ聞いたことがない。その証拠に、他のテーブルでは娯楽品である煙草を吹かす同僚たちがちらほらと見受けられる。ユフィーリアにだけ禁煙を言い渡すのは差別ではないだろうか。

 常識的に考えればそうだが、料理長の「ダメよ!!」という物騒な女口調で突っぱねられる。


「アナタの煙草は毒草をブレンドしてるんでしょう!? こんな狭い店内で吸ったら、みーんな中毒死しちゃうわよ!!」

「あ、忘れてたわ」


 空っぽ野郎と組むことに対する苛立ちですっかり忘れていたが、ユフィーリアが吸っている煙草は娯楽品のそれとは違っている。

 なんと、彼女の吸っている煙草には毒草が混じっているのだ。これは天魔が吐き出す毒に耐性をつける為だとされているが、そんなものを吸えば間違いなく中毒死してしまう。吐き出す副流煙にも毒が含まれているので、被害は甚大なものになるだろう。

 そのことをすっかり忘れていたユフィーリアは、渋々と席から立ち上がる。それから強面の料理長に「中庭に行く」とだけ伝えると、大衆食堂の裏手に向かった。

 店内の奥に設置されたスイングドアを潜り抜け、少し歩けば四方を建物に囲まれた殺風景な空間が広がっている。置き去りにされた鉄製のベンチと申し訳程度に置かれた水道だけの、ひどく殺伐とした空間だ。


「いやー、これ庭じゃねえだろ」


 黒い煙草をくわえ直したユフィーリアは、その先端にマッチで火を灯す。鉄製のベンチにどっかりと腰かけて、彼女は空を塞ぐ天蓋てんがいを見上げて紫煙を吐き出した。

 殺風景な空間は庭と呼ぶに値せず、だが仲間内ではすでに『中庭』という呼び方に定着してしまっていた。ユフィーリアも訂正するつもりはなく、こうして殺風景な中庭で喫煙している。

 すると、


「ユフィーリア・エイクトベル」

「うおぉッ!? 驚かせんなお前!!」

「驚かせたつもりは毛頭ないが、驚かせてしまったのであれば謝罪する」


 ひょっこりと中庭に顔を覗かせた少年――ショウ・アズマがユフィーリアのすぐ側まで近寄ってきていた。

 副流煙にも毒が含まれる危険な代物を平気な顔で吸っているユフィーリアに、何故彼はなにも疑問を抱くことなく近寄れるのだろうか。せめて彼に毒の煙が届かないように、とユフィーリアはショウから顔を背ける。


「何故こちらを見ない?」

「お前……俺が今なにを吸ってるのか見えてねえのか?」


 ショウの赤い瞳が不思議そうに瞬いた。

 事情を知らなければ、ただ煙草を吸っているようにも見えるだろう。だが煙草に毒が含まれていると説明すれば、クソ真面目な彼がなんと説教してくるか分かったものではない。ショウに対する説明が面倒で、ユフィーリアはまだそこそこ長い煙草を足元に捨てて、くすぶる小さな火を踏み消した。


「そうやってゴミを捨てるのはよくないが」

「うるせえな、真面目ちゃんが。見逃せよ」

「それは命令か?」

「ああ命令だ」

「了解した。ならば見なかったことにする」


 ほら、これだ。命令さえあれば、彼はどうでもいいらしい。

 舌打ちしそうになるのを堪えたユフィーリアは、


「お前はいいのかよ。俺と組むの」

「イーストエンド司令官の命令であれば従うまでだ。俺は誰と組むことになっても、意見はない」

「そうかよ」

「貴様は嫌なのか? 先程、イーストエンド司令官に対してあれだけ意見していたが」

「嫌だな」


 即答した。

 ユフィーリアはすぐ側に直立するショウを一瞥し、


「俺がほしいのはお人形じゃなくて『相棒』だ。お前みたいなクソ真面目な奴なんかと、誰が一緒に組むかよ」


 決定事項なので覆りはしないが、それでも対人関係すら命令の意味で捉えてしまう少年などとは誰が組みたいと思うだろうか。

 ユフィーリアの辛辣な意見に、ショウは「……そうか」と短く応じた。少し言いすぎただろうかと視線だけ彼へ投げるが、ショウの表情は一切変わっていない。眉毛すら変化していない。

 その時、


「ユフィーリア、ショウ君!! 大変だ!!」


 グローリアの切羽詰まった声に、ユフィーリアは「あん?」と返す。

 中庭に飛び込んできた彼は、なにやら慌てたような口振りで、


「北戦線に天魔の大群が押し寄せてきているんだ。急いで向かって!!」

「えー、めんどくせえな。そんなの他の奴にぐげぇッ!?」


 唐突にショウが襟首を引っ掴んできて、ユフィーリアの呼吸が阻害される。何事だと彼を見やると、ショウは問答無用でユフィーリアの襟首を掴んだまま引きずり始めた。


「出撃命令だ、行くぞ」

「ちょ、ま、待って待って首が絞まってる首がーッ!!」


 やっぱりこいつとは合わない気がする。

 ショウに引きずられながら、ユフィーリアは確信するのだった。

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