最高の、目覚めのための狂騒曲

水乃流

最高の目覚めのために

“最高の目覚めのために、最高の眠りを”


 そんなキャッチコピーが目に飛び込んできた。同じポスターには、こうも書いてあった。


“最新技術を搭載した、これまでにない未来的な寝具――現在、モニター募集中!”


 そういえば、最近寝不足だし。まぁ、試してみるのも一興か。そう思って、その店に入ってみた。


「いらっしゃいませ。N商会にようこそ。何かお探しですか?」

「いや、表のポスター見たんだけど」

「おぉ、もしやモニターに参加されない? すばらしい! 貴方が最初の応募者ですよ! 是非、我が社の最新鋭寝具を試してみてください。きっと気に入るはずですよ、えぇ、保証します」


 スーツに蝶ネクタイ、いかにも商売人といった風体の男が、私を店の奥へと案内した。聞けばこの店の店長だという。多少、胡散臭さも感じるが、N商会と言えばテレビCMでも有名な大手企業だ。“貴方にをお届け!” たしかそんな宣伝文句だった。


 奥の部屋のさらに奥、分厚いドアの向こうにそれはあった。


「これが寝具?」

 どうみても、全身タイツだ。良く言っても競泳選手が着るような水着だ。寝袋にすら見えない。


「いえいえ、これは寝具のです。今回我が社がご提案する寝具は、布団やベッドだけでなく、その周辺をすべて含んだ睡眠システムなのです! “最高の目覚めのための最高の睡眠、そのためには最高の環境が必要”、これがテーマなのです」

「……はぁ」


 店長の勢いに押されてしまい、その後は言われるがまま全身タイツ、じゃない先進的快眠ボディスーツを着込んだ。やたらぴったりと身体にくっつく。着ていても全裸のような感覚で、なんだか恥ずかしい。この時点でモニターを止めた人も多いだろうな。


「すばらしい! 実にお似合いです」

「はぁ」

 少し身体を動かして見ると、何の抵抗もない。なんだか何も着ていないような感覚になって、余計恥ずかしくなってきた。今なら止められるだろうか?


「そうそう、忘れておりました。こちら類にサインをお願いします。モニターの契約書です」

 店長が、クリップボードに挟まれた書類とペンを差し出してきた。細かい字でいろいろと書いてある。うーん、どれどれ?


“甲は、乙が提供する製品・サービスに関して、その使用感想を提示する”

“甲は、SNS等での発信を行うこととする。公平な内容であれば、乙はこれに異議を挟まない。ただし、乙に対する誹謗中傷を含む場合は、これに該当しない”

“乙は、甲に対し製品モニターの報酬として、当該製品またはそれと同様の製品を謝礼として提供する”


 ふむふむ。まぁ、普通のことが書いてあるのだろう。一番下の署名欄に、自分の名前を書いた。


「ありがとうございます。では、製品の説明をさせていただきます」

 クリップボードをすばやく取り上げた店長は、そのまま商品説明へ突入した。いろいろと長々説明していたが、結局の所、このスーツはセンサーの塊で、呼吸から脈拍、体脂肪率に内臓脂肪、筋肉量、骨密度、血中酸素量、血糖値、γなんちゃら、タウリン1000mg……などなど、いろいろ計測しているのだと。そのデータでもって、快適な睡眠、快適な目覚めに導くのだと、まぁそんなことだ。聞いているうちに、眠くなってしまった。この店長のながったらしい説明も、快眠システムとやらの一部なのだろうか?


「では、こちらにお立ちください」

 導かれるまま、直径三メートルくらいの丸い台の上に立たされた。なんだかフワフワしている。これがベッドなのかな?

「それでは、まず、最高さいっっこーうっの眠りのための準備から始めたいと思います。レディ、ゴー」

 何がレディなのか? と疑問を口にしようとした時、上から何かが降りてきて、私の身体をがっちりと掴んだ。

「うへっ?」

 驚いて変な声が出た。恥ずかしい……なんて思う間もなく、私の身体は私の意思とは関係なく、上から降りてきた装置によって無理矢理動かされ始めた。私の動きに合わせて、台の上も動いている。これって、ルームランナー?

「快眠のためには、まず運動が必要です。お客様に必要と思われる運動をしていただきます」

「ちょ、ちょっと、ま、ああっ!」

 どんどん動きが速くなる。喋ったら舌を噛みそうだ。走ったりジャンプしたり、身体を捻ったり、ダンスみたいな変な動きをしてみたり――まるで操り人形になったみたいに、無理矢理動かされる。今なら、ピノキオの気持ちがよく分かる。


 どのくらい動いた、いや動かされたのだろう? 疲労困憊、意識は朦朧として時間の間隔も失われてしまった。いつの間にか、口元には酸素マスクが装着され、シューシューと酸素が送り込まれている。少なくとも、殺す気はなさそうだ。全然安心できないけど。


「運動の後は、バスタイムですっ!」

 店長の言葉と伴に、今度は透明な筒が天井から降りてきて、私をすっぽりと囲んだ。いやな予感がする。

 その予感は、すぐに的中した。上から大量の水が落ちてきた。水滴が激しくぶつかってくる。逃げようにも、私を動かしていた無慈悲な機械は、まだ私を話してくれない。むしろ、水流に合わせて向きを変え、体中満遍なく水に当てている。汚れや汗を洗い流している、のだろうなぁ。ぴったりと貼り付いていたスーツの中にも水が入って来た。このボディスーツ、勝手に伸びたり縮んだりするのね。

 一旦、水流が収まったと思ったら、今度はどんどん筒の中に水が溜まっていく。少し暖かい水だ。あっという間に、水は胸まで到達し、そのまま頭の高さを超えた。全身が水没しても、マスクを付けているので溺死の危険性はなさそうだけど、恐怖は感じる。逃げようと思っても、がっしりと固定されているので身動きも取れない。しばらくして、水が細かく振動していることに気が付いた。あれか、眼鏡屋にあるメガネを洗浄する奴か。


 いつの間にか水が抜かれ、こんどは温風が私を包んだ。と、思ったら今度は身体が高速で回転し始めた。そういえば、昔の大阪万博で人間洗濯機なる展示があったそうだ。あれもこんな感じだったのだろうか。

「さっぱりと汗を流されたあとは、いよいよ本格的な睡眠へと入っていただきます」

 脱水、乾燥が終わった私という名の洗濯物は、カプセルの中に横たえられた。ふんわりとした感触と暖かい空気に包まれ、一気に私は眠りへと落ちた……。


※※


 私の意識は、ゆっくりと覚醒の刻を迎えていた。

 暗闇から、暖かい光の中へと誘われる感覚。小鳥のさえずり、小さく聞こえるのはクラシック音楽か。入れ立ての珈琲の香り。


 ゆっくりと目を開ける。


「いかがだってでしょうか?」

 店長が、笑顔で私の目の前にコップを差し出している。

「寝覚めには、まず、温めの白湯が効果的なんですよ。もちろん、珈琲もご用意しております」

 人肌より少しだけ温かい水が、喉を潤していく。

「はぁっ」

 思わずため息がこぼれた。


「如何だったでしょう? “最高の目覚めのための、最高の睡眠”でしたでしょう?」

「……えぇ、確かに最高の目覚めでしたよ。寝る前は非道かったけど」

「適度な運動と交感神経を刺激する入浴、申し分なかったかと」

 いや、そこはもう少し考えた方がいいと思うよ。ふと、思いついて聞いてみた。

「それで……どのくらい寝ていました?」

「そうですね、お客様の場合ですと……約二年ですね」

 え? 今、何と?

「ですから、二年間です」

「ちょ、ちょっと待って、それおかしいでしょ!」

 二年間も寝ているなんて、どう考えてもおかしいでしょ!


「いえいえ、当社のシステムが、就寝されていらっしゃる間に病巣を発見しまして、そのままでも日常生活に不便はなかったかもしれませんが、いくつかの病気の複合作用によって、最高の睡眠、最高の目覚めをご提供できなくなる可能性がありました。そこで、当社の最新システムがお客様の治療を行ったのです。そして、完治まで二年かかったと、そういうことでございます。

 別の言い方とさせていただくとすれば、二年という時間コストを支払って、最高の睡眠と最高の目覚めを購入した、ということでございます。えぇ、お客様は幸運な方です」


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