第34話 心の在処 ①

 僕の正体が夏向にバレてから、はやくも一週間が経過。

 あの日、秦泉寺さんが夏向の家に行った事で彼女の安否は確認できた。しかし今の夏向が心に負った傷は深く、とてもアイドルとして仕事をこなせる状態じゃないということで休養を余儀無くしている。僕の謝罪と今後の活動については、彼女の心の整理がついてからという運びになった。



『――夏向からの連絡は、まだ来ないわ』


「そうですか……」



 携帯電話から聞こえる秦泉寺さんの声は、いつになく沈んでいた。

 結局僕はあの日を境に、自宅謹慎の鬱屈した日々を過ごしている。

 一言、彼女に謝らせて欲しかった。ずっと騙し続けていたことを面と向かって頭を下げたいが、夏向から返事がない以上、それすら僕にさせてくれない程に怒っているのだろう。時間が解決してくれるとは、とてもじゃないが思えなかった。



『このままじゃ、フェスの出場を辞退する方向で考えなきゃいけないわね……』


「それだけは待ってください! 夏向は絶対、ファンを裏切るようなことはしない筈です。たとえパートナーが僕の様な酷い人間でも、必ず来てくれます!」



 秦泉寺さんの提案に反対して、僕は夏向を擁護した。だが口ではそういったものの、夏向がフェスまでに来る確証はどこにもないのも事実。全ては僕の願望に過ぎないが、一ファンとして彼女が来てくれると信じたかった。



『……わったわ。あなたが夏向を信じるように、私もあの子を信じます。夏向がいつ戻って来てもいいように、新曲の振り付け練習だけはしておきなさい。それと、私の仕事が片付いたらそっちへ伺うわ。蕗村さんに渡したいものがあるの』


「はい、わかりました」


「それじゃあ、また後で」



 そこで、携帯電話による会話は終了した。

 僕は秦泉寺さんの言われた通りダンスの練習を繰り返し、夏向が戻ってきてくれると信じて動き続けた。夏向との仕事が無い以上、僕ができることはそれだけだ。


  

 秦泉寺さんとの電話が終わってから、僕はずっとダンスの練習に没頭していた。 気がつけば一番星の輝く夕刻、呼び鈴の音に気付かされて我に返る。インターフォンを鳴らしたのは、仕事を終えた秦泉寺さんだった。



「咲、あなた少しやつれたんじゃない? ちゃんとご飯食べてるの?」



 それは、寮の部屋に上がった秦泉寺さんによる第一声だった。

 ご飯はちゃんと食べている、しかし出された食事を残さず完食しているのかと問われれば首を縦には振れなかった。


 規則正しい食生活をおくり、スタイル維持を務めるのもアイドルの仕事だと言われているのに……僕はそんな基本的なことまで忘れてしまっていた。

 秦泉寺さんに言われて気づかされる。ろくな食事量も摂らず無心で体を動かし続けている僕は、その内本当に倒れてしまうだろう。



「……それより秦泉寺さん、僕に渡したいものって?」


「あぁ、そうだったわね。これを、あなたに渡しておきたかったの」


「……これはフェスのチケット、ですか?」



 秦泉寺さんがポケットから取り出したのは、全国発売されてたったの五分で完売した事で知られるフェスのチケットだった。



「都合上、一枚だけしか手に入れられなかったんだけど……これをお母様に渡して欲しいの。あなたの晴れ舞台なんだし、観に来てもらうのもいいかなって思って」


「あ、ありがとうございます」



 来てくれるのかは微妙だが、僕は秦泉寺さんからチケットを受け取った。



「実は明日から事務所も盆休みに入るの。アイドルの子達はみんな実家に帰省するみたいだし、蕗村さんも静岡の空気に触れてリフレッシュしてきてはどうかしら」


「盆休み、ですか……」


「ええ。夏向のことでもし何か進展があったら、ちゃんと報告するから安心して」


「わかりました……」



 秦泉寺さんを見送った僕は、静岡へ帰る準備に取り掛かる。こんな形で帰郷することになるとは、思っても見なかった――。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る