閑話 「女神さま」
僕は竜族の里長の息子として生まれた。
レンドア山脈の奥地。そこにひっそりと竜族の里がある。僕はそこで育った。
父さんと母さんはとても仲が良く、僕を沢山愛してくれた。
母さんは竜族の里と不可侵条約を結んでいるハイランドア王国の貴族令嬢だった。
現国王……おじさんの妹が僕の母さんらしい。
その妹は双子で、母さんの名前はシルヴィア。当時は歌姫だったらしく、今ルテナ神殿で神官長をしているオリヴィア様は母さんの双子なのだそうだ。
父さんは母さんに一目惚れして求婚したらしい。
父さんは竜族の里に住んでいて、母さんはハイランドア王国の貴族。まるで接点がないように思えるが二人はなぜ結婚したのか。
疑問に思った僕は、その昔父さんに「母さんとどこで出会ったの?」と聞いたことがある。
父さんはこう答えた。
「里は退屈ですることがなくてな。暇だったから竜化して王国の辺りを飛んでいたら城にすげー美人な子がいてな? 気になって交尾したくなったから攫ってきた」
……僕は念の為に母さんにも聞いてみた。
「病気の診断のために宮廷医師に診てもらった後、たまたま暇ができたから庭園に出て歌を唄っていたのよ。そしたらいきなり現れたドラゴンに攫われて『交尾してくれ』って迫られたわ」
僕の母さんと父さんはとんでもなく……凄い出会い方をしたみたいだ。
竜族は本能で生涯の最良な相手を求め、伴侶にする「つがい」を判断する能力がある。
父さんにとっての「つがい」が母さんだったらしい。
そんなこんなで色々一悶着あったようだが、父さんと母さんはとても幸せそうだった。
僕はそんな二人を見ているのが大好きで、憧れていた。僕も「つがい」を見つけて、こんな風に幸せな家庭を築いてみたい。そう思うようになった。
でも、「つがい」はどうやって見つけるのだろう。
疑問に思って父さんに聞いてみた。
「んー? とりあえずアレだ。すげー交尾したくなる。本能で分かる。つがいは惹かれ合うものだからな。交尾したい、そう思ったらそいつがつがいだ!!」
父さんは自信満々にそう言って母さんを抱き寄せ、ニッコリ笑った母さんに鉄拳を食らっていた。
虚空に赤い一条の弧を散らしながら鼻血を流して吹っ飛ぶ父さん。
「確かにこの人にはじめて会った時、なんだか凄く満たされた気持ちになったわねぇ。心地よくてとても離れ難い感じ。確かにあの時、惹かれあったのかもしれないわね。それとあなた、これ以上息子に変なこと教えたらしっぽ切り落すわよ」
と、母さんは父さんに笑顔で釘を刺して脅していた。
母さんは生まれつき体が弱くて、僕一人を産むのが精一杯だったそうだ。それでも僕の誕生に誰よりも喜び、とても愛してくれた。
そしてそんなに母さんは僕が5歳になった春、亡くなった。
父さんは母さんのために大きな庭を作り、そこに母さんは埋められた。植物が好きだった母さんの願い通りに。
沢山愛情をくれたおかげで母さんの死は悲しくはなかったけれど、もう傍に居てくれないことが寂しくて僕は上手に竜化できるようになってからはよく里の外を飛び回った。
空を飛ぶのはとても好きだ。空はどこまでも大きくて、果てがない。そんな空を飛んでいると、自分が世界にいるちっぽけな存在のような気がして寂しさが少し紛れるから。
そんな時だった。その日も同じように空を飛んで、少し羽を休めようと思って竜化をといて川辺に降り立った時、声を掛けられた。
黒いローブで頭を覆った女の人に。
「おや、こんな所に坊やがいるなんて珍しいね。そうだ坊や、これいるかい? おいしいよ?」
女の人は赤い目を僕に向けて微笑んだ。しわがれた声から老婆だと思われるその人は、僕に向かって一つのリンゴを差し出した。
僕は知らない人から物を貰うのは良くないことだと知っている。いつもならきちんと警戒するけれど、その時はその老婆の赤い目から何故か目が離せなかった。
──母さんとおなじ赤い目の色。そしてその目と同じ赤いリンゴ。
とても瑞々しくて、美味しそうだった。
僕は気づいたらそのリンゴを受け取って、一口齧っていた。
「……ッ!?」
一口食べて、直ぐに体に異変が起きた。全身が槍に貫かれたような痛みに襲われた。いつの間にか赤黒いモヤが僕の体を包み込んでいる。
思わず老婆を見ると、その人は笑っていた。
邪悪な笑みを浮かべて。にたりとその口は笑みを作っていた。
「食べたね? 哀れな竜族の子よ。それは呪い。他者を侵食し病を蔓延させる呪い! いずれは山脈だけでなく王国をも巻き込む天災となろう。あはははは! 愉快愉快! 混沌へと落ちるが良いわ!」
老婆は狂気に取りつかれたように笑い続け、忽然と消えた。塵のように。
「呪い……」
僕は痛みが酷くて何も考えられず、激痛を伴う中で必死に竜化して、飛んだ。
なんてことだ。呪いだなんて、このままでは大変なことになってしまう。里に戻って父さんに助けてもらおう。そう思いながら。
里に戻って父さんの元へ行った。痛みが酷くて、人型にも戻れなかった。僕の状態を見た父さんは顔を顰めた。
「これは古代の呪い……普通の方法では助けられない。ヘタに介入するとこの里に呪いが蔓延する。これはまた厄介だな……このままではお前を救う手だてがない。俺では無理だ」
そんな。僕は絶望した。このまま死んでしまうのだろうか。
「王国の……神殿の歌姫なら。あるいはお前を助けられる者がいるかもしれない」
『!』
そうだ、歌姫。神に仕え、神のために旋律を奏で、様々な奇跡を起こす彼女たちなら。 かつて母さんがそうだったように。
そうだ! 歌姫なら、僕を助けてくれるかもしれない!
王国へ行こう。
そう瞬時に判断して僕は力を振り絞って飛んだ。
ハイランドア王国へ。
呪いの進行により削られていく体力と魔力を絞り出すように飛び続け──やがて遠目からでも分かる白亜の建物が見えてきた。
ハイランドア王国のルテナ神殿。あそこなら。
──バチッ!!
もうすぐで神殿にたどり着く、という所で僕の体は不可視の壁に弾かれた。
神殿を囲むように張られた悪しきものを弾く結界。
そうか、呪いがあるから。
僕の体を蝕む呪いが、結界に反応して神殿に入れなくなっているのだ。痛みは激しく増すばかりで体を渦巻くモヤも全身に回ろうとしている。
このままでは死んでしまう。それだけは分かった。
嫌だ。まだ死にたくない。僕は自分の運命の「つがい」を見つけるまで、まだ死にたくない!
痛みに耐えながら僕は残っていた魔力を総動員して、吠えた。
──ピシッ……パリン!!
何かが割れるような衝撃と共に、建物が大きく崩れる音。魔力の籠った僕の衝撃波が結界を壊した。
でももう限界だ。今ので僕の魔力は全て使い切ってしまった。
激痛を訴える体に鞭を打って、体を横たえられる場所を探した。
しばらくよろよろと飛ぶと、大広間らしき場所に着いた。落ちるように着地しながらただひたすら咆哮を上げた。
もう人間に戻る余力はなかった。
『助けて、歌姫さま、……!』
『苦しい、痛い……誰か!』
『助けて……!』
こうしている間にも体はどんどん呪いに侵されていく。視界が歪み、痛みに耐えきれなくなったのか感覚が麻痺してきた。
──ああ、僕、死ぬのかな。
漠然とそんなことを考えた、その時だった。
息もたえだえに咆哮を上げる僕の前に、その子は現れた。
紫色の髪にくりっとした銀色の眼をもつ小さな女の子。僕と同じくらいの年かな……。でもとっても綺麗な女の子だ……。
女の子はその銀色の眼に僕を映すと、にこっと微笑んだ。
「たすけてあげるね。その呪い、といてあげるから」
僕に笑いかけた女の子はそう言うと、唄いはじめた。
魔力の籠った特別な唄が僕の体を包み、呪いを中和し、浄化していくのを感じた。
耳に心地よく響く旋律。これはまるで母さんが寝る前に聞かせてくれた神話に出てくる女神さまのような……。
ああ。この子は紛れもなく、僕にとっての女神さまだ──
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