16 決意
「どや? うまかったやろ!」
結局二軒、あの後も食事処へと案内された。この地方独特の獣の肉を扱った店と、ドリスの昔ながらの味を伝える店だったのだが、確かにうまかった。腹が減っていたらなとアイリは付け足した。
これだけ食べればさすがにリオとプルートの二人も満足したらしい。
「うまかったけど、もう食い物はやめてくれ。倒れちまう。それよりレナードゆかりの地とかはないのか?」
ふくれすぎたお腹のせいでアイリは息も絶え絶えといったところだ。これ以上食べ物の匂いを嗅ぐのもさけたい。ここまでくると食べ過ぎる二人に腹が立つというより、食べられない自分がなんだか悲しくなってきた。
「ん? あんさんらレナード教徒だったんかいな? 全く見えへんかったけど」
確かに信仰心のかけらもない格好だ。聖地でこんな姿の教徒はまずいなかろう。
「教徒じゃないけどな。せっかく聖地なんて呼ばれる土地に来たんだからと思っただけさ」
アイリのその言葉は嘘ではなかった。嘘ではなかったが、すべてを伝えたわけではなかった。
これから敵対することになるだろうこの街においての教会の情報を、少しは仕入れておきたいとの思いがあった。
誰かさんが集める情報が饅頭ばかりだったからな。あとは間違ってももうこれ以上は腹を満たすどころか、壊すだけになる飲食店には行きたくないというのは心底本音だった。
「さよか、ええ心がけやな。この街はレナード教を抜いては考えられへんからな。時にあんさんら、レナード教についてどれくらい知っとるんや?」
言われて思い返しても大したことが出て来ないアイリは、傾げた頭を戻すことが出来なかった。聖書を少し読んだ程度で人に話して聞かせるほどのものはない。プルートも似たようなものなのか、黙して口を開く気配はない。代わりに語るのはもちろん自称元情報屋のリオ。
「あんた達、さすがに世界最大宗教について、何も知らずに旅人やってんのはまずいわよ」
リオはげんなりとした様子だったがすぐに得意そうな顔に変え語り出す。
「レナード教について語ったら、数時間どころか一日中話せるからかいつまんで話すけど、まずはもちろん創始者レナードについてね。今から大体五百年前、世界は様々な要因で荒れ果ててたの」
ラステアと言わなかったのはロギンを気にしてのことだろう。実際ラステア以外にも五百年前には様々な問題があったという話をプルートは聞いたことがあった。
「そんな世界に現れたのが救世主とも神の使いとも呼ばれるレナード。もちろんそう呼ばれるだけの数知れない奇跡を起こしてるわ。例えば瀕死の重病人を触れただけで治したり、火山で滅び行く島から人々を救ったりってのが有名どこかしら」
「それってただ強力な魔術師じゃないのか?」
魔術についてもプルートは大した知識はないがイメージからならできそうな気がした。
「確かにそういう説もあるけどね。仮にそうだとしても重要なのは他のどんな魔術師もできない真似だったってことよ。五百年前なんてアルレイド族以外に魔術を使える人なんてほとんどいなかっただろうしね」
「へー、なるほどな。そりゃ確かに救世主かもしれない」
魔術だとしても、それを使えるのがただ一人なら、そう言われてもなにも不思議はないとアイリは思った。
「レナード自身、宗教を創ろうなんて気はまったくなかったとされているけど、彼の奇跡に触れた人や、その噂を聞きつけた人たちが彼を慕っていつしかレナード教なんて呼ばれるようになったのよ」
「そりゃ命を救われりゃ慕うよな。いったいどれだけの人を救ったんだ」
今となっては思いを馳せるだけの人物にアイリは自分の理想を見た気がした。もっとも歴史が伝える人物像がどれほど正確なのか知る由もないところだ。
「そゆこと。そうしてるうちにどんどんレナード教徒の数が増えて、それまで主流だったいくつかの宗教は瞬く間に数を減らしていった。といっても当時はそこまで規模の大きな宗教自体がなかったみたいだけど」
そもそも本来レナード教は異教を禁止し排斥する教えはない。すべてが平等で愛を注ぐ対象というのが基本理念だったが、結果としてレナード教が出来る以前にあった有力な宗教はみなすべからく飲み込まれてしまった。
今では異教徒といっても細々とその土地土地の神を祀るくらいだ。
「そしてレナードは数々の奇跡を起こしながらある場所に辿り着き、腰を落ち着かせた。その時、レナードを慕って付いてきた人は数千人と言われてるわ」
「で、この人数をつれて地方を周るのも限界だと感じたレナードはそこに街を造るわけや。それが今じゃレナーデルと呼ばれとる場所やな」
一息ついたリオに代わりロギンが説明するも、語り足りないリオは再び続きを紡ぐ。
「ここまでがいわゆる創生の章と呼ばれてるところね。その章の最後にレナードの言葉で、
『人から受けた恩は、恩人に向け感謝するばかりではなく、今度は他人にとって自分が恩人となるような行いをすべきである』って言葉で締め括られてるんだけど。ま、私にはずっとレナードにくっついてくる人達に、いつまでもついてばっかくるなって言ってるように聞こえるわ。なにせその後レナードは、一人でレナーデルを抜け出してまた旅に出るんだから」
「ほー、なかなかするどいねーちゃんやな」
ロギンが面白そうにリオの顔を見る。
「で、結局最終的にレナードはこのドリスに辿り着いて、一生を過ごすの。これが聖書で言う終生の章よ」
「レナードはなんでここを自分の最期の地にしたんだ?」
アイリがふと浮かんだ疑問を口にする。
「そういえば……」
聖書にも、その他の書物においてもリオはその理由を記したものを目にしたことがなかった。
「案外、ここの饅頭が気に入ったんやないか? レナードが来る前にも小さな町があったらしいからな」
「んなバカな」
笑いながら答えるロギンを見て、その理由が今じゃ知りようもないことだとアイリは悟った。
「ほとんど姉ちゃんにしゃべられてもうたけどレナード教について分かってくれたか?」
「ああ、レナードは旅好きだったんだな」
自分もずっと旅をしてきたからかプルートはそんなずれた感想を感慨深げにもらす。
「ははっ、そうかもしれんな。で、レナードゆかりの地なんやけど南部にはあんさんが期待するようなもんはあらへん」
聖都に聖都たらしめんとするレナードのゆかりが何もないとはアイリはおかしな話だと思ったが、それを察してロギンが続ける。
「南部には、やで。なにしろこの南側の街はレナードがこの地に訪れてから二百年後に作られたんやからな。五百年前にあったんは今の北部のほうだけや」
「ああ、なるほどね。北部に行かなきゃないってわけか。それじゃ、あのどでかい教会がどんな造りかとかは知らないか?」
一瞬、ロギンが不思議そうな顔をして時が止まる。迂闊な質問だったかとアイリは内心焦ったが、何事もなかったかのようにロギンはその問いに答えた。
「あの教会は信者だろうが、扱いは一般人と同様で、立ち入れるのは巡礼者の集う礼拝室のみや。教会の残りの広大な敷地がどうなっているのかは街の者でも知らないことやで」
「そっか……」
残念そうな顔をアイリは浮かべるが、予想外にその言葉には続きがあったらしい。
「普通の街の者ならな」
「え?」
「教会の中がどーなってるかも、わいなら知っとるちゅうこっちゃ」
ロギンがニカッと笑う。
「ほんとか?」
「ああ、しかしあんさんら何でそないなこと知りたいんや? まさか教会に侵入を企む悪人……って感じには見えへんけど」
ロギンの言葉にアイリとリオの二人は一瞬ドキリとする。
「いや、単なる好奇心なんだけど……」
「ふーん。ま、えーか。教えたるわ。あの教会はな、その辺の小さな教会とは訳が違うで。数百人の教徒と聖堂騎士団でも屈指のドリス親衛隊が常駐しとる。まあ命が惜しければ潜入なんてバカな真似はせえへんことやな。もっと開放的の方がわいもええと思うんやけどな。簡単にそーいう訳にもいかんらしい」
腕組みしたロギンが目だけを大聖堂へと向け続ける。
「で、一番でかい中央の棟が教徒達の住まい。西の棟が聖堂騎士団の施設で、東の棟は教会長はんとかがおるらしいで。三階より下はいろんな部屋があるんやけど、中央に三階まで突き抜けたみんなが入れる礼拝室があるっちゅうわけや。ざっと説明するとこんな感じか」
「……なんでロギンはそんなに詳しいんだ? レナード教徒なのか?」
これから敵対することになるレナード教に、もしロギンが属していたらと思うと、アイリはじわりと胸に黒ずみが広がる感じがした。
「敬虔なレナード信者が饅頭にその名を書くと思うんか?」
確かに信心深いものが皆に食べられるものに根元たるレナードの名を書くとは思えない。 その言葉に胸をなでおろすアイリ。
「ま、ドリスで案内人やるんならこれくらいは知っとかんとな。話もひと段落したところで丁度着いたで」
着いたと言われてもどこに向かっていたのか知らない。そもそもアテもなくただ喋りながらぶらついていただけだと、アイリは思っていた。
結構な時間話しながら歩いていたため、辺りの景色は朱に染まっていた。遠くに見える燃えるような色の教会は青空の下にあった荘厳なものとはまた違い、幻想的に見える。
「兄さんらのリクエストに答えられんかったからな。お詫びにといっちゃあなんやがほい、わいのお勧めの宿や」
見上げればいつの間にか少し年季の入った宿に着いていた。屋号のかかれた厚い板が歴史を物語るようだ。
「おっちゃーん、お客連れて来たったでー!」
扉を開けるなりいきなり声を張り上げる。
「おー、いつもすまんなぁロギン」
店主らしき声が返ると慌ててアイリが非難の声をあげる。
「お……おい、まだここに泊まるとは……」
「まぁまぁ、値段のわりに質がいいのは保証するから泊まってみいや。文句なら明日も同じ場所で饅頭売っとるから、いくらでも来てくれてかまへん。ほんならごゆっくりー。楽しかったで」
「あ! ちょっとおい!」
そのままロギンは笑顔で手をひらひらとさせながらきびすを返した。この辺はさすが商売人といった所か。
「まあいいじゃないか。騙されたと思って泊まってみよう」
「そうね、ろくな宿じゃなかったら明日饅頭をせびりに行けばいいことだし」
相変わらず何も考えてないプルートに、いたくロギンの饅頭を気にいったリオはその方が好都合と言わんばかりだ。
二人に、主にリオに、意見することを早々に諦めている自分に気づき、ため息をつきながら、アイリはこの宿を今晩の寝床とすることにした。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
ロギンの言っていた通り、この値段に対してならば文句の言いようもない宿屋だった。まさか食事がついているとは思っていなかったほど安価だったし、その食事がまた美味かった。美味かったがアイリはほとんど残すしかなく、完食していた二人にはもはや尊敬の念を禁じえない。大食いで競うような場でもあれば是非二人を出場させたかった。
食後に戻った部屋のベッドに寝ころびながらアイリはそんなことを考えていた。
部屋の作りも落ち着いていて、決して新しくはなかったが隅々までしっかりと掃除が行き届いているのが見てとれる。この宿がミルガーデンにでもあれば、親方の宿の客足が少なからず減るのは間違いないだろう。
「いい宿だな。あんなこと言われて実はオンボロ宿なんていうのはよくあるんだがな」
「分かってるなら簡単に信じるなよ」
プルートは満足気な顔だったが相変わらずの安易な判断は注意したところできっとそうそう治りはしないだろうと、アイリは半ば諦めていた。
食事をとってからリオとは部屋を別れたところだ。乗り込んで来ないところを見ると、この質の良さげなベッドですでに寝息を立てているのかもしれない。
「でも今まで騙されたのはロギンにではないからな。それに信じて良かっただろう?」
「ま、確かに」
騙す様な人間じゃないことはあの短い時間でアイリも感じていたが。そういう人間こそ詐欺師であるのだといかに言われようと、アイリにもかの商人を疑う気持ちはこれっぽっちも持ち合わせていなかった。
「このベッドなら疲れもとれそうだ。さっきも言ったが今日はゆっくり休んで乗り込むのは明日の日が落ちてからだからな」
少しだけ声を落としてプルートが言う。
「覚えてるよ。そんじゃ、そのためにもさっさと寝ますか」
言って二人は布団に潜り込む。
灯りの落ちた部屋。今夜は雲でも出ているのか月明かりも乏しい。
ぽつりとプルートが呟きを漏らす。
「……お前のことは何があっても絶対オレがなんとかする」
「……くだらねぇこと言ってないでさっさと寝るぞ。明日オレとお前で教会とっちめれば、何も問題なしだ」
「ああ、そうだな。そしたらその後はどうするか。あ、世界中の美味い物を食べ周るってのはどうだ?」
「いやもうお前らと食べ歩きはちょっと……。 ええい! とにかく寝るぞ! 寝て起きて教会のして、話はそれからだ!」
「ああ、そうだな」
プルートの言葉を最後に聞いて、質のいいベッドでアイリはすぐに眠りに落ちた。相当疲れていたようだ。それからどれくらいたったろう。眠らなかったプルートはむくりと起きだすと、そっと扉を開けた。
扉の閉まり際、寝入るアイリの顔に一瞬目を向けたがすぐに見えなくなり、それから音を立てないように注意しながら外へ出てプルートは一人北を目指した。
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