光が、今日もゆらめく

柳なつき

ずっと、ここにいた

 ここは、洞窟の底。


 わさわさと生える得体の知れない色の濃い植物たち。

 ひんやりとした冷気。


 大黒柱のようにそびえたつ巨大な岩石。

 背を預けて、

 俺はもうずっとここでうずくまっている。

 あの日のブレザーの制服のまま。どうしようもなく膝を抱えている。




「暇だなあ」



 つぶやくとその瞬間、ふっと隣に幼馴染があらわれた。



「暇なんだねえ、タケ」



 ショウ。幼稚園の頃からの、悪友である。

 ただし、中学に入って間もなく、自殺しちまったから――もう二度と会えるとは、思っていなかった。



「タケ、僕のこと呼び出しすぎ」

「おまえくらいしか喋り相手いないんだよ。しょうがないだろ」

「趣味でも持てば?」

「こんな世界の果てみたいな洞窟の底でどうやって趣味を持てっていうんだよ」


 俺は、ため息をついた。


「なあショウ。ここから出るのって、どうすればいいの?」

「タケが飛べばいいんだ。あの光のもとへだってタケはほんとは飛べるはずなんだ」

「なに言ってんだ、無理に決まってんだろそんなん。物理法則ガン無視かよ」

「だってここは現実の物理法則には支配されていない、……いわばタケの内部の世界ってわけだし」



 ……見上げれば、はるか頭上ではかすかな光がたゆたっている。

 あそこに行けば、帰れることはわかっている。

 けど。……けど、もう、いまさら。



 ああ。光が。……ゆらめいた。

 ……今日も、来るのか。アイツ。



「俺のことなんか、さっさと忘れてほしいのに」



 ショウは、なにも言わなかった。

 光は、ゆらゆら動きはじめる。




『……タケ。タケ、聞こえてる? 今日も来たよ、どうにかね、来れたよ』




 ――ミホコ。





『ごめんね、今週は就活で忙しくて、それとね、卒業間近だから、ゼミにもちょっと顔を出さなきゃで』


 知ってる。知っている。――いやむしろサークルもバイトもやればよかったのに。

 ミホコは、せっかく、大学生になれたんだ。それなのに。


 俺のせいで……俺のせいで。

 ミホコの時間を、こんなふうに、使わせちまっている。


『私、やっぱりドン臭いね……タケにずっと言われてた通りだ。この歳になっても、実感するよ。サークルもバイトもしていないからみんなより時間はあったのに、まだ内定先が出ていない。ふふ、タケなら、一瞬で大手とかの内定いくつも貰っちゃいそう……』


 ショウが再びちらりと見てきた。いたたまれなくて、俺は体育座りの膝に頭をうずめる。


『……あ、でもね、いちおう正社員で、ずっとやりたかった、デザインのお仕事……ひとつだけね、ほんと、ひとつだけなんだけど、いま、……デザイン事務所の最終面接を、受けさせてもらえるところなの』


 ふふ、とミホコがはにかんだ、……はるか頭上の光がゆらっと大きく揺れた。


『うまくいったら、……そうしたら、私。これからもずっとタケを待っていられるね。ささやかでも、自立して。この先、ずっと……ずっと……』




 ひとりでも。

 ミホコのその言葉が洞窟に届いた瞬間、――俺は大声を上げて、耳を塞いで、なにもかもを、シャットアウトした。





 ミホコと、ショウと、俺は、幼稚園のときからの幼馴染だ。

 ただしショウは中学のときに自殺して、

 俺は、高校の卒業式の帰り道に、……交通事故に遭った。



 高校の卒業式の日、俺は校舎裏でミホコに告白した。

 結婚を前提につきあってくださいと頭を下げた。


 ……ほんとうは中学の卒業式のときに、言いたかった。

 けど。

 ……ミホコは知らないだろうけど。

 ショウも、ミホコのことが好きだった。


 だから。あのときは遠慮しちまったけど。――悪いな、ショウ、おまえのことは忘れない、でも、俺たちは……生きているんだ。

 生身の人間として――。



 ブレザーの制服姿のミホコは首をぶんぶんと横に振って、卑屈なことを言った。


『だめだよ、タケ。私みたいなのと、高校卒業してまで一緒にいちゃいけない』

『みたいなのって、どういうことだよ』

『だってタケは、頭いいじゃん。頭いい大学出て、そのまま政治家とか社長とか、頭いい仕事をするんだ』

『おっ、そしたらいい暮らしができるな。おまえにもさあ――』

『だから大学に行ったらもっと相応しい子がいっぱいいるでしょっ』



 ミホコはブレザーの袖で顔を隠した。



『私じゃ、タケに釣り合わないことくらい、わかってるんだからさ』



 俺は、そのまま、ミホコを両腕で抱きしめた。

 桜の花びらが鼻先をかすめていった。

 カランカラン、と音がした。ミホコが卒業証書を落とした音だった。



『ミホコ。好きだ。愛してるんだ。わかってくれ』




 そして、俺たちは、そのまま――。




 その帰り。

 浮かれた俺は、

 簡単に交通事故に遭った。




 光が、今日もゆらめく。



『……タケ。今日は、だいじなお話をしなくちゃいけないの』


 ミホコの声が緊張を帯びていた。

 ショウがいつものうかがうような目線をちらりとよこした。


『私、……明日、大学を卒業します。それで。それでね』


 ごくりと、ミホコがつばを飲み込んだ気配。


『その、……おなじ大学のひとと、つきあうことにしよっかな、って』



 俺は口を開けて、ああ、と声を発して、空高くその光を見上げていた――ああ、ミホコ。




『そのひとはずっと、私によくしてくれていてね。おんなじ大学だけど、法学部でね。法学部って私の大学でいちばん頭がいいんだ。だからなのかな、私なんかより、とても頭がいいの。それでね、その、……タケのことにも、いつも相談に乗ってもらっていたりして』



 ああ、ああ、そうかよ、……そうだったんだ。



『でもやっぱり踏ん切りがつかなくて。タケに、……ほんとうは私の声もとどいてるんじゃないか、って思うと。やっぱり。いつまでも、いつまでも。……それがかすかな望みでも、タケをずっと待っていたくって。……タケ、私のこと、いまも好きでいてくれる? 少しでも、未練がある? それなら、私タケのことやっぱり待ってる。でも、……でもそうじゃないなら、私はやっぱり――』



 ショウが目配せしてきた。

 ああ、ショウ、わかってる、――わかってるさ、




 そういうことなら、

 俺、今なら飛べる。やっと飛べる。ここから出ていける――って!





 立ち上がったのは何年ぶりだろう。

 案外、身体は軽かった。

 光のもとに行こうと足を踏み出す。

 すると、すんなりと俺は浮くことができた。

 一歩、二歩。――背中に翼まで生えて、俺の飛翔を助けてくれる!





 光を、抜けたぞ!






 ……暗くなった。

 ゆっくり、ゆっくりと目を開けて、さあ、深呼吸、言ってやるぞ――。



 ……ミホコが、こちらを覗き込んでいる。

 あの、いつもの、柔らかくもちょっと哀しそうな、妙にひとを惹きつける笑顔で――。



「……ったく、余計な世話だってーの、ドンくさミホコ」



 ぎゃっ、とミホコがおばけでも見たときのような声を上げた。



「男ができてよかったな。おまえはさっさと俺ではない立派な男といっしょに幸せになってくれ」

「……あ、あ、……ああっ、タケ、……タケ、起きたの?」

「起きた。おまえが新しい男とつきあうとか変なことを報告しに来るから、説教してやろうと思って」



 ミホコは俺の手を取り、

 ……ぶんぶんぶん、と首を横に振った。……はは、化粧なんかして、服も、髪型も、せっかく大人の女性らしくなったのに、……そういう仕草は、今もガキのまま変わってねえのな。



 きれいだ。びっくりするほど。

 ……もう、ほかの男のもんなのに。



「……ねーえタケくん。長い眠りから覚めて早々、申し訳ないとは思うけどさ、でもさ、なんかちょっとありえないほど意識はっきりしてるみたいだからさ、あたし言うけど。そんな言い方しかできないの? ねえ、ほら、ミホっち。やっぱ、正解だったじゃん」


 女の声。誰だ。いや。……マジで誰?

 見ると、派手な女が病室の入り口にもたれかかってた。



「あー、はじめまして、ミホっちの愛する婚約者のタケさん。ミホっちの大学での大親友です、いえい」


 ピースサインをつくってる。……えっと、その、はい?


「あ、タケ、紹介するね……大学がいっしょの、さっちん。法学部で、頭がいいの……」

「タケくんを起こしたのはあたしとも言えるね。高校までのエピソード聞いてて、絶対かっこつけたがりのあまのじゃくだわー、って思ったもん」


 ……なんじゃ、そりゃ。


「ほら植物状態でもさ、ミホっちの言葉が届いてるんだとしたら、……なーんか俺は子どもだからーとかぐじぐじ言い訳して、そのまま死んできそーって思って」


 そんなことも、ない……とは、言えないな、……たしかに。


「だからもういっそ、男でもできたーとか嘘ついてみたら、ガバッて起きるんじゃない? って思って、ダメもとでミホっちにアイデア提供したんだけど……こんなにうまくいくとは、タケくんは単細胞だわ」


 ミホコは俺の手をとったまま、ほほえんで。

 うんうん、って。うなずいた。



「嘘つくの、つらかったけど……さっちんに相談してよかった。それにね、あはは、タケがこんなに単純だなんて思わなかった」

「……なんで起きて早々、俺は婚約者とその友達に目の前でわいわいかしましく悪口言われてるんですかね……?」

「あっ、ごめんごめん。今ナースコールするからね、タケ。あんまり元気だから、思わずね、忘れちゃった」


 のんびりした動作で、ミホコがナースコールのボタンを押す。……まったく。

 そして、彼女は俺の顔を覗き込んでくる。


「……それで、今も、私のこと婚約者って思ってくれてるわけ?」

「言っとくけど、俺にはもう甲斐性がねえからな。ここから就活するにしたって社会勉強するにしたって、時間が――」

「大丈夫だよ。その間は、私がタケを養ってあげる」



 ミホコのおっとりした笑顔。

 そのまま、そのふたつの瞳から、つうっと涙が流れ落ちた。



「いろんなことが、あったの。この四年間。いつも、話していたけど。もういちど、聴いてくれる?」

「ああ、……なんか、おまえにもいい悪友もできたみたいだし?」


 さっちん……さんとやらは手をひらひらと振り、背中を向けて病室を出ていった。……気を利かせてくれたのか。

 パタパタと、看護師さんたちの近づいてくる気配。




「……できれば、俺の話も、聴いてほしい。ずっと、洞窟にいた。驚くなよ、ショウにも、会えたんだ――」




 俺は、ミホコの手を握りしめた。すがるように。

 俺の手は、……震えていた。




「……ミホコ。怖かった」

「私もだよ。タケ。……ショウが助けてくれたのかな」

「それも、あるし、おまえが」




 ああ。泣くな。俺。声を詰まらすな。――格好悪い。




「おまえが、ずっと、光をつくってくれていたから」

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光が、今日もゆらめく 柳なつき @natsuki0710

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