第35話 心の在処 ②

 正午を回ったお昼時、蓮水市の町並みは一ヶ月前と何も変わっていなかった。

 駅のホームを抜けた僕は太陽の日差しをモロに受けながら、見慣れた商店街を抜け自分の家へと帰りつく。呼び鈴を鳴らすべきかどうか迷ったが、指が触れる前に玄関の戸は引き、お母さんと対面した。



「うわっ! は、肇っ!? どうしたのよっ!」


「はは……久しぶり、お母さん……」



 まさか人がいるとは思ってもみなかったのだろう。お母さんの驚きようは表情から伝わってきた。一ヶ月ぶりに見たお母さんの姿はあまり変わっていない、強いて言えば髪が少し長くなっていたぐらいである。


「まったく、帰ってくるなら一言先に言いなさいよ。あー、びっくりしたぁ」


「ごめん……」


「……自分が男の子だって、あのアイドルの子に知られちゃったんでしょ?」


「ど、どうしてそのことをっ!?」



 唐突に僕の心中を見抜いた一言に、僕は目を見開く。まだ、お母さんには伝えていなかった筈なのだ。一体どこでその情報を知ったのか問いただすと「マネージャーの秦泉寺さんから連絡があった」と答えられて納得した。

 その後、どう切り出してよいものかと思案する僕は「まぁ、話は中で聞くから上がりなさい」とお母さんに言われ靴を脱いで家に上がった。

 リビングのテーブルに対面するように座り、僕はひとまず当初の目的であるチケットを差し出す。



「これは?」


「フェスのチケット。僕と枢木夏向が組んでいるユニットが出場するんだ」


「ふーん。それは、すごいこと……なのよね?」



 やはりお母さんは、アイドルのことについて疎いようだ。この分じゃあ、おそらくフェスがなんなのかも把握できていないな。

 そんな懸念を抱きつつ、僕は改めて自分の正体が夏向に知られた経緯をお母さんに話す。表情一つ変えることなく、お母さんは話が終わるまで静かに聞いていた。



「……概ね、マネージャーさんから伺っていたいた通りのようね。それで肇は、アイドルになったこと後悔しているの?」


「……わからない。でも、少なくとも僕がアイドルになりたいなんて言わなければこんなことにはなっていなかったと思ってる……」



 全てが後の祭りとはいえ、秦泉寺さんの頼みを僕が断っていれば……そう思わずにはいられなかった。アイドルになって夏向と一緒に過ごした時間は、僕にとってかけがえのないものだ。おかげで夏向が抱えていた悩みを知ることができたし、自分の正体が知られる瞬間までは彼女の支えになれたと思っている。

 だから、この記憶の全てを無かったことになんてしたくなかった。



「肇、あなたがその夏向って子と一緒にいてどんなことがあったのか、お母さんに教えてくれる?」


「どんなことって……仕事の話とか?」


「それもあるけど、あの子と一緒にいられて経験したこと全部よ」



 僕はお母さんに、夏向と共に活動した事を思い出して話した。

 ユニットとしてのデビュー曲を聞いて感動したこと。

 ダンスのレッスンで一緒に汗を流したこと。

 東京から千葉まで二時間で行ったこと。

 女の子物の水着を着て、一緒に写真を撮影したこと。

 


「……アイドルって大変な仕事なのね。そんな仕事を笑顔で続けられるなんて、枢木夏向って女の子は本当に素敵な子だわ……」


「うん! 夏向は、二十一世紀に舞い降りた天使の生まれ変わりだからね!」



 ついに、お母さんが枢木夏向の事を理解してくれた。

 そのことがきっかけとなり、僕の沈みきった心も弾む。



「でも、さすが琴美ちゃんだわ。伊達に何年も肇と一緒に過ごしていないわね」


「感心してないで、どうすればいいのか一緒に考えてよぉ~」


「どうもこうも、バレちゃったものはしょうがないじゃない。覆水盆に返らずよ」



 確かにそうなのだが、それではダメなのだ!



「夏向、あれから一度も事務所に顔を出してなくて……このままじゃフェスに参加できないだけじゃなく、アイドルとしての活動もできなくなっちゃうんだよ……」


「たしかにショックが大きい分、心を癒すのに時間を要するかもしれないわね」


「でも、フェスは来週なんだよ! 時間が限られてる!」


「……難しいところね。女の子に限らず、心の傷は繊細で無理矢理治そうとすればするほど傷が開いてしまうかもしれないわ」


「お母さん、僕になにかできることはないの?」


「どうかしら……でも、傷を負わせた張本人が出しゃばるのは間違いなく逆効果だと思うわね。夏向って子の方から歩み寄って来るまで、肇は動いちゃダメよ」



 秦泉寺さんにも同じことを言われたのを思い出して、僕は再び自分の無能さを噛み締めた。



「傷つけてしまった子のために何かしようと思うのは間違いじゃないわ。どうやって謝ればその子から本心を聞けるのか、考えておくといいかもしれないわね」


「……わかった。でも謝るっていっても、どう謝ればいいんだろう……」


「それについては、同じ女の子に意見を求めるのも悪くないんじゃない?」


「同じ女の子?」



 お母さんはチケットを僕に突きつけ、「このチケットは、相談に乗ってもらう女の子に渡してあげなさい」と言って、リビングを出ていった――。

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