三寒四温

久遠マリ

嵐来る

「年上が良いかもしれない、と思ったので」

「……左様でございますか」

 春も近づいた、麗らかな午後。昼下がりの庭で眠気を誘う暖かな陽光の下、目の前には、思考を覆うぼんやりとした靄をあっという間に吹き飛ばす美貌。社交用の穏やかな笑みを浮かべた、神座におはす創生主を思わせる、稀代の美丈夫が私を見つめている。

 十年前に許嫁を亡くしてから婚姻など結ばぬと決めていた私の元に舞い込んできた縁談。

 それは黒い影の色をした春の嵐を連れてきた。

 切れ長の目は宵闇を溶かしたような色。それを縁取る睫毛。男らしくも秀麗な眉。艶を帯びた柔らかく長い黒髪を後頭部で纏め、さらりと風に流している。渾名に似合わず、優美な薄い唇はほんのりと色づいている……まるで春に咲き虫や鳥を香りで呼ぶ花のように、そこだけが。

「私の友人にして上司でもある第一騎馬隊の将軍どのに、ご提案を頂いたのです」

 第一騎馬隊将軍といえば、レムロク・ハリエンジである。出自は平民であるが、入隊と同時に頭角を現し、人を纏め上げることにおいては天賦の才を発揮する。持ち前の人の良さ、面倒見の良さ。見た目のいかつさからは想像もできないような、優しい表情。武勇については、目の前に座っている美丈夫の方が勝っているように思うが、それと、統率力とは別である……と私は思う。

 ……しかし、顔には出ないようだが、この言葉からするに、将軍に相当信頼を寄せているのだろう。目の前の男が助言をそのまま真っ直ぐに捉え、行き遅れと名高い第三騎馬隊百人隊長の娘の元を訪れるなど。今年で私の歳は二十九を数える。この男は二十六か七だった筈だ。

「……私が、と?」

「ええ、年上が良いのではないか、と。そこで、あなたを思い出しました」

「あらまあ」

 私個人のことをとてもよく知っている、というわけではないらしい。いっそ清々しくて、思わず笑ってしまった。仕方がない、何せ彼は、この皇国の第一皇子であるナランジュ=レルテ=ライデンのいとこである、タリマータ・アント=ライデン。ライデン氏族、アント家の息子にして、第一騎馬隊の副将軍様である。黒き嵐の子、と呼ばれる程の武勇、人と慣れ合わぬ高根の花。

 皇国において、貴族や騎士の女子は、普通、己の父や母の身分よりも少し下で、幾つか年上の者の所に嫁ぐのが一般的だ。百人隊長の娘が副将軍に嫁ぐのはちょっと微妙な所だが、その前に、この人は皇族である……ライデン皇の継承権は放棄しているらしいが。

「でも、アント家の皆さまは、反対なさるのではなくて?」

「……将軍のお見立てですし、アントの家には他にも子がおりますので、問題はないはずなのですが」

 さらりと揺れた前髪が冷たさの取れた風にふわりとそよぐ。決められた見合いの時間は四半刻だ。

 彼の中では、特に問題はないのだろう。

 どうしてか、猛烈に、その顔が歪むところを見たくなった。私はにっこりした。

「あなた様は、わたくしの噂について、お聞きではなくて?」

 言えば、浮かべられていた微笑みが、僅かに口の端でぴくりと動く。

「……聞き及んではおります」

「左様でございますか」

 第一騎馬隊に所属して間もなく死んだ許嫁のことを思い出す。穏やかな顔の逞しい若者で、共にいるだけで春の陽だまりの中にいる心地がする、そんな人だった。野山や里、海のあれこれをよく識る、勉学に熱心な人だった。話をするのがとても楽しかった。

 間違っても黒き嵐などではなかった。

 私は己の内で波立ち始めた春の嵐を封じ込める為に、わざと、少しだけ笑い声をあげた。

「将軍様のことを慮れるあなた様でございますから、婚姻をと見定めたわたくしのことも同じように考えて下さるでしょう。わたくしは、別の方に永遠を誓いました。この身は清いままでいると決めました」

「……他ならぬ将軍の推薦であったのですが、あなたは断るおつもりなのでしょうか」

「他に女子おなごがおりまする」

「……本当に、そのようにお思いで?」

 信じられない、と言外に匂わせて、彼は眉間に皺を寄せた。肘掛けを握り込んだ手、その甲に、白く関節が浮き上がっている。

「あら、もうお時間ですわ……最後に、それはあなた様の本心でございますか、タリマータ様?」

 たっぷりと真正面から、羞恥で真っ赤に染まった美貌を拝む。異国の言葉で、三分間だけ待ってやった。

 見合いの最後の彼の顔は、そりゃあもう、私を大いに満足させた。


 全ての生き物が目覚める季節に、黒き嵐がさらに荒れ狂うことになるなど、まだ、誰も知らない。



お題:最後の三分間

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