目が覚めた時、君は

瀬塩屋 螢

夢通信

 彼、魚住うおずみ しのぶが泣いていた。小学生くらいの忍の姿に、が夢だと悟る。

 だって本当の忍は、私と同じ大学生で、ちっとも可愛げがない大人だ。

 場所は公園だろうか。しゃがんで泣いてる忍の後ろに、大きな木が立っているのは分かるが、後はぼんやりと白い。


「忍」


 夢の中なら、彼の名前が呼べる。

 なんの躊躇いもなく、素直に。


真琴まこと?」


 すすり泣く声が止んで、涙でぐちゃぐちゃになった忍の顔が見えた。

 慌てて彼に近付く手が小さくて、私も忍と同じくらいの時まで戻っているんだと、気付く。

 忍が顔を擦ろうとするもんだから、私はポケットの中に入っていたハンカチでそっと忍の顔を撫でた。

 昔の私が持つには、大人びた。生成りのタオルハンカチ。端には刺繍で花の絵が入っている。

 そうだ。現実で一番最近アイツから貰ったハンカチだ。そんな辻褄の合わないものでも、忍の涙を拭けるのだから、今は目をつむろう。


「また、いじめられたの?」


 昔の忍は、気が弱くてとっても優しい子だったから、私がいつも守っていた。いつからだろう。その手を伸ばせない所に忍が消えてしまったのは。

 忍は顔を拭くたびに、笑顔になっていく。


「ううん」


「じゃあ、なんで……」


「真琴がいなかったから」


 頬が赤くなった忍が、可愛く笑う。

 その顔にとてもほっとする。やっぱり私がいないと。なんて思ってしまう。


「なぁんだ、そんな事」


「そんな事じゃないよぉ」


 表情がころころ変わる。くりっとした黒い綺麗な眼。まだ私だけを見ている。夢の中ならいくらでも、そんな忍に会える。

 その忍の手を握る。


「私はずっとここにいるよ」


「……約束だよ」


 握り返した忍の手を見つめる。


『そんな奴についてくなよ』


(今の声……)


 誰だっけ。少し低くて、懐かしいその声。


 ぼんやりと思い出そうとするけど、折角の夢が醒めてしまうような気がして、やめた。

 夢の中では、握っていた手が変わっていた。幼くない。かと言って、骨ばってもいない手へ。

 手から腕へ。腕から肩へ。視線を上げる。

 中学校の制服の忍がいた。周りの風景も、さっきよりはっきりした。ここは中学校の廊下だ。


「真琴?」


「えっ?」


「どうかしたの?」


「ううん……」


 この忍はいつの忍? 中学校の最初の頃は、小学校の延長みたいにこうやって話しかけていてくれた。でも、ここから先は私と忍の記憶が重なる方がきっと少ない。


「真琴! 痛いって!」


「あ、……ごめん」


 忍の手を強く握りすぎていたのか、忍がそうやって声を上げる。

 しかし、咄嗟に離そうとした私の手は掴んで、にこりと笑う。

 学校の廊下はいつしか。沢山の絵が並ぶ画廊へ。忍は、そちらへ私の手を引いて歩く。


「ちょっとっ!?」


「いいから来てよ」


 私の少しだけ前を行く歩き方。意図が分からず、ただただ遅れないように後ろを着いて行く。

 一枚一枚。額縁が通り過ぎていく。運動会だとか。文化祭だとか。日常の一コマだとか。みんな私の想い出だ。

 やがて、一枚の絵の前で、忍が足を止めた。

 青い水槽の前に、私と忍が立っている。


「覚えてる?」


 忘れもしない。私達が決定的に話さなくなってしまったあの日だ。忍と幼馴染でなければいいと泣いた日。


「忘れるわけないでしょ」


 中二の夏休み。忍と忍の彼女と、私と男友達で水族館へ行った。いわゆるダブルデートって言うやつ。

 まぁ、私と男友達に関しては、カップルではなく、お人好しの友達くんが心配してついて来たに過ぎないけど。

 最初は和やかにみんなで、水槽の前に行っては、ああだのこうだの話していたけど、いつの間にか忍と彼女が消えて、自然と別々で行動することになった。


 クラゲの入った柱のような水槽。床に広がる一面の熱帯世界。どれも綺麗だったし、友達くんの解説も入って、はじめての水族館にしてはいい方だったと今になって思う。ただ、あの時は、いじましい事に忍の彼女に嫉妬しっとしていた。

 忍とあの水族館に行く約束は、忍に彼女が出来るもっと前からしていたから。


 幼馴染みと言う言葉にかまけて、告白もそのための努力もしてこなかった奴の台詞ことばでなことは重々承知の上で、私の頭の中には「何故」と「どうして」が渦巻いていた。

 そして、消化不良のままデートを終えて、私たちはになった。


「本当は、ダブルデートなんて嘘だったんだ」


 知ってる。あとで、忍の彼女をしていた彼女から、あれは私と忍。忍の彼女と男友達くんに別れる予定のデートだったと聞いた。

 あの時はまだ、誰も付き合ってなんかなかったのだ。

 私は、周りの噂を信じて、勝手に勘違いしていた。


 私がそれを知る頃にはすべて、遅すぎたけど。


「俺は、真琴があの野郎と仲良くしているのが嫌で、あの子もあの野郎に近付く目的で俺を使っていて」


「そんな小賢しい事するから、バチが当たった」


「やり直そう」


 それが出来たら、どんなにいいんだろう。でも、これは夢。

 夢の中をどんなにいじっても、夢は夢のまま。現実とは程遠い。


『いい加減。目を覚ませよ』


(うん。分かってる)


 アイツの声が、私を導く。


「私起きなくちゃ」


「ここにいるって言ってくれたじゃんか!?」


「私が約束したのは、アイツにだから」


「現実は辛いかもね」


「それでも。起きなきゃ」


 都合のいい物語じんせいは、夢の中だけ。現実の選択じんせいは取り返しがつかないし、残酷なことも多い。

 でも、いまならまだ間に合う。間に合わせて見せる。


 夢の中の私はゆっくり目を閉じる。

 夢から醒めたら、忍とちゃんと話そう。覚えてられたら、絶対。


 ゆっくりと目を開けると、カーテンの向こうの日差しが眩しく目に刺さる。遮ろうとする手は重たく、誰かと手を握っている。そちらに目を向けると、手よりも先に黒いもじゃもじゃしたものが見えた。誰かさんの頭のようだ。ベットを枕にして、寝ているんだろうか。


 それにここは。どうやら病院のらしい。一体どういう経緯でここに寝ているんだか。さっぱり思い出せない。


 そう思った矢先、握っていた手がピクリと動いた。頭がこちらへ動き、アイツの顔が見える。まだ起きたばかりでぼんやりとしていたけど、私の顔を見るなり、驚いた顔をした。大変愉快だ。


「おはよう。忍」


「『おはよう。忍』じゃねぇよ! 俺がどんだけ心配したと!?」


 珍しく。久し振りなので、本当に珍しいかはさておいといて、忍が私に向かって声を荒げる。その声さえいとおしいと思えるんだから、私はきっと重症に違いない。


「私、どうしてここに?」


「覚えてないのかよ……」


 ナースコールに手を伸ばす忍の眉が寄る。かなり、本気で心配してらっしゃる。


「大学のラボで爆発があったんだよ」


「ばくはつ」


「あ、環境なんとか科の方な。詳しくは分かんねーけど。F館とL館の通路になってるところで、お前爆発に巻き込まれたらしい」


「忍は何ともなかった?」


「だ、か、ら! 何とかなったのは真琴だろ!」


「そだね」


「もうちょっと自分の事優先で考えてくれよ。ホント」


頼むから。


 ずっとつないだままの手。よくしゃべる忍。なんだか、昔に戻ったみたいな夢のような時間。

 ちゃんと目覚めてよかった。

 なおも小うるさく、今までの愚痴を吐露する忍の声を聞きながら、そんな幸せをかみしめるのだった。

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目が覚めた時、君は 瀬塩屋 螢 @AMAHOSIAME0731

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