5 声の正体は

「……え?」



突然聞こえてきた声に思わず席を立ってしまう。

ロシェルカと手を繋いだままだったので、妹の手を引きずるようにして窓へ視線を向ける。



「どうなさいましたの? おねえさま?」

「今……声、聞こえなかった……?」

「声、ですか?」

「うん、『たすけて』って……」

「……聞こえませんでしたけど」



私の問いかけに、訝しげに眉を寄せながらロシェルカが答える。

聞こえなかった……? いや、でも確かに……。


その時、またドラゴンの咆哮が遠く聞こえた。



『くるしい……たすけて……!!』

「!」



今度ははっきりと聞こえた。頭に直接響いてくるような声。間違いない。あのドラゴンが発しているものだ。よく聞けば、まだ年端も行かない少年特有の高い声。まだあのドラゴンは幼いのかもしれない。

ドラゴンは助けを求めている。怒っているのではない。苦しんでいるのだ。



しかも、察するに妹には聞こえていないようだ。

だとしたらこの声が聞こえているのは私だけなのかもしれない。

そう考えたら、放っておけなくなった。

もう、トラウマとか、妹の怪我とか、全てが吹っ飛んだ。



--私は、あのドラゴンを助けたい。助けなければならない。

そんな思いに駆られて、気づけば私は御者に馬車を止めるように頼んでいた。



「お願い、止まって!!」



私の切羽詰まった懇願に、御者は戸惑いながらも馬車を止めてくれた。

ほとんど転がるように馬車から降り、扉を閉める。



「おねえさま!?」

「ロシェルカ。ぜったい、絶対にここから動かないで。きちゃダメだからね!」



私はそれだけを一方的に告げると、念の為魔術を行使し、妹に『影縫い』をしかけた。

その名の通りに対象の影を縫い取り、動きを封じる初級の捕縛魔術。この程度のものならば詠唱なしに使える。



「おねえさま、何をなさるのです……? あ、おねえさま!!」

「そのままおとなしくしてて!!」



そのまま馬車を後にすると、私は一目散に神殿の聖堂を目指す。

来た道を引き返し、走りながらオリヴィア様がいる場所を目指す。しばらくするとその姿が見えてきた。

オリヴィア様は他の歌姫たちと共に陣を組み、恐らくドラゴンがいるであろう場所を睨んでいた。

魔力が紡がれる気配。強大なその力は、明らかにドラゴンを攻撃するためのものだった。


オリヴィア様達にもあの声は聞こえていないんだ。

ならば、やはりあのドラゴンを助けることが出来るのは私だけだ。



「やるしかない」



意を決して呟くと、私はより一層足に力を込め全速力で走る。走る力を緩めないまま魔力を操り、ありったけの砂をかき集め球状に形成する。

攻撃態勢を整えているオリヴィア様達に背後から近づき--球状に固めていた砂をぶちまけた。

途端に砂が舞い上がり、視界を埋める。


完全にドラゴンに気を取られていた歌姫達が背後からの不意打ちに体制を崩した。

煙幕代わりにぶちまけた砂を吸い込んだのか、咳をする歌姫達。

私は一向にスピードを緩めないまま走り、5歳の小柄な体を生かしてその間を縫うようにすり抜ける。



「一体何が……? ロジエル!? あなた何を……? お待ちなさい! そっちへ行ってはだめよ! ロジエル!!」



私に気づいたのかオリヴィア様が声をかけてくるがそれすら無視する。


……ごめんなさいオリヴィア様。

でも私はあのドラゴンを放っておくことなんて出来ない。


息を切らしながらも走り、廊下の角を右に曲がって聖堂へ。

結界が破られ、ドラゴンが突っ込んだことで聖堂はその大半が崩れ、瓦礫が広がっていた。

その真ん中にたたずむようにソレはいた。


まだ成体ではないのだろう。3メートル程の、艶やかな鱗が美しいドラゴンがいた。

翼も鱗も体全体が全てが黒。漆黒に覆われたドラゴンだった。

力なく横たわり、こちらを見下ろす目は銀と赤のオッドアイ。




「--……」



ドラゴンが力なく吠える。



『くるしい……だれか……たすけて……いたい、よ……』



先ほどと同じ少年のような高い声が頭に響く。

ドラゴンの叫びがはっきりと理解出来た。


だが、それよりも。そんな事よりも。

私は。

漆黒のドラゴンの銀と赤のオッドアイに魅入られていた。



「うそ……でも……そんな。は……」



--知っている。私は。

このオッドアイと同じ双眸を持つ人間・・を、私は知っている。

彼は、ドラゴンではなかったはずなのに。何故……。


呆然とするが今はそんなことに気を取られている場合ではないと思い直す。

何故このドラゴンが彼と同じ双眸を持っているのかは分からないが、そんなことはあとからいくらでも考えられる。


頭を左右に振って無理やり思考を閉ざすと、私は力なく横たわるドラゴンに柔らかくほほ笑みかける。

もう大丈夫だよと、助けてあげると、伝わるように。



「たすけてあげるね。その呪い、といてあげるから」



ドラゴンを一目みた時から分かった。見た瞬間、気づいた。このドラゴンが苦しんでいた原因。ソレは。


右の翼を起点として赤黒いモヤがある。それがこのドラゴンの体を蝕んでいた。

これは呪いの類。歌姫としての私の直感が告げる。

あれは、私にしか解呪できない呪いだと、訴えてくる。あの呪いをとくには。



「歌を」



ドラゴンを救うための旋律を。歌姫は神に仕える巫女。魔力を旋律にのせて、歌を唄うことで奇跡を起こす。それには歌に込める『願い』が必要になる。

私はこのドラゴンをどうしても救いたい。その願いに魔力を込め、旋律を奏でる。


--唄う。



「この旋律は……初代歌姫の……? そんな、まだこの子は5歳だというのに!?」



追いついたらしいオリヴィア様の驚愕した声が遠くに聞こえる。


私はただひたすら唄う。初代歌姫が作ったとされる『癒しの歌』を。

体中の魔力がどんどん失われていくのが分かる。全ての力が根こそぎ奪われていく感覚。


初代歌姫の歌は強力。それ故に、魔力の消費が激しい。本当であれば、見習いでしかない私に唄えるはずがないのだ。

強大な力を誇る初代の歌は、熟練の歌姫でも扱いきれないほどの旋律を誇る歌。まだ5歳でしかない私にとっては魔力の消費が激しいだけの毒にしかなりえない歌。


それでも、私は唄う。

このドラゴンを助けたい。ただその願いを込めて。

少しずつ、けれど確実にドラゴンを覆う赤黒いモヤが薄れ始めた。


--あともう少し。もう少しだから……。

平衡感覚を保てず、揺れ始める体に鞭打って私はひたすら初代の旋律を奏でる。

魔力の消費が思ったより早い。このままでは癒しきれずに底をついてしまうかもしれない。

けれど、歌を止める訳にはいかない。呪いを解くにはこの歌を唄うしかないのだから。

魔力が足りなくなり、僅かに残っていた体力を魔力へと変換する。


ゆらり、と体が傾く。まだだめ。まだ……あともう少し。

唄っている間、不思議とドラゴンは大人しかった。

まるで旋律に聞き入っているように、オッドアイを閉じて、横たわっている。


少しずつモヤは薄くなってゆき、やがて完全に消え去る。

もう魔力も体力も残っていない。よかった、間に合った。

ホッとして、全身から力が抜ける。

ドラゴンが閉じていた目を開き、銀と赤のオッドアイが優しく私を見下ろしている気がした。


--よかった。助けられた。

ドラゴンの無事を確認した私は、ただ安堵して意識を手放した。

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