リーンカーネイション

綾部 響

どうか……来世は……

 俺の人生は、決して恵まれたものじゃあなかった。

 それでも生きる為に必死で、それが俺の望んだものなのかどうかを考える時間すら持てなかった。

 いや……持たなかったのか。

 敢えてその事に目を背け、ただ日々を過ごす……生きると言う事を熟す事で思案しようとしなかったんだ。

 

 充足感も無く、ただ虚無を感じる寂しい日々。

 それが俺の……俺の人生の全てだった。


 他の「道」など無かった。

 選べなかった……いや、選ばなかった。

 今考えれば、俺の歩む事の出来る「道」はもっとたくさんあった筈だ。

 それでも違う方向へ向かわなかったのはそう出来なかったと言う事もあり、そうしなかったと言う事もある。

 

 自分の生活を一変させるには、それは多くのエネルギーを必要とする。

 昔はそれだけのバイタリティを持っていたのだが、次第にそんな気力も霧散し消え失せ、いつしかその道、その世界が全てだと……それしかないと思い込み……更に自分を追い込んでいったんだ。


 そして……いつも後悔していた。


 厄介なのは、その後悔が「些細な」ものでしか無かった事だ。

 後悔したからと言って、自身の生活が一変する訳じゃあない。

 だから、その後悔もほんの一瞬……僅かなものだ。

 勿論、そこで感じた事が後々大きなとなって心に引っ掛かるなんて思いもよらなかったんだけどな。


 兎に角、事ここに至って……最期の刻を前にして、結局は後悔……未練となって俺の心に蟠っていた。

 

 もっとも、それを今更言ってもどうしようもない。

 体は動かない……今後も動かす事は出来ないだろう。

 それどころか、俺の命の炎はもうそう長くない内に消え失せてしまうのだ。

 

 俺って奴は……いや、人間って奴は、どうにもならなくなってからあれこれ考えては、只管に未練がましく思う生物なんだと……柄にもなくそんな事を考えていた。


 ああ……でも、もうそんな事が出来るのも……終わりが来たようだ。


 結局……何をどう考え、どの様な結論に至り、どれ程素晴らしい最適解を導こうとも……。


 どれだけ賢人聖人となろうとも……全てが遅い……後の祭りなのだ。


 もう……時間がない。


 もう……終わりが来たのだ。


 ああ……せめて……次の機会を得る事が出来るならば……。


 どうか……どうか来世は……素晴らしく豊かでありますように……。





「ほわぁ―――っ! ほぎゃ―――っ!」


「お母さん、頑張りましたね! 生まれましたよっ! 元気な男の子ですよっ!」


「まぁまぁ、元気で大きくて……珠のように可愛いお子さんですよ!」


「あ……ありがとうございます……」


「さぁさぁ、お母さんに抱っこして貰いましょうねぇ」


「あらまぁ、この子、お母さんに抱かれたら、すぐに眠っちゃって……よっぽど寝心地が良かったのかしら?」


「生まれたばっかりでも、やっぱりお母さんの傍がいいのねぇ」


「ふ……ふふふ。ありがとうございます……。ああ、なんて可愛らしいのかしら……私の子供……」


「さぁ、お母さん。あなたも疲れているのですから、ゆっくり休んで下さいね」


「はい……ありがとうございます」


「この子も、保育室で休ませますね。後で改めて、お子さんとの面会時間を作りますので」


「はい、宜しくお願い致します……。ああ……どうか神様……この子の人生が、美しく光り輝いたものでありますように……」

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