最後の目覚めは最高の目覚め

京丁椎

最高の目覚めは永遠の旅立ち

 夫が病に倒れ、闘病生活の末に亡くなって三十年以上になる。あれから世の中は色々と変わったと思う。合併した市が分裂したり、市から離脱した街に隕石が落ちて琵琶湖の一部になったり、バイパス道路が開通したり、親しい友人が亡くなったり。私も変わった。定年退職から数えても二十五年近くになると体は弱るし腰は曲がる。美人と言われたのも今となっては昔話だ。


「ニャー」

「はいはい、ミドルちゃんご飯ね、ちょっと待ってね」


 愛猫のミドルは定年退職するかしないかの時、庭に迷い込んできてから飼い続けている。迷い猫だから正確な年齢は解らない。もう良い年だと思うんだけど元気一杯。一時期は死んじゃうんじゃないかってくらい弱ったけれど、今は良く食べ、良く寝て、良く懐く。尻尾なんて若い頃の倍の太さでモフモフだ。今も寝ていたと思ったらご飯の催促。いきなり食欲全開なんて余程よい目覚めなんだろう。


「ミドルちゃんは元気ね~」

「ニャー」


 夫が亡くなって以来、家には私と猫一匹。夫とは結婚して以来、何度も愛し合ったけど、子供は授からなかった。「俺が死んでもリツコさんが寂しくならんように」と頑張ってくれた夫の努力が実る事は無かった。


「お前も長生きだね~」

「ニャー」


 成人後の病気で生殖能力が落ちたと言う夫を振るい勃たせたからだろうか、夫は年金をもらえるか貰えないかの歳で亡くなった。仕事に料理と本当にマメな人だった。時には父、時にはシェフ、恋人だった事も有ったかな。そんな夫は亡くなる少し前に経営していた店を処分して少し多めの遺産を残してくれた。おかげで私は今ものんびり暮らせている。


「さてと、私もご飯っと」


 料理が得意だった夫に対して私は料理が下手だった。そんな私に彼は大苦戦しながら料理を教えてくれたものだ。今ではそれなりに作れるようになったけど、夫の味は再現できない。最初に習ったのはカレーライス。「カレーが作れたら応用で料理が出来るで」って言われて、その後は応用でお肉を牛にしてシチューの素を入れてビーフシチュー、お肉を鶏にしてホワイトソースでクリームシチュー。お肉を筋肉すじにくにして、具を大きめに切って醤油と砂糖で甘辛く炊けば肉じゃが。


「ふむ、料理下手だった私が良くここまで作れるようになったもんだ」


 料理を覚えるたびに抱きしめて撫でてくれる優しい夫だった。


 夫が遺したノートには色々なレシピが載っていた。今はボロボロになってしまったけれど中身は頭の中にちゃんと入っている。おかげで食事に困る事は無い。まぁ困ったことと言えばお買い物かな? 七〇歳を少し過ぎた頃に大型自動二輪免許を返納、しばらく小型に乗ってたけど転んで怪我をしてからはセニアカーに乗り始めた。


「あ~あ、お買い物用に原付免許だけでも残せばよかったかな……ああ、乗るバイクが無いや」


 排気ガス規制で五〇㏄は絶滅したんだっけ。


 バイク仲間の元白バイ隊員は若い頃の無理がたたったのか八〇歳になる前に亡くなっちゃった。舎弟だった職場の後輩もこの前亡くなったし、一回り以上歳上だった夫の友人は当然亡くなっている。たまに夫から店を継いだ教え子が孫を連れて遊びに来てくれるけど、基本的に我が家は夜になると猫のミドルちゃんと私だけ。


「寂しくないも~ん、寂しくなんか無いもん……寂しいな」

「ニャー」


 やっぱり話し相手が居ないと寂しい。夫が亡くなった頃はご飯の時に「私は誰とご飯を食べればいいのよ」って泣いた事も有った。例え猫でも存在があると無いとでは大違い。でもやっぱり話し相手は欲しい。


「君が喋れたらねぇ……。二〇年も生きたら猫又とかにならないの?」

「ニャウ?」


 私の言う事を理解したのかしていないのか解らないけど、ミドルちゃんは首をかしげた。


「さてと、お風呂に入って、お洗濯は明日で良いか」

「ニャ~」


 ご飯を食べたらお風呂にお湯を張りながら後片付け。ミドルちゃんはお座りをして私を監視するのが日課だ。


「ミドルちゃん、今日もお風呂に入るの?」

「ニャー」


 お風呂を嫌がり暴れる猫は多いけど、我が家の猫はお風呂が大好きだったりする。湯船に浸かるし頭からお湯も浴びる。顔までシャンプーで洗っても目を瞑っておとなしくしてる猫なんて賢いんだか何か達観したんだか。


「拭き拭きしようねぇ」

「ニャア」


 幸いな事に短毛種なのですぐ乾く。私も四十五歳の時だったかな、すごく暑い年に思い切って刈上げちゃった。ミドルちゃんのついでに私もドライヤーで頭を乾かす。猫の世話と自分に生活でヘトヘト。お布団を干してフカフカにしたいと思うんだけど、重いんだよね。歳をとるって悲しい。


「さぁ、寝ようか」

「ニャウ」


 夏以外の季節だと寝る時はミドルちゃんと一緒。戸締りと火の用心をして布団へ入るとモソモソとミドルちゃんも布団へ入って来た。


「明日はどんな目覚めになるかしら、おやすみ、ミドルちゃん」

「ニャ~ウ」


◆        ◆        ◆


「リツコさん、リツコさん」


 どれくらい寝たのだろう、私を起こす声がする。夫の声だ。夫に起こされるなんて夫が亡くなって以来だなぁ……ん? 何で?


「にゃう~、誰よ~あたるさんの声を出すのは~」

「リツコさんの夫のあたるです」


「中さん?! どうしたのその格好!」


 夢の中とは言え、愛する夫に起こされるなんて、最高の目覚めだ。いや、夢の中だから目覚めてないか。夫は歳上だったけど私より若い年で亡くなっている。それでも六十台半ばでこの世を去った。なのに目の前にいる夫は出会った頃と同じ四十代の頃の姿だ。


「迎えに来たで」

「ホントに?」


 四捨五入すると九十歳な私に「迎えに来た」とは、洒落にならないぞ。


「もう……遅い、やっと来てくれた」

「ごめんな、頑張ったんやけんどな」


 生きていた頃の様にギュッと抱きしめてからのナデナデ。夢なのに本当に抱っこされているみたいだ。でも今の私はお婆ちゃん。若い夫と釣り合いが取れない。


「こんなお婆ちゃんになるまで放っておいて……あたるさんのバカ」

「ん? お婆ちゃん? そうは見えんけどなぁ」


 グズる私の顔を一撫でして、夫は私の手を取った。


「全然お婆ちゃんと違うやん、出会った頃のまんまやで」


 手元を見ると皺が無くなっていた。夫の身長が低くなった気がする。そして、夫の目には出会った頃の、三十歳の私が映っていた。どうやら夢ではなく、本当に御迎えに来たらしい。


「中さん、撫でれ……ギュッとして撫でれ……」

「よしよし、目も覚めたことやし、行こか」


 再び抱きしめてくれた後、私は夫に手を引かれて永遠の旅に出る事になった。


◆        ◆        ◆


 僕たちの仲人をしてくれたリツコおばちゃんが亡くなった。


「おばちゃんの親戚に同居人、しかも外国の人が居たて知らんかったわ」

「そうだね、お母さんの再婚相手の……かなり遠い親戚みたいだけど、そんな人居たかな? もしかすると仕事に行ってる間にお邪魔してたのかな? 初めて会ったよ」


 同居していると言うミドルさんからの連絡で駆け付けた僕たち夫婦は、狼狽える同居人のミドルさんを落ち着けて役所への届けや葬儀会社の手配、その他諸々を手伝った。


「おばちゃんから私たちの事はいつも聞いてたって事は一緒に住んでたんやな」

「若い頃のおばちゃんの面影は有ったな……となると、やっぱり親戚か」


 おばちゃんの親戚のミドルさんと葬儀を済ませた帰り道、妻と話すおばちゃんの思い出話は楽しい事ばかりだ。


「おばちゃんのニャンコってどこに行ったんかな」

「見かけなかったなぁ」


 飼っていた猫が居なかった。同居人のミドルさんも何処へ行ったか知らないらしい。


「それにしても、ピンピンコロリなんておばちゃんらしいや」

「安らかな寝顔やったな」


 リツコおばちゃんは安らかに眠っていた。やすらかと言うよりは微笑んでいる様な幸せそうな死顔だった。


「でも理恵さん、あの世で目が覚めたらおっちゃんが居るから良いんじゃないかな? リツコおばちゃんのことだから甘えまくるよ」

「永遠の眠りについた後は『最高の目覚め』が待ってる……って? 速人はロマンチストやなぁ」 


 目覚めの悪いリツコおばちゃん、あの世で最高の目覚めが待っているだろうと話しつつ、僕は車を走らせた。

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最後の目覚めは最高の目覚め 京丁椎 @kogannokaze1976

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