クエスト23:真なる闇で光を穿て


「おお……神よ……神よ……!」

「目を覚ませ、この馬鹿!」

「ぶふぉあ!?」


 静かだったと思えば、地上の人々と同じように、滂沱の涙を流しながら祈り始めた幼馴染を、俺はとりあえず全力で張り倒す。


「お前なにをまた洗脳されかかってるんだよ、しっかりしろ! アレは神様なんかじゃない! 万が一神だとしても邪神の類だからな!?」

「あ、ああ。わかってる。……今、呑まれかけてそれを確信したよ」


 どうやら闇の邪神のときとは逆に、ソウラが一番光の邪神の狂気に当てられてしまったらしい。

 顔を上げたソウラは憔悴し切った表情で、半ば独り言のように呟く。


「アレは、ただの偶像だ。信仰心がない人でも、救いを欲したときに漠然と思い浮かべる『神様』の形。でも、アレは見かけだけで中身がない。『力』があっても『心』がない。人々を救うという思想を命令として組み込まれていても、人々が必要とする救いがなにか、それを理解する機能が欠落しているんだ」


 そんなの、心が漂白した聖騎士となんら変わらないじゃないか。

 それがあんな、闇の邪神に比肩する、自然災害じみたエネルギーを持って?

 ――マズイ。それはとてもマズイことだ。


「駄目だ、アレは駄目だ。感情を、心を持たないただの偶像があんな、神様のような力を持っているなんて。あまりにも危険すぎる。アレはヒトをヒトでなくしてしまう。世界を空っぽの真っ白に変えてしまう。アレは、この世に存在しちゃいけないモノだ!」

「その点については、俺たちにだってわかり切っているさ」


 この世には、どうしようもなく淀んで腐った悪意がある。

 この世には、心を置き忘れて暴走する狂った思想がある。

 この世には、それらをまとめて塵芥のごとく消し飛ばす災禍がある。


 だが。だが。だが! 

 あんな腐った悪意や狂った思想が、災禍のごとき力を持ってはいけないのだ!

 無意味に世界を汚染し破滅させるだけの暴威なんて、存在してはいけないのだ!


 アレは討ち滅ぼすべき災いだ。俺たちが打ち克つべき敵だ。

 でも――クソッタレ! 今の俺たちじゃ逃げることしかできない!


「見てください! 《ロンギヌスの塔》が……!」


 アスティが指差す先では、塔が上下の双方から崩壊を始めていた。

 まず地の封印が破られ、その影響で天の封印にも支障をきたしたんだろう。それで天の封印までが破れてしまい、塔という楔は完全に砕けてしまったのだ。


 上空から雨のように降り注ぐ巨大な瓦礫が、塔付近の建物を黒い濁流から逃れた人々ごと押し潰す。天地を支える柱のごとき威容を誇っていた塔の崩壊は、まさにこの世の終わりを告げる絶望の光景だった。


 そんな中、瓦礫の雨をくぐり抜けて、塔の上層内部から飛び出す物体が。

 その奇怪な形に、俺たちは思わず目を丸くする。


「なんだ、ありゃあ!? でっかいお盆が空飛んでやがる!?」

「円盤状の、空を飛ぶ船!?」

「《テラ》は空の向こう側に広がる星の海から、空飛ぶ船でこの星に渡って来たとは文献で読んだけどサ……アレがその、星の海を渡る船なのかヨ!?」

「おそらくは、塔の上層に隠されていた遺物なのであろうな。《聖剣教団》め、かねてより緊急時の脱出用に整備していたか。自分たちだけは助かるために……!」


 エルザの言う通り、空飛ぶ円盤の船は眼下の地獄絵図に目もくれない。側面の装甲を回転し謎の浮力を発生させながら、聖都より退避しようとしていた。


 円盤は塔の数階層分のスペースを占めるだろう巨大さで、それでも乗れる人員は教団の総数にも足るまい。しかし苦渋の選択などではなく、最初から自分たちの保身しか頭にないのは明白だ。この事態を、彼らは薄々予見していたはずなのだから。彼らは予見していながら、自分たちが助かる備えだけしか用意していなかったのだ。


 奥歯を噛んで睨みつける先、円盤に変化が起こる。

 上部から光を発したかと思うと、その光が半透明の虚像を形成。高価な遠距離通信の魔道具なんかでも使われる、立体映像というヤツだ。

 その立体映像で現れたのは、贅を尽くした法衣に身を包む三人の老人。


「大司教……!」

「アレが教団のトップかヨ。服装が既に聖職者の格好じゃないナ」

「む? わらわは宗教についてそう詳しくないが、トップといえば教皇では?」

「聖剣教団の教皇はただの傀儡で、あの三人が実質の支配者なんだよ。教皇もかつては敬虔で人望のある聖職者だったらしいが、もう見る影もない」


 今や木偶人形と化した教皇――今にして思えば、それも光の力で心を漂白されたためだろう。それが力を求めた私欲の果てか、本気で人々を救おうという信仰心が災いしたためかは定かでないが――に代わり、聖剣教団を支配する大司教たち。


 一〇年前も、五年前も、教団の威信を守るためと嘯き、聖騎士が起こした悲劇を隠蔽しなかったことにした老害どもだ。

 こいつら一体、なんのためにノコノコ出てきやがったんだ?


『聖都の民よ。我らが声に耳を傾けよ。これは教皇様の御言葉であり、引いては聖なる光の託宣である。地に伏し、天を仰ぎ、祈りを捧げて傾聴せよ』


 地上の惨状を睥睨しながら、大司教たちは厳かぶった口調で告げる。

 苦しみ死んでいく人々に対して、その目はなんの情も向けてはいなかった。


 あるのは安全圏から他人の不幸を眺めて楽しむ、粘つくような愉悦の色だけ。

 自分こそが王であり神であるかのように、三人の老害は高みでふんぞり返っていた。


『今、聖都は滅びを迎えようとしている。古の封印は破られ、邪悪なる闇が解き放たれた。しかし、天を見よ。汝ら子らを救わんと聖なる光の神はご降臨なされた。祈りを捧げよ。今こそ汝らの信仰を示せ。さすれば汝らの魂は暗黒の魔の手から救済され、光満ち溢れる世界へと導かれるであろう』


 救済? 救済だって? よくもまあ平然と嘘っぱちを並べられるものだ。

 天球は既に動き始めていた。翼から分離した金属片の羽根、その先端に光輪が生じ、地上に向けて光線を放つ。


 しかし、それは救いの光なんかじゃない。光線は、地上に蠢く闇の邪神への攻撃だった。爆発がいくつも巻き起こり、触手どもを焼き払う。――そこにいる生き残りの人々ごと。あの天球……光の邪神は、最初から人々に目もくれていないのだ。


 だというのに、人々は言われるがままに跪いて天球を拝む。どれだけ必死に祈りを捧げたところで、その想いを解する感情などアレは持ち合わせていないのに。


 そうやって犬死にしていくことの――この子だけはと抱きしめた、愛する家族ごと消し飛ばされることの、一体どこに救いがあるんだ!?


 俺が睨み上げた先、円盤が動きを見せる。

 正確には、崩壊する塔から新しく現れた影が、円盤を守護するかのごとく俺たちとの間に立ちはだかった。


「なんだ、ありゃ!? デカイ顔!?」

「どうやら、巨人の姿をした兵器……の、頭部のようですね。アレも古代文明の遺物なのでしょうか?」

「多分ナ。大方。緊急事態だったモンで、頭部を稼働させる分しかエネルギー供給が間に合わなかった、ってところだろうサ」


 彫刻めいた掘りの深い顔をした、頭上に光輪の輝く巨大な頭。

 アスティとニボシの見解を裏付けるように、首の辺りからは骨格を思わせるフレームや、血管あるいは神経のように配線が垂れ下がっていた。

 そして滞空する巨大頭部の、瞳がない真っ白な目が俺たちを捉える。


『そして……見よ、神の座する空に沸いた蛆虫を。汚らわしき黒に染まった咎人を。醜いヒトモドキ、生きていること自体が罪深い亜人どもを引き連れた背教者を。彼奴らこそ全ての元凶。教団が守護してきた聖なる封印を土足で踏み荒らし、災いを世に解き放った大罪人である。汝らに絶望と死を撒いた諸悪の根源である』


 巨大頭部の視線をなぞって、地上の人々も俺たちの存在に気づいた。

 行き場もない混乱と絶望に苛まれていた目が、矛先を得たことで昏い火を灯す。


『聖なる光に照らされし神の子らよ。その平等にして公正たる眼で、裁決を下せ。邪悪に裁きを! 闇に穢れた罪人どもを、聖なる光で滅せよ! 汝らの切実なる祈りが届いたとき、この神の分身たる《ガーディアン》が邪悪に正義の鉄槌を下すであろう!』


 大司教たちの号令に合わせ、地上が怨嗟の叫びで沸き立つ。


 声が届く距離ではない。それでも一身に降り注ぐ怨みと怒りの圧は、大気を震わし伝わってくるかのようだった。亡者のごとく目を血走らせ、俺たちの死を神に乞う人々の群れに、仲間たちも平静ではいられない。濡れ衣を着せられたのだから当然だろう。


 しかし俺は、仲間たちとはまた違った心持ちでいた。


「……あながち、連中の言っていることも全くのデタラメじゃない」

「タスク? なにを――!」

「一〇年前、フラムの父親が怒りと絶望から生んだ闇の力が、その引力で邪神を引き上げ封印に綻びを作った。エルザの調査していた、一〇年前から龍脈に起きた異常とマモノの凶暴化は、封印の綻びから邪神の力が龍脈に流れ込んだせいなんだ」


 なにも知らなかった、で済まされるような事態ではない。

 自分が招いた光景から目を背けず、俺は怨嗟の声を受け止める。


「そして今度は、俺の【真なる闇の力】が闇の邪神を引っ張り上げて、封印を完全に破らせてしまった。教団は一〇年前の一件からこうなることを恐れ、未然に防ぐため俺を抹殺しようとしたんだ」


 フラムはある程度予見していただろうが、それについて問い質すつもりもない。

 今回の機を逃せば、両親の魂を永遠に救えなかったのだ。永遠の共犯者となった今、彼女の罪は自分の罪でもある。逆もまた然り。


「だから、この事態を招いた一因という意味では、俺はその罪を否定できない。お前らまで巻き添えにしたのは、謝っても謝り切れない」

「そんなこと! タスク、それは違っ」

「――だがなあ」


 俺の発する怒気に、ソウラが言葉を詰まらせる。

 悪いが、罪の意識に項垂れるほど殊勝な性格を俺はしていない。

 今は、それ以上に怒りが勝っていた。


「そもそもの元凶は、一〇年前の悲劇を引き起こした畜生以下の聖騎士どもと。その事件からなにも学ばず、臭い物に蓋でもするように知らんぷりを決め込んだ、貴様らクソッタレの教団だろうが。他人に全ての責任をなすりつけて、自分は正義の味方面なんてふざけた真似がまかり通るとでも? 世の中舐め腐るのものも大概にしやがれよ……!」


 そうとも。俺よりも誰よりも一番に罪を問われるべきなのかは、ヘンテコな飛行物体でとんずらしようとしている、あそこのクソどもだ。

 なのに、なんでそのクソどもを差し置いて俺が悪者扱いされなくちゃならない?

 ムカつく。反吐が出る。全く持って腹立たしい!


 だが、それさえも今は些事だ。

 俺が赦せないことはもっと別にある。


「なにより、なにより、なによりも! お前らを、俺の大切で大事な連中のことを、あのクソどもはなんて言いやがった! 醜いヒトモドキだと!? 生きていること自体が罪深いだと!? よくも! ヨクモヨクモヨクモ! よくも俺の仲間を侮辱したな!」


 俺の罪も責任も知ったことか。

 まず教団を潰す。あいつらをぶち殺す。あのクソどもに、生命が味わい得る最大限以上の苦痛で報いを与えてやる!


 俺の罪にいつか裁きが下るとしても、ヤツらを断罪する方が先だ。

 ましてや、俺を裁くのは断じてヤツらじゃない!


 剣に黒雷を走らせ、俺は円盤の方へと進み出る。

 ――と、当たり前のように後ろから続く足音。


「ニッニッニ。そりゃあ、そうサ。これだけ上等かまされて、黙っていられるタスクじゃないよナ? そんでもって一番怒ってる理由が、ナア?」

「ええ、実にあなたらしいと思います」


 呆れるような、それでいてどこかくすぐったそうな笑み。

 ニボシとアスティが俺の両隣に寄り添い、そこにエルザも背中から抱きついてくる。


「怒ってるのは、なにもタスクだけじゃないんだゼ?」

「あなた一人に戦わせはしません。私たちも、力と怒りを共に」

「うむ! そなたを散々侮辱した愚か者どもに、目に物見せてやろうではないか!」

「全く、付き合いのいい物好きばっかなんだから」


 そういう自分はいて当然という顔で、俺の正面に陣取り背中を預けてくるフラム。


 地下で一晩過ごしたときのように四方からくっつかれるが、伝わってくるのはなにも柔らかさと温かさだけではない。

 怒りだ。フラムたちの怒りが体を伝い、俺の闇黒に力を注いでいる。


 ギレスに踏みつけられた者たちの怒りを吸収したときは、彼らの苦しみや痛みに心を蝕まれる感覚があった。でも、フラムたちの怒りは酷く温かく感じる、それはきっと……この怒りの源泉に、俺を想ってくれる気持ちがあるから。


 それが嬉しくて、だからこそ彼女たちを貶めた教団が余計に赦せない。

 この正しき怒りが、曇りなき漆黒へと俺の闇を研ぎ澄ますのだ。


「俺の分も頼むわ。思い切りぶちかましてやんな!」


 俺を包囲する女性陣の間を縫うようにして、ガリウスが俺の肩に手を置く。

 力強い手。伝わる怒り。その源泉たる好意の種類に違いはあるが、背中を支えてもらう頼もしさに変わりはない。

 そしてガリウスと反対側から、ソウラが近づいてきた。


「タスク……。僕は、やはり君の戦い方を認められそうにない。今、僕自身の中にも湧き上がってくるこの感情は、拠り所とするにはあまりに危うい。こんなモノを武器として戦い続けていたら、きっと君はいつか破滅する」


 フラムたちが眉をひそめたのを、俺は目で制する。


 ソウラは正しい。感情に呼応し感情を肥大化させる闇の力は、とても危うい武器だ。ヒトが欲に流されやすい生き物であることを鑑みれば、それを忌避し光の力を選ぶのも正しい選択かもしれない。


 それでも。悩んで苦しんでもがきながら、ときに邪な欲望や感情に苛まれながら。その弱さも醜さも糧にして、希望にたどり着こうとする闇色の強さだってあるのだ。


 そして、欲や想いを切り捨てる光の力が、絶対の正義なんてことは決してない。

 そのことは、もうソウラも十二分に思い知っている。


「僕と君の道は相容れない――でも。でも、今の僕はどうしようもなく無力で……自分の命すら満足に守れない有様でっ。この窮地を乗り越えるのに、タスクの強さを頼ることしかできない! だからせめて、今だけはどうか、僕の怒りも託されてくれ!」

「ああ、任せろ」


 両肩に置かれた手と、四方に寄り添う温もりに支えられ、俺は敵を見据える。


 巨大頭部、改め《ガーディアン》も既に攻撃態勢だ。光輪に光が集束していく。

 どうやらギレスのときと同様、祈りを捧げる人々からエネルギーを吸い上げているらしい。しかしギレスの天鎧とは比較にならない規模の熱量だ。


 立体映像をガーディアンに重ね、大司教が傲慢な顔で俺たちを見下ろす。


「神様気取りでヒトを見下しやがって。俺たちは――怒るぞ」


 天高く黒剣を掲げる。

 切っ先から解き放たれたのは雷でなく、膨大なる闇黒粒子の奔流。俺たちに呼応して増大を続ける闇の力が、ダイレクトに具現化したエネルギーだ。


 それもただの黒ではない。束ねた意志を象徴するように無数の輝きを内包した漆黒は、まるで星の海たる銀河のごとく。


 これこそ【闇属性魔法】の第七階梯アーツ。俺が【真なる闇の力】に覚醒して獲得した異能の中でも現在、最大級の規模と威力を誇る技。


『汚らわしい異端者どもめ、裁きの光を受けるがいい……!』

「【この輝きは】【星を抱くソラの闇黒】!」

「【煌黒銀河ダークネス=ギャラクシア】――ッ!」


 光と闇が撃ち放たれ、激突する。


 瞬間、空が白と黒のモノトーンで真っ二つに割れた。遅れて爆撃じみた音と衝撃波が幾重にも広がり、天地を震わす。神話の一場面めいた光景に、人々は目前に迫る死と邪神の存在さえ忘れて見入った。


 光と闇は一時拮抗するが、それも長くは続かない。


『消えよ! 最後に勝つのは光! 聖なる正義の光でなくてはならぬのだ!』

「負けるかよ。貴様らがどれだけ大勢の数を盾にしようが……。どれだけ巨大な力を振りかざそうが……。俺たちは絶対に屈さない。諦めない。絶望なんかしてやらない。どんな理不尽が俺たちを押し潰そうとしたって、何度でも打ち破ってやる!」


 せめぎ合う力の天秤は一方に傾き、境界線が片側へと押し込まれていく。

 眩き漆黒が、虚無の白を押し上げていく。


「この怒り、この叫びこそ、真なる闇黒だああああ――!」


 俺と仲間たちの咆哮が轟き、闇黒の奔流は一際激しい輝きで迸る。

 闇が光を貫いて、空に黒の軌跡を刻んだ。





 後に、聖都の外で災厄から逃れ、光と闇の激突を目撃した、ある冒険者は語る。


『あの闇がおぞましき邪神のモノだとは、何度記憶を振り返っても思えない。

 それほどに光を穿つ漆黒の流星は美しく、眩いほどの輝きすら放って見えて。

 まさに聖なる光をも凌駕する、真なる闇黒であった』――と。


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