最高の目覚めは、最高の睡眠から。

美澄 そら

最高の目覚めは、最高の睡眠から。

 『最高の目覚めは、最高の睡眠から』

 ・夜十一時から翌朝七時まで、お客様のお休みをサポートさせて頂きます。

 ・料金は七万円から。延長の際には一時間八千円を頂戴いたします。

 ・時間内は、お客様のご要望に可能・・な範囲でお応えさせて頂きます。

 ・キャストへの強要はお止めください。なお、性的なサービスは行っていません。


 ホームページの規約を読み返しながら、サキは親指の爪を噛んだ。

 自ら頼んだこととはいえ、不安でいっぱいになってしまっている。

 いっそ、断ってしまおうか。そんな風に考えては、スマホに伸びた手を押さえた。

 不安と戦うこと数十分、インターホンが鳴り響いた。

「は、はい」

 慌てて出ると、カメラに向かって丁寧にお辞儀する男が映った。

「こんばんは。添い寝サービス『夜伽よとぎ』のかがりです」

「……はい」

 もう、来てしまったのだから仕方が無い。

 サキは恐る恐るドアを開けると、「こんばんは」と男が微笑みかけた。

 篝はとても優しそうな顔立ちの男だ。少し日に焼けた健康そうな肌に、爽やかな笑顔。声は少し少年っぽさを残している。

「こんばんは」

 サキは目を合わさずに言うと、篝が小さく笑った。

「お邪魔させてもらってもよろしいですか?」

 ドアを少しだけ開ける。サキができた精一杯の肯定だった。


 一人暮らしのサキの家は、家具があまり揃っていない。

 ソファは唯一二人掛けだが、彼はソファに並んで座らずに、サキと対面する形でフローリングに正座した。座布団代わりにクッションを差し出したところ、やんわりと断られた。

「一応、サキさんとご一緒に契約の内容をもう一度確認させてください。

 当サービスは、あくまで添い寝を目的とし、性的なサービスは行っておりません。時間内でしたら、サキさんのご要望に出来るだけ沿っていけるように致しますのでお申し付けください」

「えっと……すぐ、添い寝でもいいんですか」

「構いませんよ。でも、おすすめはしません。……サキさん、顔色が悪いですよ。緊張されていますよね」

 サキの目は先ほどから右に左に泳いでいる。篝に指摘されて、萎縮してしまったらしい。華奢な肩がもっと縮んでしまった。

「過度な緊張は睡眠を妨げてしまいますので、今のまま添い寝をされてもあまり心地の良い睡眠、快適な目覚めをご提供できないかもしれません」

「そう、ですか……」

「少し、お話でもしましょうか。サキさんのこと、聞かせてもらってもいいですか?」

 サキが頷くと、篝も頷き返した。

「『夜伽』の添い寝サービスを受けようと思ったきっかけは?」

「ここ一週間、眠れなくて」

 確かに、コンシーラーで上手く隠してはいるようだが、サキの目元には薄らと隈が見える。

「……なるほど。お辛いですね」

 篝の言葉にサキはこくりと頷いた。

「昔、オーバードーズしてしまったことがあって、だからお薬にも頼りたくなくて……でも、他にどうしたらいいか、よくわからなくて」

「サキさん、大丈夫ですよ。無理に寝ようとすると、寝ようってプレッシャーがかかって余計に寝れなくなってしまうんです」

「でも……でも……」

 本当は眠いのに上手く眠れないのだろう。乾燥した唇から漏れ出る言葉は、擦れて弱々しい。

「……サキさん、少しだけストレッチしませんか」

 篝の意外な言葉に、サキは目を丸くして彼を見上げた。


 サキの部屋へ移ると、篝は持ってきたバッグから、キャンドルライトとアロマオイルと取り出した。

 キャンドルライトに明かりを点すと、部屋の電気を消して、薄暗くする。

「少しだけ、お部屋に香りを付けさせてくださいね」

 アロマオイルを炊くと、爽やかでほんのりあまい香りが広がった。

「嫌いな匂いではないですか?」

「大丈夫、です」

「よかった。それでは、下半身から解しましょうか」

 二人で、ゆっくりとスクワットをする。次は座って、胡坐をかいてから、片足ずつ手を使って足首を回し、手の指を挟みこむようにして足の指を広げる。

「痛くない程度にしてあげてくださいね」

「はい」

 上半身も、腕を真上に伸ばして息を吐きながらゆっくりと下ろす。今度は腕を真上に伸ばしたまま、右に、左にと引っ張るように動かした。体の凝り具合から久しくストレッチもしてなかったんだな、とサキは思った。

 ストレッチが終わる頃には、じんわりと体の芯が温かくなっていた。

「人間は、眠るときに体から熱を放射します。末端が温かくなって発汗して体温を下げるという体の働きがあるんです。ぬるめのお風呂とかも効果的ですよ。体少しだけ温めてあげると、体が冷めるタイミングで眠気がくると思います」

 篝の説明に耳を傾けながら、緊張が少し解れたのか、サキの表情には笑顔が見えてきた。

「では、マッサージでもしましょうか。サキさんが嫌でなければ」

「え……」

「もし気恥ずかしいようでしたら、ハンドマッサージはいかがですか」

「ハンドマッサージ?」

「そう。手なら恥ずかしくないかな、と思いまして。ボク、けっこう評判いいんですよ」

 二人は向かい合って座ると、篝が五本の小さなボトルを渡してきた。

「お好きな匂いをどうぞ」

 一つ一つ嗅いでいく。花の香りと、フルーツの香りがして、どれも選びがたい。

「……じゃあ、これで」

「ユリの香りですね」

 篝は自身の手にオイルと垂らすと、手の平でゆっくりとそれを広げていった。篝の手から、ユリの香りが一斉に花開く。

「それでは、失礼しますね」

 サキの左手を取ると、両手で丹念にオイルを塗りこんでいく。篝の手の平で温められたとろりとしたオイルが、サキの左手を優しく包んでいく。

「心地好いですか?」

「とっても」

「よかったです」

 余分なオイルを拭って、右手も同じように施術していると、サキの頭がふらりふらりと船を漕ぎ始めた。

 篝はそっと右手のオイルを拭うと、もう力の抜けてしまっているサキの体を抱き上げた。

 壊れ物のように優しくベッドに下ろして、さてと逡巡する。

 照れ屋なサキのことだ。普通に対面する形で添い寝をすると、きっと目覚めたときにパニックを起こすに違いない。

 篝は悩んだ末に、彼女を後ろから抱きかかえる形で寝ることにした。

 シングルベッドは狭くて、かなり体が密着する。

「おやすみなさい、サキさん。良い夢を」


 小鳥の鳴き声が聞こえてきて、サキは目を覚ました。

「おはようございます、サキさん」

 昨夜見たときと同じ、爽やかな笑顔の篝がそこにいた。

「目は慣れてきましたか? カーテンを開けますね」

 カーテンが開くと、ぱっと視界が明るくなった。

 ベッドから体を起こすと、随分体が軽く感じる。

「わたし、いつ寝ちゃったんですか」

「ハンドマッサージのときに。よくお休みでしたね」

 サキは恥ずかしくなって、思わず顔を覆った。

「よければ、朝食をお作りいたしますよ。なにか食べたいものはありますか」

 篝の笑顔に、こちらまで笑顔になってくる。

 ――不思議な人だなぁ。

「おまかせします」

「かしこまりました」




「それではまた、眠れない夜にお申し付けください」

 篝は一緒に朝食を摂って後片付けをすると、時間ぴったりに帰っていった。

 サキは射し込んでくる朝日を浴びながら背を伸ばす。窓の向こうの電線に、雀が三羽止まっているのが見える。先ほど鳴いていたのは彼らだろうか。

 窓を開けると雲ひとつ無い青空が広がっていて、風も穏やかで心地好い。

「おはよう」

 誰にでもなく、そう呟いた。

 




おわり

 





 



 

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最高の目覚めは、最高の睡眠から。 美澄 そら @sora_msm

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