第11話 キレる老人を見て思う事

 最近はキレる老人が度々ニュースを騒がせるようになりました。老人の仲間となった身としては誠に残念としか言いようがありません。


 だけど、その気持ちは分からないわけではない。彼らほど自分を犠牲にした世代は居ないと思うから。戦争で全てを失った日本をこれだけ豊かな国に押し上げ立役者であったことは間違いないことであり、それを為すためにどれだけ自分を犠牲にしてきたかを測り知ることは出来ないと思います。

 

 こういう社会は彼らの力なしではかなわなかったのですが、今の若い人にそれを想像することは出来ないでしょう。それが、全てが揃った世界に生きる人と、何もなかった時代に生きた人との大きな垣根になると思います。


 彼らの後塵を拝する我々も、決して恵まれた時代ではなかった。給食は豚の餌かと思えるほど不味かったし、家に電話なんかもなかったし、テレビがある家も少ない時代であった。


 そういう時代を今の若い人に伝えるのは困難であり、伝える必要はないかと思うのですが、こうした整った社会は当たり前に存在しているのではないということは伝えたいとは思うのです。


 というか、この世に当たり前は一つもない。全ては奇跡なのだと。


 別に年寄りを敬えなどと思う気はサラサラありませんが、バカにされる所以もないと思うのです。彼らがああなるにはそうなる理由があることを分かる人間になって欲しいと思うわけです。


 誰だって、好きでその時代に生まれてくるのではありません。だけども、その時代で生まれたからにはその時代を生きるしかないわけで、その時代をどう作っていくかを考えなければいけないのです。


 その結果が明日となるわけで、今の若い人たちが作った時代によって、その後で生まれてくる人たちの人生が決まるのは確かではないかと思います。


 何にもなくひもじい思いをした日本人が、それから逃れたいと精一杯頑張ったことで今日があるわけですが、その結果、どうなったかと言えば、ひもじい思いをする人は大きく減りましたが、その代わり苦しい思いをする人は相当増えている。


 その今を見て、何をどう修正すべきかを考えるのが今を生きる者の務めだと思うわけです。この豊かな環境を享受するだけでは、それはモルモットに過ぎないと思います。


 人間の人間としての力は、未来を変えられること。彼らが貧しい日本を豊かにしたのと同じように、今度は我々が次なる日本を作らなければいけないと思います。

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