第9話 ネコと涙

「うぅ……ひっ、く……」


 ティアはいつも通り家で一人だった。

 貴紀のバイトは休みで、大学での講義を終えればすぐに帰宅する予定だった。

 そんな中、やはりティアは暇を持て余すのであるが、貴紀は対策を怠る事はない。数日前に襲われてからというもの、同じ過ちを繰り返すようなヘマはしていない。


「ぐずっ……ずぅ、ずずぅぅ……」


 だからティアが啜り泣くのは、決して寂しいとか退屈でメソメソしている訳ではない。


「は……ハチぃ、良かったのぉ……」


 そんなティアの最近のマイブーム。それはレンタルビデオの視聴である。

 そして今見ているのは、実話を元に作られ、日本中を感動の渦で覆った名作中の名作。日本人なら、例え映画を見ていなくとも大筋の話は知っているほどに有名な『忠犬ハチ公』の物語である。


「ハチぃぃ……。うわぁぁぁ……」


 全世界に感動をもたらした名作は、ネコの心すら虜にしたのだった。


「ごしゅ……ご主人、かえっ……帰って来ないのぉぉぉぉ……」


 ラストシーンまで全てを視聴したティアは、涙を拭いながら余韻に浸っていた。


「にゃあ……ハチは、すっごく可哀想なワンコなんだぁ……」


 飼い主を待ち続けるなんて、まるで今の自分のようで──。


「あ……ぅぇ?」


 貴紀に拾われてからというもの、自宅で主人の帰りを待つことを、日常的に強制されているティアは……。


(ご主人はちゃんと、帰って来てる……。でもぉ……もし、ご主人が──)


 出掛けた先で事故に遭ってしまったら?

 そして二度と家の玄関を開けなかったら?


「ぁぅ……いゃ、ごしゅ……ずぃんが?」


 昨日はよくても今日は?

 もし帰って来なかったら……と、ふとそんな風に考えてしまう。


「い、や……いやぁぁ、ごしゅ……ご主人は、ダメだおぉ……」


 特に今日は、昼頃には帰ると言っていたのだが、その割には帰りが遅い。


「ご、しゅ……じんぅ……」


 ◆◇◆◇◆


「ただい……」

「ごしゅじんぅぅぅぅっっ!!」

「え゛っ、またか!?」


 予定より少し遅れて、ようやく自宅へ帰った貴紀を迎えたのは、顔をぐちゃぐちゃにして子供のように泣き噦るティアだった。

 帰って早々、状況が飲み込めない事態に陥り慌てるしかない貴紀は、取り敢えずティアの背中を優しく摩る。上着は涙や鼻水で濡れているが、構わず抱き締める。


「どうしたどうした? よしよし、ほーら落ち着いてな?」

「ひぐっ……ぅぅ、ご、主人は……」

「うん?」

「ごしゅ……ご、しゅじん……。ぅ、うぅぅぅぅ……」


 原因が全く分からない貴紀は、それでも落ち着くのを静かに待つ。

 やがて、ようやく安心したように落ち着いたティアは、泣き疲れて眠ってしまう。


「よしよし。まったく……体は成長しても、心は子供だな。うーん、それにしても……」


 結局、原因を聞く前に眠ってしまった。

 貴紀はそっとティアを抱え上げ、そのまま居間へと連れて行く。


「ん? あぁ……そういう……」


 ティアをベッドの上にゆっくりと下ろし、床に転がったDVDケースを拾い上げる。


「全くもう……。テレビもビデオも点けっぱなしにしてまぁ……」


 貴紀は電源を消すと、ティアの横に座ってその頭を優しく撫でる。


「ごしゅ……じんぅぅ……」

「お騒がせなネコだよ、ほんと……。次の休みは、渋谷駅前まで行こうな」


 安心しきったように眠るティアへ、そっと語り掛ける貴紀であった。

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